ウソの国:st5402jpのblog

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

年寄りです。1954年2月24日、長崎市の生まれ。17か18歳で、佐世保で洗礼を受けたクリスチャン。現在、教会へ行っていない逸れクリスチャン。ブログのテーマは、キリスト信仰と、カルト批判が中心です。ヤフーブログから移行してきました。ブログは、2010年からなので、古い記事も多いです。サポートに問い合わせて、ようやくコメントボタンが付けられました。ソーシャルボタンは、コメント欄の上に表示されることも知りませんでした。

 
  掘り出して愚弄
 
   「偽善者の失言集」コメント欄
   http://st5402jp.livedoor.blog/archives/4743909.html#comments
   シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼)
 
 
嘘あり妄想あり真実なしの、うんざりするだけのシャロームのコメントですが、どういう嫌がらせなのでしょう。私が忘れているような昔のコメントを掘り出して書いています。
 
今となっては、信頼の欠片もないのに。好意的な昔の私のコメントを出せば出すほど、だまされていた私と、既に証拠付きとなっているところの、だましてきたシャロームの悪性が際立ってくるだけなのですが、一貫性がないとか言いたいのでしょうか。
 
それは、あなたシャロームが、だましていたということです。
 

1. shalomです。こんばんは
 2019年12月12日 18:51
あと三日となりました!
「お母さんを迎えて素晴らしい時をお過ごしください。
また新たな心で主の恵みの年2010年お迎えください。」
と書いてしまい失礼しました。
2020年でしたね。
私のブログにst5402さんがはじめて訪ねられたのは
2007年だったようですから、12年前になるのですね。
長いお付き合いありがとうございました。
懐かしさもあり、ちょっと読み返してみました。
一部引用してみましょうか。覚えておられるでしょうか?

 
あなたの昔話、あの頃は、まんまと騙していたのに、今は批判ばかりしている、ということでしょう。一緒なんですよ。昔で、今を、正当化は、できない。万物は流転し、好意は気づけば、悪意と分かり、尊敬した相手は、気づけば、偽者と分かり、賛同は、気づけば、批判へと変わるのです。
 
シャロームは、風を追うようなことをしています。
 

2. shalomです。こんばんは
 2019年12月12日 18:53
以下引用
 「神の宮の回復のために」という私の記事にへのコメントです。
このお説教はとてもすばらしく心をうたれます。
2007/5/2(水) 午後 8:08Konnichiha
日本語の、私には、難しいところなのですが、金曜日に死んで3日後なら月曜日になるような気がします。3日目なら死んだ日を1日目として日曜日になるような気がします。どう勘定すればよいのでしょうか。
2007/5/3(木) 午前 6:33st5402jp
おはようございます。今日のお話は大変分かりやすく今までのお話をさらに詳しくしてくれるものです。けれど本質となるとまだ勉強不足です。「汚された人の心という神の宮」私の心も清いものではありません。すこしでも平安で穏やかなものになればと願っているのですが・・・勉強します。
2007/5/3(木) 午前 7:08ririco
st5402jpさん 年令の数え方と同じで、満年齢と数え年という場合の違いなのでしょう。この場合は満日数ではなく足掛け3日ということですね。つまり金、土、日で三日後ということです。イエスは三日目と言っています。三日後より三日目が正しいようですね。これは蛇足ですが、イスラエルでは日没から翌日の日没までが一日なんです!
2007/5/3(木) 午前 7:14[ 旅 人.shalom ]
konnichihaさん、riricoさんもながいおつきあいでしたが、
面白いですね。私の記事を読まれても、心に留まることは読む人によって違うのですね。

