ウソの国:st5402jpのblog

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

年寄りです。1954年2月24日、長崎市の生まれ。17か18歳で、佐世保で洗礼を受けたクリスチャン。現在、教会へ行っていない逸れクリスチャン。ブログのテーマは、キリスト信仰と、カルト批判が中心です。ヤフーブログから移行してきました。ブログは、2010年からなので、古い記事も多いです。サポートに問い合わせて、ようやくコメントボタンが付けられました。ソーシャルボタンは、コメント欄の上に表示されることも知りませんでした。

 
  減らず口
 
   私の記事「信仰とは」コメント欄
   http://st5402jp.livedoor.blog/archives/5125376.html
   楽山やシャローム(shalom)などの易坊類
 
 
楽山やシャロームなどの易坊類は、いよいよ、本態であるところの、荒らしらしくなってきました。私としては、記事を書いて公開し、コメント欄へは、あとで、気が向いたら書き込みます。楽山やシャロームなどの易坊類に、振り回されないように。
 
人格の破壊が進んで、いたるところに、醜態を表して残しながら、なおも、正常を装う芝居として、聖句や、正論を、書いたつもりのようだが、まるで説明にも説得にもなっていないのは、既に、裏切りの背教が明らかになっているからです。
 

1. st5402さん おめでとうございます 未だ名無しです。
 2020年01月01日 17:51

 
名無しという、荒らしが来ています。
 
今まで、名前を書けと言って、ようやく、シャロームと書いてきて、ここで、未だ名無しは通用しません。たとえ、成りすましの楽山やシャロームなどの易坊類であっても、通用しない名無しを書いたことが、あなたのインチキを証明しています。卑怯者の"インチキ"と名付けておきます。
 
見る価値のない荒らしコメントが全開です。
 

聖書は信仰について次のように述べています。
 「さて、信仰とは、望んでいる事柄を確信し、まだ見ていない事実を確認することである。昔の人たちは、この信仰のゆえに称賛された。信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。」と書かれています。

 
 (へブル人への手紙、口語訳)
11:1
さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。
11:2
昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。
11:3
信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。
 (ヘブル11:1-3、新約聖書)
 
例えば、新島襄(1843~90年)は、見えないが、天地創造者である神を信じたのです。
http://seishonyumon.com/words/1950/
つまり、見えない存在を信じたのです。
 
「見えるものは現れているものから出てきたのでない」と書いてあるにもかかわらず、インチキは、見えないものまでも、念じて思い込むことで見たかのように信じたことにして語るのでしょう。
 
信仰は、気合いや思い込みで、生まれるものではありません。どうしても分かっていることにしたい偽善者の、おぞましい貪欲による思いこみの妄想と、見苦しい傲慢の現れです。
 
見ていないものを我欲に沿う都合の良さに従って、見たかのように確信してゆくカルト信仰?においては、真実の不都合な部分はことごとく排除され、総てが自分に都合の良い自己正当化の材としてとして、解釈も含めて捏造されてゆきます。
 
見ていない事実とは、上の聖句にあるように、この世界が神の言葉で作られた、ということです。つまり、このことによって、私たちは、主なる神、そして、父にして永遠の友なるイエス・キリストを認め、その真実の前で、精いっぱい誠実であろうとするのです。シャロームは、このことに、インチキの妄想と嘘によって、ことごとく背いてきたゆえ、反キリストなのです。
 

st5402さんの「信仰とは」という説明とは異なるようです。
少々わかりにくい言葉のようですから「昔の人たちは」と続いています。「昔の人たちは」とは信仰によって生き、称賛された人たちのことです。また、この言葉の後に実際に信仰によって生きた人たちの名前がたくさん記録されています。その多くの人たちは信仰がどのようなことであるかを生きることによって証ししている証人です。わたしたちは聖書によって、信仰はどのようなことであるかを多くの証人によって、教えられますが、聖書には「こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を耐え忍んで走りぬこうではないか。」とすすめています。

 
文字と言葉面の違いをもって、異なるから、違うから・・という文脈を作っています。心を理解できない者の特徴です。
 
昔の人たちについて知りうるのは聖書からですが、神によって信仰の義を与えられた人々は、一人も、シャローム・インチキのような詭弁や嘘や妄想には走っていません。
 
そのような立派な証人に囲まれているのに、「罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい」などと言って、罪を認めない、悔い改めない、という、信条を捏造したシャロームが、何を言っても説得力はないのです。このような楽山やシャロームなどの易坊類には、決して、関わってはいけません。
 