 
恥をかかせてやろうというケダモノ心がむき出しになっています。
これがシャロームの悪意です。
 
しかし、勉強したおかげで、あなたシャロームの信仰が、真っ赤な偽物だったことだけは明らかになりました。
 
今も、知識をひけらかしていますね。それで、ごまかせるほど、信仰は甘くないのです。
 

3. shalomです。こんばんは
2019年12月12日 18:55
以下「聖書は神の啓示の書」という私の記事へのコメントです。
 聖書の不合理性・相反することも、
 故意に理解・納得できるように手を加えて誇張したり粉飾しないところに信仰の世界、神との出会いの鍵が隠されているような気がします。
というところに、なぜかよく分からないけれど、惹かれるものを感じました。
2007/7/29(日) 午前 5:07st5402jp
 st5402jpさん コメントありがとうございました。選挙の投票に行って、教会にいきました。今日のメッセージは「風変わりな神」という
風変わりなテーマでした。ふとst5402jpさんのコメントを思い出しながら聞きました。人から出たものは人の枠を超えることは出来ませんから、「人の枠にはまらない神」なんていうテーマでもよかったのかなでした。(笑)ところで st5402jp さんは投票に行かれましたか。棄権は現状肯定の白紙委任状を出すのと同じで一番危険な投票していることになると思いますよ。
2007/7/29(日) 午後 0:37[ 旅 人,shalom ]
期日前投票が出来たのに、棄権してしまいました。そのことをMLにも書いたので、翌日、謝罪文を載せました。おっしゃるとおりです
ね。期待できる候補者がいなくても現状反対票として投票するべきでした。日記にも書いて後悔しているところです。
2007/7/30(月) 午前 4:00st5402jp

 
恥をかかせてやろうというケダモノ心がむき出しになっています。
これがシャロームの悪意です。
 
私の不備なるところは、昔も、今も、これからも、偽らずに、自覚して、反省につなげてゆきたいと思いますが、それを、今になって持ち出して恥をかかせてやろうというあなたシャロームは、その当てつけと悪意とともに、真っ逆さまに堕ちてゆくだけなのですね。
 
あなたシャロームに刻まれているのは、悔い改めの信仰ではなく、破壊の進行になっています。
 
「故意に理解・納得できるように手を加えて誇張したり粉飾」・・まさに、あなたシャロームのやってきたことです。昔はよかった、昔が正しい、昔あんなに賛同していたではないかと、嫌がらせを言っている分、今となっては、あなたシャロームの反吐がますます臭くなるだけなのです。
 

4. shalomです。こんばんは
 2019年12月12日 18:56
> アメリカでは自分の言いたいことを
 はっきり言わないとだめなんです。>
外国に行ったことも住んだこともありませんが、
アメリカは自己主張とディベートが出来ないと
障害者扱いされるようで怖い感じがします。
私は子供のころからモジモジ・口下手少年でした。
でもアメリカなどの自己主張とディベート精神は
競争と勝ち負けの精神になって、さらに
価値基準にさえなっているような気がします。
私の先入観・偏見・杞憂ならよいけれど・・・
もしアメリカに生まれていたら私は
まともに生きてゆけなかったような気もします。
日本に生まれた私も、あまり
まともではありませんが・・・(苦笑)
2008/2/22(金) 午前 2:10st5402jp

 
恥をかかせてやろうというケダモノ心がむき出しになっています。
これがシャロームの悪意です。
 
手段を選ばなくなっています。恐ろしい人ですから、決して関わらないようにしてください。
 
私の正直なコメントをバラしています。注意してください。シャロームという人間は、逆らうと、手段を選ばず、昔書いたことも持ち出して、愚弄してくる人だということを、シャロームが表しているのです。
 
これが、カルト妄想がもたらす人格の破壊なのです。
 

こうして10数年前のst5402さんとのブログでの交わりを振り返ると、
とても素敵な交わりだったようですね!
読み直してみてふとst5402さんの心にふれることができ、
心がなごみました!

 
冗談じゃない。忌まわしいだけの騙され屋だった私です。
 
その後、シャロームの悪意に触れて驚き、心を入れ替えて悔い改め、あなたシャロームを批判するようになったのは、言うまでもありません。底の底まで腐っているシャロームです。
 
シャロームの、白々しい偽善の意図、手段を選ばない嫌がらせ、復讐心、さらに、知性も感性もなく、それゆえに、書くなと言っても書いてきて、丁寧語で悪態の限りを尽くし、心が和むと言ってのける嘘っぱちの開き直り、まるで、シャロームの裏の顔、とても醜い顔が、触れてくるようで、吐き気がします。こうなったら、おしまいです。
 

数えてみよ! 主のめぐみ!という御言葉が讃美となっています。
数えてみよ、主の恵み!つぶやきなど如何であらん!
数えよ! 一つずつ 数えてみよ、主の恵み!
shalom!

 
あなたシャロームの吐いた嘘を数えてみなさい。
あなたシャロームの投げた、騙し、当てつけ、狂気、妄想、
無責任、無反省を数えてみなさい。
数えてみなさい、一つずつ、数えてみなさい、シャロームの災い。
自分も他者も腐らせてしまう猛毒のシャローム、誰にとっても、偽善の醜さの権化。
 
キリスト者(クリスチャン)、元牧師、福音伝道などと称し、極めて偽善性が高く、受け入れたら人格破壊から社会悪に通じるような、でっちあげの妄想教理と、敬虔と勘違いしている丁寧語、表と裏、裏腹な本音、無反省など、今回は、そのようなベースからの悪意の当てつけが、シャロームという偽キリスト者、反キリスト者、ペテン師、詐欺師、猛毒伝染病原、自己中神?信仰を際立たせています。
 
信仰とは、シャロームのような者との闘いであり、シャロームのような者を否定したところに、暗示される真実を、それぞれが追求することです。
 
救いとは、シャロームが、決して救いと見なさないことの中にあり、シャロームが、嘘の和み顔で勧めるものとは、真逆の方向に向かうことです。
 
シャロームの言っていることが、常識、状況、それまでの経過と文脈、人間なら察知するべきこと、人間ならすること、人間ならしないこと、良心があれば分かることから反応するであろうことについて、それらに、全く的外れな応答をしてくるポイントを見逃さないでください。シャロームには、それらのことに全く理解の感覚、即ち、センスが無いのです。それが、自分で自分の超常世界を捏造してしまった者が受けている報いなのです。
 
シャロームを、シャロームの筆致を、覚えて、決して騙されないように、警戒してください。キリスト信仰の世界には、このような悪魔的なケダモノが、紛れ込んでいると思っていたほうがよいのです。何故なら、キリスト者は心が弱く、悪口と批判を同一視して、批判しないために、騙されやすいと思われているからでしょう。
 
 
(2019年12月13日、同日一部修正)
 
 
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  偽善者の失言集
 
 
少し手を加えたものもありますが、今までのコメントの遣り取りから、これが、偽善者、偽キリスト者、偽牧師である証拠と思うことを上げておきます。
 
 
>「罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい」
 
罪を悔い改めないキリスト信仰は、どこにもありません。
 
 

全聖書によって神ご自身がその言葉と御業によって証明された出来事を人としてわからないから、わからないと片付けてしまっては神のみ言葉と御業であるイエスさまを信じる信仰は成り立たないでしょう。

 
分からないものを、分かったと偽って、それが信仰だと言っているシャロームの正体が、今、シャロームの言葉によって、明らかになりました。
 
 

また取税人のように、権力をかさに着て、人から不当な税金を搾り取り、弱い自分を守るために、人から見下されることをひたすら恐れ、弱さを隠したり、恐れて、権力に自分の心を売ってしまい、みじめな自分を恥じて苦しんでいる人の姿です。

 
取税人には、耳あるものは聞くがよい、という、キリストの話を聞く耳がありました。それは、決定的な違いなのです。
 
パリサイ人、そして、シャロームには、聞く耳がありません。自分が神の霊によるものだということだけを根拠とする神がかりから人間離れしたものだからです。
 
 