2. st5402さん おめでとうございます 未だ名無しです。
 2020年01月01日 17:52
その学べるもっとも重要なことは「わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。」というのです。
ですから、神の言葉である聖書の冒頭の言葉は
「はじめに、神は天と地を創造された。」という言葉によってはじめられ、その天地創造をされた生ける神に対する私たちの信仰は聖書の言葉によって支えられていることを教えられています。

 
文字通りに受け取って分かった気でいるインチキの話に、誰も、頷いてはいけません。信仰の心を受け取れないものだから、教条主義の文字通りの鵜呑みに走っているシャローム・インチキのインチキな説教など、決して受け取ってはいけません。楽山やシャロームなどの易坊類には、信仰に必要な心がありません。だから、名前を隠して、ゴミくずのような説教をまき散らして、荒らすしかないのです。
 

聖書によって証しされている三位一体の神に対する信仰は
死すべき、有限で、相対的な人の言葉ではなく、神の証しの聖書の言葉によって支えられているのです。
さて引用された聖書の言葉はどこに書かれているでしょうか?

 
上のへブル11:1-3は、楽山やシャロームなどの易坊類などが利用できるような聖句ではありません。罪を認めず悔い改めをしない反キリストは、聖句も、私の書いたことも、理解できないものだから、また、分かっているふうを装って、いちゃもんを書いてきます。
 
神の言葉を踏みにじり、自尊のために悪用している者には、言葉尻だけで満悦して、人を悪意で問い詰める、という偽信仰だけが与えられるという表れです。悪は悪を表し、偽善は偽善を表すしかなくなるのです。
 
今さら、まともそうなことを言っても、教える態度と見下す態度に変わりはなく、今まで、口から出まかせのボロ布のような話をしておきながら、さらに、自己正当化の解釈を重ねても、既に、嘘と偽善と背教と暴虐は証明されており、繕いようがなくなっています。
 
単方向で言いたいことだけを言い張ってきたシャローム・インチキに対しては、話にならない反キリストであることをもって、根こそぎの否定で臨むしかない成り行きなのであり、にもかかわらず、それを微塵も気にしないで、インチキが、いけしゃあしゃあと書いてくることこそ、偽者の証拠固めにしかならないのであります。
 
しかも、現実検討するだけの思慮がないので、状況からズレて大きく的を外れても気づかない、場と状況に相応しい発言が全くできなくなる、それが、シャロームのような者に、地上で不可避的に訪れる報いなのでしょう。
 
このように、偽善者のインチキは、自分を省みることができない体質であるために、代わりに、逆に質問を浴びせ、知ったかぶりで、問い詰めてきます。とても、良き訪れを伝えるという福音伝道の立場ではありません。自分が上だという尊大を示す醜態を演じる宿命が表れるだけなのです。
 
私は、聖句が、どこに書いてあるかなど暗記してはいません。幸いなことに、検索すれば、すぐ見ることができるのです。シャロームかもしれないインチキは、ネットも分かっていないようです。
 
シャロームなど彼らは、三位一体の神を信じてなどいません。何度も引用しますが「罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい」という真逆の信条や、気取りだけの思想や、子供だましの詭弁によって、自分の中でだけ、相手をやっつけた満悦に浸りたいのです。楽山やシャロームなどの易坊類は、悪意以外、何も手段にできない反信仰者です。
 

改めておめでとうございます!
良い年であるようにと祈りつつ、新年のご挨拶を贈ります!
2020年元旦

 
シャロームには、既に、書くな、来るな、と言いました。また、私の記事やコメントに対して、弁明や反論の成り立ったことは一度もありません。にもかかわらず、わざわざ来て、正論?を言ったような気になっている心無い反キリストを、変えることは不可能です。
 
私が、ブログで批判する目的は、もはや、彼らを説得することではなく、彼らに勝つことでもなく、できるだけ広く、彼らに決して関わってはいけないと伝えることだけなのです。
 
にもかかわらず、また、書いてくることで、何とかなると思い込んでいる楽山やシャロームなどの易坊類に対して、もはや、人間の訪問者としての礼儀を守ることはしないつもりです。
 
インチキには、年賀の代わりに、これからも、赦されざる罪と偽善の広い門から暗闇へ、ズルズル堕ちてゆく日々が続くのでしょう。ここに至って、名前を出さないことが通用するという自己中判断が成り立つと思っているようですから、また一段階、破壊が進行したようです。
 
私は、楽山やシャロームなどの易坊類を説得するような記事もコメントも書かなくなって久しいのですが、楽山やシャロームなどの易坊類は、私に依存しているのでしょうか。縋りつくように、書くことを止めないのです。
 
今までも、そして、どこまでも、健全や正常から、どんどん外れてゆきながら、なおも、自己満悦しているかのような有り様は、傍で見ていても、とても人間とは思えないものです。
 
 
信仰を理解するのに、条文のように、言葉を絶対化しても、人間の言葉しか知らない私たちに理解はありません。物や肉体への魔法のような超常の奇跡を期待しても現実の埒(らち)は開きません。総てが益となることを勘違いして、欲望と自尊をたくましくするだけなら、都合の良いことだけを言ってくれるカルトを求めて、空しく巡るだけになるでしょう。
 
聖三位の、神、キリスト、聖霊について、人は、聖書を通して学びます。そこに登場する人々と、私たち個人の事情は、似たところもありますが、時代も違っていて、ひとつひとつのことについて、聖書も、詳しく教えてくれるわけではありません。
 
このことから、私たちの人生こそ、聖書によって知ったことを考えて生かす機会であり、また同時に、人は人の出来ることをして、出来ないことを神に任せるという生き方の学習なのでしょう。限りある人知であるからこそ、それを、地上の人間として生きる間、精いっぱい働かせることが信仰の務めとなるのです。
 
私たちが、何故と考えあぐみ、非合理と感じてしまうところの、地上の悲しみに暮れる時にも、私たち一人一人の心に、祈りを通して、近しく親しく永遠の友として同伴し、絶えることなく潤いと温もりを注ぎながら、主なるご自身の所有となったゆえ手放さず私たちの命を歩ませる至上の慈しみが存在する、という魂の奇跡があることを、どうか、忘れないでください。
 
 
(2019年01月09日)
 
 
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  今さら何?
 
   「無駄なあがき(2)」コメント欄
   http://st5402jp.livedoor.blog/archives/5082742.html#comments
   シャローム( shalom、シャロム、あなた、彼)
 
 
シャロームは、共感めいたコメントを入れています。ホームドラマのような近況も書いています。しかし、「悪あがきはやめて」という雑言を書いています。つまり、良さそうな言葉を並べることも偽りであり、それがバレるような書き方になってしまうのです。
 

1. st5402さん おはようございます shalomですよ。
 2019年12月27日 10:48
今年も残すところ五日となりましたね。
きのうも今日も、いつまでもお疲れ様です。
悪あがきはやめて新しい年の大切な一歩、新しい一歩を
始めるために備えましょう。
お母さんとのしばしの交わり、楽しいひとときとなりますように!

 
シャロームは、世辞を言いながら、しっかり、本当の励ましなら決して書かないはずの、「悪あがきはやめて」と、嫌がらせ、入れています。恐らく、染みついているのでしょう。自覚もなく、相手をおとしめる癖が出ています。
 

以下 stさんの日記より引用。
さあ、早く、ゴミ屋敷を脱することが出来ますように。
人類にとっては、取るに足らず、見る価値もなく、実際、見る人などいない弱い私の一歩だが、
私にとっては、これから長くはないであろう余命の、死活を左右する、大切な一歩なのです。
そのアホみたいな一歩を踏まなければ、次の一歩はないのですから。
引用終わり。

 
母が、介護施設から、病院に通院したときの記事ですが、
http://st5402jp.livedoor.blog/archives/2934735.html
https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12527843546.html
 
ゴミ屋敷をネタに、からかいに来たのですか。
 

わたしも全く同感です!
人の目にはアホみたいな一歩ですが、
死活を左右する主にある大切な一歩、新しい一歩を
ともにはじめましょう!
すばらしい御言葉を贈ります。
どこに書いてあるかはきっとご存知でしょう。

 
かつて、自称ヨシュアが取ったのと同じ手段ですが、信仰についての話で反論が出来なくなったものだから、私の個人情報を書いた記事から無断引用してきました。私の記事「憂い、近況」
https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12527843546.html
http://st5402jp.livedoor.blog/archives/2934735.html
 
今までのことを考えれば、真心を込めたとも言えず、信仰について書いたということにもならないのですが、シャロームは、相手を低く見ているので、相手の弱点について、おとしめるダメ出しをするために個人情報を勝手に引用してきます。
 