イエスさまは
ふたりの人は祈るために宮にのぼったと言っておられます。
二人の人をくらべてどちらの人が正しいか、
どちらの人が間違っているかについて話されたのではなく、

 
 (ルカによる福音書、口語訳)18:14
あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。
  (ルカ18:14、新約聖書)
  
このように、神によって義とされたのは取税人だと書いてあります。明らかに、取税人のほうが信仰として正しいのです。シャロームは、自分がパリサイに似た信条であるために、神に背いて、故意に的を外してパリサイ人を弁護しているのです。
  
読解に必要な聖句を、故意に、自分の都合で無視する、という罪を重ねています。上の解釈から、故意であることは明らかです。シャロームは、そういう人です。シャロームが好きなのは、このような悪だくみです。
 
 

イエスさまは人の相対的な真実によって裁かれ、十字架につけられたのですが、神はイエスさまを良しとされ、義とされ、死人の中からよみがえらせてくださったのでです。

 
シャロームの安易な言葉の例です。相対的な真実、と書けば、否定できると思っているのです。私たち人間は、絶対ではなく、相対でしかないのです。
 
その相対を人間として考えることなく否定して、神が、死人の中から蘇らせてくださったと奇跡だけを、絶対だ、絶対だと、喜んでいるような、幼稚な言葉と物質的な肉体的な奇跡にのみ頼る信仰?なのです。
 
だから、誰のためにもなりません。シャローム独りが、空を見上げて、奇跡が降ってくるのを待つのでしょう。
 
 

イエスさまは十字架の上で、「私を誰も助けてはくれません」とは祈られませんでした。反対に、ご自分を十字架につけた人(私たち)のために、父よ、彼らをおゆるし下さい。彼らは自分のしていることが分からずにしているのですからと祈られました。
あなたの泣き言とは全く真逆の祈りをされました。

 
私が、神に対して、弱音を吐いたことを、泣き言と、信仰とは真逆だと、責めています。そして、事もあろうに、キリストの祈りを例示したのです。
 
次は、私がコメントに書いたことです。記事にも、既に書いています。
 
私たちキリスト者が、救い主イエス・キリストとは、違うからです。
キリストは救い主、私たちは、救いを受ける側です。
 
なのに、あなたシャロームは、それを、立派な祈りをしなかったことで、私を責めています。
 
そこに、悪魔性があり、そこに、あなたシャロームが、キリスト相当と自分を並べていることが明らかなのです。愚かな。それが、あなたシャロームの次元、誇る信仰?なのです。
 
シャロームは、現代のパリサイ人だと、私は何度も言っています。まさに、それが表れています。
 
あなたシャロームは、湖に行って、キリスト相当なら、水の上を歩けばよいのです。
  
信仰の正しさは、立派さではありません。それはパリサイ人の自慢の祈り?において明らかです。私たち信仰者は、人間に相応しい祈りをするのです。弱さを隠さずに。
 
 

16. shalomです。おはようございます
 2019年12月05日 13:19

「全聖書は呼んでいません。私が書いたのは、新約聖書を通読したということだけです。旧約は、ソロモンあたりで、ダニエル書あたりで、止まっています。責める材料にしますか。」
 」
全聖書を読んでいない。そうでしょう。
一度は読みました・・あなたは自分の正直さを強調するために、虚言したり、嘘だと認めたりして、悔い改めを演じているだけなのです。

 
悔い改めないシャロームが、私の悔い改めの何を知っていると言うのでしょう。バカ丸出しと言います。
 
安いエサ投げたら、すぐ食いついてくるパターン。
 
 
シャロームは、自分のほうが正当だ、立派だ、という主張だけを繰り返してきました。
 
その時点で、つまり、いつも、シャロームは、キリスト信仰を真逆に取り違えているのです。
 
シャロームの信仰?は、真っ赤な偽物です。あからさまに、ボロだけが出てきたのです。
 
カルト的な偽信仰は、自分を立派に見せようとし、自分を飾り、言葉を飾ります。
 
本当の信仰は、神の前で、弱みを隠さず、飾らない正直な祈りを、神に捧げます。
 
 
   「背教発言」コメント欄
   http://st5402jp.livedoor.blog/archives/4710401.html
   シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼)
 