こういう行為は悪意に基づいています。何故なら、ここを引用しなくても、人並みの理解力があれば、私の信仰についての意見を読むことは十分に出来るからです。
 
実際、シャロームは、引用しても、嘘の世辞言葉に、かこつけることしか出来ていません。
 
シャロームは、上のほうに「悪あがきはやめて」と言って、それを含む流れのコメントでありながら、嘘っぱちだと分かるような、うわべだけ、共感めいたことを書いてくるのです。こういう感じで、あなたシャロームは、あなたの白々しくバレバレな嘘の世辞言葉を垂れ流してきたんだと、こちらも、分かってくるわけです。
 
ここにも、シャロームの傲慢が表れています。「人の目にはアホみたいな一歩ですが」「死活を左右する主にある大切な一歩、新しい一歩を」「ともにはじめましょう」と言っていますが、ともにはじめる、という共感を書いたつもりで、自分を高めています。自分の目にはアホではなく、むしろ、アホではないことを分からない人の目を軽く見ていることが表れているからです。
 
悪意をベースとしている下種の発言には、言葉面を整えても、嘘っぱちは表れてくるのです。
 
深読みだと、だれでもそういうことはあると、思う人がいるかもしれません。しかし、シャロームにおいては、このようなことが、何度も何度も繰り返されてきたのです。その常習性をもって、批判対象となり、ゆえに、深読みではないと主張します。
 
このように、シャロームの破壊された口と言葉は、他者への侮りを書かないではいられないのです。自らを絶対正当の訂正不能としたせいで、自らを見ることができなくなり、反省することのできない者は、良さそうな言葉を組み立てたつもりでも、注意すれば、尊大な自分を表してしまうのです。
 

「だれでもキリストにあるならば、
その人は新しく造られたのである。
古いものは過ぎ去った。みよ、すべてが新しくなったのである。」

 
古い「罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい」という信条のままのあなたシャロームは、新しくなっていません。
 
言ったことも、当てた聖句も、全部、あなたに帰ってゆきます。つまり、何かをするたびに、言うたびに、罪と偽善だけが、新たに加わるシャロームです。
 

孫娘が初めて自分の預金通帳を造ったとか・・・。
これから初めて新しい通帳にクリスマスに会えなかったので、
クリスマス・プレゼント兼お年玉を振り込みに行きます。
shalom!

 
ホームドラマのような近況を書いても無駄なのです。暗闇のお年玉を振り込み、罪の門松でも立てるつもりでしょうか。
 
ずっと、あなたシャロームは、家族にとっても親族にとっても、恥ずかしいことをしてきました。バレないように隠す日常しかなくなっているのです。
 
早く、身内も、本当のあなたシャロームを知るべきです。真実に背を向けて生きてきたあなたを。
 
今回、明らかになったのは、偽信仰の悪魔性によって、隠しても漏れ出てくるシャロームの腐った性根です。シャロームの世辞言葉のたびに、同じように書くことになります。
 
 
  批判対象
 
キリスト者(クリスチャン)は、神の民であるが、それゆえに、神に比べて自らの、低さ、小ささ、不完全、罪の性質があることを自覚している。
 
人に対して、ましてや、神に対して、自らを、高くしない。
 
キリスト者が批判をしないという意味ではない。敬虔とは、おとなしいことでもないし、口数が少ないことでもない。こういう先入観は、相手を黙らせるために悪用される間違いである。
 
ここは、気をつけてもらいたい。反キリストの偽善者は、批判禁忌の先入観をフルに利用してくる。
 
キリスト者にとって、最も批判対象となるのは、キリスト者を自称しながら、高慢であり、完全の意識が高く、罪を認めず、悔い改めの祈りをしない者である。また、そのような偽善者の仲間である。しかも、それが、常習として、繰り返される場合である。
 
批判は、悪口を言うこととは異なる。悪口は罵詈雑言で十分だが、批判は、必ず、批判する根拠を明らかにして指摘することが必要になる。
 
よって、批判は、罵詈雑言だけではなく、話の通じない楽山やシャロームなどの易坊類への鬱憤晴らしでもなく、彼ら以外の、一般の良識ある人々に向けて、真実を追求するために、美辞麗句だけでは決して表せないところの、説得力を学び養うための批判者の努力の経過ということになる。
 