 
しばらく鳴りを潜めていたが、また、シャロームが、恥ずかしいコメントを書いてきました。
 

1. shalomです。おはようございます
 2019年12月11日 12:15
12月15日のyahooブログの閉鎖が迫り、
相も変わらぬ妄想と虚言の締めくくりをされているようですね。

 
いつもながら結論の嘲りだけの悪口。
 
妄想も虚言も私がシャロームに対して批判として、シャロームの発言を例にあげて、根拠とともに、指摘した言葉です。こういう返し方しかできないのがシャローム。
 
批判に対する根拠ある反論も弁明も、一度もなしえたことのないシャローム。
 
>おつかれさまです。
 
当てつけの皮肉。
 

しばらくご無沙汰しました。
わたしはさいわい良い天気に恵まれた年末の日々、
一枚でもたくさんのれいわ新選組のポスター貼りに努めています。

 
善人アピール。今までの経過から、説得力皆無なので、無視。
 

st5402さんもお元気かどうかはわかりませんが、
れいわ一年も残り少なくなりました。
くれぐれも悔いのない一年としてください。

 
余計なお世話。
 

お母さんを迎えて素晴らしい時をお過ごしください。
また新たな心で主の恵みの年2010年お迎えください。

 
母を迎える?・・外出で、介護施設から一時帰宅のことは記事に書いたけど、シャロームは、親孝行のことを書けば私が自責の念でシュンとなるとでも思ったのでしょうか。
 
あなたシャロームは、学習も成長もしないから、これから2010年なのでしょうか。偽りから、偽りへ、ずっとそうやって年越ししてきたのでしょう。
 
自分の善行アピール、相手への求められてもいないお節介説教、言うだけならタダと思っているんだろうか。偽善を際立たせる結果にしかならないのに。
 

Shalom!
Shalom!
Shalom!

 
嘘のハンコを繰り返す強迫症状になっています。
 
長いこと、シャロームを見てきましたが、分析が単純になってきました。
こちらは既に何の興味もないのに、わざわざ、自ら進んで、同じパターンで恥をさらしに来るのは、無知と無恥の厚顔によって、恥ずかしさを感じないからでしょう。
 
底が知れてしまうと言うことは、哀れなことです。自覚がなければ、迷惑なことです。
 
シャロームは、見当外れも甚だしい自尊によって、根拠もなく「相も変わらぬ妄想と虚言」と、相手に言わないと気が済まない年の瀬を迎えているのでしょう。
 
そして、シャロームの丁寧語は、シャロームの嫌らしさを表すだけです。
 
根性の悪さ以外は伝わらないのに、今も丁寧語を使って、まともだと思われようとする老いの醜さが、間違ったペダルを踏み続けているのでしょう。他者を轢くことにだけはならないように、黙っていなさい。
 
 
(2019年12月12日、同日一部修正)
 
 
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  キリスト信仰ではない発言
 
 
罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい。
 (絶対自己正当化、シャローム型)
 
見かけだけの丁寧語に皮肉や悪意を込める。
 (丁寧は敬虔とは限らない。偽善者の侮りの特徴でもある。)
 
完全になれる。
 (神と人の違いの無理解、自称ヨシュア型、パリサイ型)
 
何かをすれば救われ、しなければ救われない。
 (行為義認の主張、パリサイ型)
 
信仰と関係のない個人情報をバラして罵る。
 (信仰以外で批判、罵倒型)
 
神の啓示と聖霊の導きなど神聖を根拠とする。
 (全能全知を自分に当てはめる冒涜、神がかり型)
 