批判することは、批判する気持ちの強さのない人や、批判する能力が足りないという自覚を持っている人に、強制されることはない。
 
批判することを、悪い言葉を使ってはいけないと禁じ、批判しない自らの正当化するのは、正常な人間活動を学習せず抑制し、キリスト信仰をおとしめる悪と偽善の活動に対して出来ることさえもしないでいるところの、怠慢である。
 
 
自己愛性人格障害ナルシシストの特徴:
 
01.自己愛、自己中心、自尊過大、自己中の見解を、客観視だと思っている。
 
02.無反省、訂正不能、
 
03.自己の特別視、何か優れた特別の存在、と思っている。
 
04.他者を自分より低く見て、いつも、上から批評する見方と立場。
 
05.入り口では、大方、丁寧語を使う。さらに、しばしば、バカ丁寧。
 
06.あるいは、自信なげな、謙譲言葉を使う。わざとらしい。
 
07.笑い、特に、愛想笑いするが、反面、あざ笑いがベースにある。
 
08.トラブルに際しても、動じないふり、しかし憎しみ~怨念が根強い。
 
09.それら以外の感情を持てない。特に、罪悪感、羞恥心を持てない。
 
10.情がない。共感性の欠如、あるように見せかけるが、しらじらしい文言だけ。
 
誰にでも、少しは、ありそうな特徴だが、指摘されると、分かったふりをしても、無視していて、その前後で何も変わらない"無反省、学習不能"であることから判断される。すなわち、どこまでも"訂正不能、単方向、不感不変不応"が決定的な要素である。
 
 
(2019年01月08日)
 
 
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  サイコパス、カルト
 
   『夜の哀しみ』三浦哲郎:抜粋
   http://mn266z.blog.jp/archives/22600729.html
   楽山日記(仮、倉庫)
 
 
良心の呵責を感じない楽山が、良心の呵責を感じないサイコパスについて語っています。自分は違うと、的を逸らすためか、いわゆる予防線だと思います。
 

*悪役とサイコパス
本作の登場人物の中には、サイコ的なものが二人いる。聖次と克夫だ。聖次は自分のために人を利用し、用済みになれば捨ててかえりみず、その事に良心の呵責を感じないらしい。克夫もこれと大同小異で、人の弱みに付け込み、それを最大限に利用しようとする。人を苦しめることに楽しみを感じてさえいそうだ。

 
楽山は、サイコパスと思われるシャロームの仲間です。お仲間として、シャロームの味方をしました。シャロームは、何でもいいから打撃を与え、相手を打ち負かすことを悦びとして、しょっちゅう、憎まれ口を、悪口を、いろんなことをネタに、個人情報までバラして、叩いてきます。
 

身から出た錆とはいえ、この二人に挟撃されている登世は、本当に気の毒だ。登世はこの二人に出会わなくとも結局は道をあやまったのかもしれないが、この二人と出会わなければ大過なく過ごせたかもしれないのだから、ここは同情しないではいられない。

 
楽山が、被害者に同情すると言うのは、やはり、自分は違うという予防線でしょう。シャロームとの連携は硬くて、ボロボロだけど、縁が切れることはないようです。仲間か、成りすましか、親族か、など、疑っています。
 

小説に限らず、映画やドラマでも、悪役はサイコ的な特徴を持っていることが多いが、そういうものを見るたびに、「相手がサイコパスだと気付いたら、即、逃げろ!」という教訓は本当だなと思わないではいられない。

 
「即、逃げろ!」・・なのに、楽山は、シャロームと仲良しです。今後も一緒に、キリスト教とキリスト信仰を、おとしめてゆくのでしょう。罪悪感を感じないで嘘も好きなようについてきたシャロームと仲良しの楽山が、サイコパスについて書くのは、笑止、いや、悪意の企みです。
 

現実のサイコパスは、小説や映画ほど分かりやすくはないだろうが、百人に一人はサイコパスだという調査もあるようだし、用心するに越したことはない。むやみに人に偏見を持ったり、差別したりするのはよくないことではあろうが、サイコパスの疑いがある人とは、距離をとるのが無難ではあるだろう。

 
こういう、自分は関係ないけど、みたいなことを平気で書けることが、疑いを深くするでしょう。「距離を取るのが無難」と書いていますが、上では「「即、逃げろ」という教訓は本当だな」と書いている不整合に気づかない人のようです。「無難ではあるだろう」と、「即、逃げろ!」・・この2つは、ニュアンスが違う?、いや、全然、違うと思います。私は、批判するようになってからは、一貫して、関わらないようにするしかないと書いてきました。
 