自己正当化に固執。(同上、正体は自己中)
 
他者を無視してよい。
 (思いわずらうほどこだわる必要はないということを曲解)
 
神の愛がストーカーのようについてくる。
 (自己愛を信仰に結び付ける、キリストを忘れられないことを誇大妄想化)
 
罪に死んだから、罪はない。死んだから、叩いても蹴ってもびくともしない。
 (罪に死ぬ、ということの誤解~曲解、揺るがない信仰の不適切な比喩)
 
命を懸けるようなことを、ことあるごとに言う。
 (信仰者は豪語しない)
 
霊の祟り、悪霊憑き、呪いなどを言い、あと何日などと脅す。
 (嫌な予感や悪い予想を言うことはあるが、根拠を示せなければ脅し。)
 (キリスト信仰に、戒めはあるが、脅しはない)
 (キリスト信仰に、報いはあるが、呪いはない)
 (キリスト信仰は呪術ではない)
 
 
  注意するべき発言
 
 
神は、いつも守ってくれる。いつも愛してくれる。永遠に変わらない愛。
 
  どのように守るのかを、自分の都合ではなく、神に任せるのなら是であります。
  戒める神、懲らしめる神、試練を与える神を忘れてはいけません。
  神は、地上での死も与える御方であることを忘れないように。
  
  信仰が偽物だったり堕落したりすれば、神が愛してくれるは妄想です。
  それは、罪の自覚を失って、神の赦しと救いを拒む態度だからです。
 
 
ほめたたえよ、という聖句があることで、讃美しておれば信仰だからと偽善者は盛んに讃美をします。一方で、自分の罪や反省や悔い改めを語ることが全くないのが偽善者の特徴です。
 
神への讃美であるはずが、讃美したから信仰が成ったとばかり納得してしまうのは、心からの讃美ではなく、むしろ、信仰自慢になってしまうことを自覚してほしいです。
 
問題となるのは、発言そのものよりも、その心にあります。神の、愛、恵み、賜物、など、めでたいことばかり強調するのは、特に、継続して繰り返される場合は、問題というよりカルト傾向です。そこに信仰の祈りや発言が集中してしまうのは、偽善者の特徴であることを覚えてほしいのです。
 
私たち信仰者が、いつも考えるべきは、不完全な自分の自覚であり、それゆえの罪の赦しであり、それゆえの神の愛と寛容であり、それゆえのキリストの共感と愛なのです。
 
不完全で罪深い自分を憐れんで、生きてゆける者として、折々の悔い改めを受け入れてくださる御方への捧げものが、祈りであることを忘れないでください。
 
多くの恵みは、めでたいことばかりではなく、自分が生きるために不可欠の動機~情熱として、与えられているのです。
 
 
なお、いつでも、信仰に、キリストのもとに、神のもとに戻ることは可能です。
それが、神の寛容さであり、永遠に変わることのない愛なのです。
 
その都度、正直に祈ることが悔い改めであります。
 
悔い改めないのは、悔い改めの祈りをしないことであり、神の救いを自ら拒むことです。
 
神の寛容さゆえに、いつどこでも、神のほうから救いを拒むことはありません。
それゆえに、キリストの荷は軽く、神の寛容は絶えることがありません。
神の永遠不変の愛とは、いつでも、正直な祈りに答えてくださるからなのです。
 
 
この記事は、必要なら修正加筆しながら、何度も出していくことになると思います。
 
 
リブログ、または、リンク「妄想コメント」
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(2019年12月11日)
 
 
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  人からの自由
 
 
今回は、キリスト信仰の話です。前に書きましたが、キリスト信仰においても、人からの自由という大きな恵みがあります。しかし、一歩間違えると、神はいつも自分の味方、自分の敵は神の敵、いつか神が復讐してくれる、というような、恐ろしい自己中心の怨念信仰に陥る危険があります。
 
愛と恵みばかりを強調して、神への恐れ、戒める神、懲らしめる神を自覚せず教えもしない説教を続けていると、身勝手な依怙贔屓の神信仰になりやすいと思います。
 
そういうカルトに共通しているのは、自己中心、自尊の絶対化、全くの無反省、訂正不能、成長不能、そして、結果として、妄想の絶対化、理解力・共感力の喪失という人格の破壊です。
 
 
人からの自由、というのは、超人になることではないし、
 
他者からの自由、というのは、他者を無視することではありません。
 
この2つは、似たような意味ですが、カルト的思考という点では、大きな問題であります。
 
この2つを、そのまま実践しているような、反キリストのカルトが現にいるからです。
 
 
  「妄想コメント」
  http://st5402jp.livedoor.blog/archives/3906183.html#comments
  に追加して
 
その者は、
罪は悔い改めなくても救われるから気にしなくていいと言い、
 それを、キリスト信仰ではないと批判すると、
今、悔い改めないのは、悔い改めは神が与えるからだと言い、
 そのようなキリスト信仰はどこにも存在しない、
 まず最初に自由意志で告白し悔い改めるのが信仰の始まりで、
 悔い改めていないのは、神が何も与えていない証拠だと言うと、
生まれながらの自由意志ではなく
御言葉と御霊による自由意思などと言い出し
 思いつきで中身のない理解不能の造語的組み合わせを平気でしてきます。
 その場で繕っただけの言葉遊びを
 自動的に聖霊によって正当化したつもりなのです。
 
このような妄想をキリスト教として言ってくることこそ、
人間らしさから乖離した神がかりの超人意識であり
自分の思いつきが聖霊による神の啓示だと思いこみ
人間らしい自由意志を嫌い
人間を嫌って否定しているいる証拠なのです。
 
そうして、こちらの言ったことを何一つ受け取れないほど
理解力が欠け落ちている者がいるということです。
 
人間が、人間離れしたら、人格の破壊と喪失によるところの、カルト的狂気しかありません。
 
そこでは、人間離れした超人が神がかって、自分の言ったことを、総て、ほぼ自動的に、神の意志と思い込むということが起きていて、反省は皆無のまま、訂正不能になります。
 
そのくせ、何事を言うのでも、批判を受け取らず、理解も出来ず、
しかも、それほど劣悪な精神を見せながら、世辞の丁寧語によって、いつも、まともな宗教指導者であると見せかけながら、次の機会には、何事も無かったかのような白々しさで、挨拶を入れて、御託を並べるのです。
 
自尊の絶対化、という、神が最も嫌う大罪を犯しながら、いつも、神の平安の中に守られていますと言うほどの、100%の背理と、180度の逆転が、恒常的に起きるのは、初期の信仰理解が、まるで成り立っておらず、誰の話も理解できず、自分の理解というより都合だけで、キリスト教の言葉を真逆の方向に振り回して、悦に入っている人格破壊の姿であります。
 
それが、その者の中だけで終わってしまえばよいものを、そういう者ほど、その妄想を、キリスト信仰として、広めようとするのだから、迷惑というより邪悪かつ有害であります。
 
 
キリスト信仰による人からの自由は、もちろん、超人になることではなく、また、完全になることでもなく、また、ゆえに、神のしもべとして完全になるという詭弁でもなく、神に近づくことでもなく、それゆえ他者より優位に立つということでもなく、他者に対して優位になることではなく、優れた者になることではなく、ただ、主なる神を恐れるためであります。
 
キリスト信仰による人からの自由は、おもに、旧約聖書から、神の絶対を知り、それとは違う不完全な存在としての自らを知ることであり、自分と同じような不完全な他者に隷属する必要はないと言う意味です。
 
むしろ、神を恐れ、不完全な自分を知るために、神への信仰があるとも言えるのです。
 
 (詩篇、口語訳)111:10
主を恐れることは知恵のはじめである。
これを行う者はみな良き悟りを得る。
主の誉は、とこしえに、うせることはない。
 (詩篇111:10、旧約聖書)
 
キリスト信仰による人からの自由は、キリストの御名によって、他者をないがしろにすることではなく、他者に誇ってよいことでもなく、・・ただ、人間らしく生きるためであります。
 
キリスト信仰による人からの自由は、この世の形骸に命を託すことのないように、カルトの脅迫に支配されることのないように、欲望を貪るだけの餓鬼になることなく、人を貪る悪魔に魅入られることなく、・・ただ、人間らしく生きるためであります。
 
キリストの同伴という慈しみによって、人が見捨てても、見捨てられた者となることなく、絶対孤独に囚われることなく、生きることを諦めることなく、あらゆる形式に時に従うことがあっても奴隷とならず、いかなる人の奴隷ともならず、打ちひしがれることがあって失望しても、絶望とならず、悲しんでいても、絶望に支配されず、キリストの限りない愛と共感に個人として結ばれ、誤りのない生き方の境地ではなく、過ちを犯しても悔い改めて立ち直れる道であります。
 
むしろ、愛と共感を学ぶために、キリスト信仰があるとも言えるのです。
 
ゆえに、キリスト信仰の、人からの自由は、他者の思惑に振り回されることなく、どのような境遇にあっても、他者から独立し自立した人格の尊厳から、むしろ、同じ人間である他者を大切に思う心を育てるためであります。
 
 
(2019年12月10日)
 
 
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  真実の追求
 
 
真善美を求めるときに
真善美の感覚だけを追うことは
自分の感覚が上質でなくてはなりません。
 
ある程度は追うことで可能かもしれません。
しかし、真善美について人間が完全になることはありません。
 
人間は真善美よりも
その逆である義・悪・醜の感覚のほうが
得やすいところがあります。
自分の利益や尊厳にダイレクトに害があるからです。
 
すでに書いたことですが
義・悪・醜に出くわすときに
その正反対の対極に
真善美が暗示されていることを忘れてはいけません。
そしてそこには恐らく
正直で、飾りがなく、隠されず、素朴な真善美が
儚げに暗示されていることでしょう。
 
ギラギラ飾り立てた義・悪・醜からも
その対極に暗示されるところの
儚げに暗示される真善美を忘れないでほしいと思います。
 
 
必要な飾りは
真善美を讃えるためのものであることを忘れないでください。
 
言葉の問題として
飾ることが
見かけだけ飾り立てることとは違うのは
真善美を讃えるものは
深くは、悲しみを経ていることであり
近くは、どんちゃん騒ぎにならないことであります。
 
悲しみは、誰にも訪れるものであり
克服することで、人間を成長させて人間性の深みを増し
真善美に通じてくるでしょう。
 
 
また、神様は、
人が、みだらなることを最も嫌われるでしょう。
性的なことだけでなく、何事につけ、
神は、みだらなることを何よりも嫌うと思います。
 
性的なことは、いつも、みだらと言えばみだらなので、
神は、むしろ、人の性的なることを、憐れんでおられると思います。
何故なら、そのとき、人は、あられもない姿になるからです。
 
みだらなることとは、人間とは思えないことです。
人間であることを忘れる、あるいは、捨てることです。
 
だから、あらゆる行為において、みだらなることは起こりうるのです。
ときに、正義を装うかもしれません。
 
神が憎むところの、みだらなることは、人間であることを
すなわち、神ご自身の民であることを忘れて
自らが、自分勝手な神?に成りあがることに他ならないからです。
 
 
祝宴は慰めに成りえますが
しまりのない笑いがいつまでも続くものではないのです。
 
いずれ、人間は、現実に向き合う定めであります。
 
事実は、しばしば偽善者によって隠されることがありますが
 
いつも儚げに、真善美は暗示されているのです。
 
 
(2019年12月09日)
 
 
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