本作は、性に翻弄され、道をあやまった女の物語とも読めるが、サイコパスに利用され、破滅させられた、無垢な女の物語とも読めるだろうし、その意味で不倫ものではなくて、サイコホラーと言えば言えそうでもある。不倫ものには興味ないという人でも、サイコパスの怖さを知りたい人には、一読の価値ありである。

 
私が言いたいのは、サイコパスの怖さを知る前に、楽山やシャロームなどの易坊類からは、即、逃げろ!です。他人事ではないのです。罪悪感がない、反省しない、人の言うことを受け取らない、自己中心、訂正不能、ナルシシスト、という共通点のある3者です。
 
 
  宏洋氏の動画を見てみた!
  http://mn266z.blog.jp/archives/22600860.html
  楽山日記(仮、倉庫)
 
 
他者の口を借りて、自己弁護したいのでしょうか。自分のことは、棚に上げて。
 

*カルトはどこも一緒
この本はまだ未見なので、こういう動画を見ると読みたい気持ちが高まってくるなあ。
「カルトはどこも一緒…」という言葉については大いに共感する。紹介されてる書籍はまだ読んでないけど、他のカルト関連の本を読んでても、元信者さんらの言葉を聞いてても、そういう感想はもちますね。
カルトによって、その程度、言葉遣い、信仰対象などに違いがあったとしても、基本的なところは同じだなあと。

 
これは、楽山の筆致です。楽山は、カルトはどこも一緒、という意見に共感するのだそうです。私としては、カルトは違法行為に走る前日はカルトでないかと言えば否ですから、その成立過程は様々だと思います。まだ、目立たないカルトがいっぱいいるだろうとも思います。だから、みな一緒ではないでしょう。
 
共通しているのは、社会悪に発展しうる現実離れの神がかりの教祖中心の信条、そして、訂正不能、罪悪感も捨てる、反省しない、根拠のない異常な確信、などです。妄想の定義に似ています。
 

*にがい顔
エホバの証人については、自分は、二、三の思い出がある。一つは社会見学のつもりで、王国会館に行ってみたときに、自分の隣りでにがい顔をして座ってた男性に「信者ですか」と聞いたら、ぶすっとして首を振っていたことだ。
そのときは、信者の奥さんに無理矢理つきあわされて、ぶすっとしてるんだろうと想像しただけだったが、今にして思うと、いい年した大人の男性が、みなが笑顔でいるところで、一人だけ不機嫌を隠そうともしない状態というのは、よほどのことだったろうなと、前以上にこの男性に同情してしまう…。

 
まだカルトに属している状態の人に同情するのだそうです。この状態で同情は届きません。同情するのは脱却するときでしかないでしょう。
 
それと、不機嫌を、カルトの現れみたいに書いているのは、根拠にもならない邪推の段階でしかないでしょう。何の言い逃れか、実に奇妙なことを楽山は書いています。
 

*マイコン
もう一つの思い出は、近所の本屋の店員さんがエホバの証人だったので、「輸血拒否っておかしくないですか」と聞いたら、微笑を浮かべつつ、ゆったりと頷き、「勉強すれば分かりますよ」と言ってたことだ。

 
カルトにおいて、恐らく、勉強は洗脳だろうと思います。否と言えない状況に置かれて、同じことばかり聞かされ読まされていると、分かったような気になるのでしょう。自己暗示でもあるのでしょう。楽山には、どういう思い出なのでしょう、忌まわしい記憶とは、言わないようです。
 

ちなみに先の記事に取り上げた本だと、「今にわかるよ! もっと学ばねば!」というのは、マインド・コントロールで使われる常套句らしい。常識的にはおかしいことに思うかもしれないが、教義を学ぶと真実だと分かりますという風に、教義を学び、その通りに思考することを促す言葉。

 
やはり、勉強というのは、教義を学ぶことですから、閉鎖された環境で同じことを聞かされ読まされることなのでしょう。
 
しかし、それ以外に、シャロームや楽山などの易坊類のやり方として、丁寧語や、ボンヤリ言語で、婉曲的に暗示したり、印象を吹き込まれることも、特に初期には、あるでしょう。そこから罠は始まっているのです。
 

当たり前に考えてみれば、その宗教の教義を学ばなければ分からないというのは、ようするにマイコンされなければ分からないということなんだから、分からないままでいるのが正解なんだけども、教団の中にどっぷりつかっていると、この辺りの常識を見失ってしまうのが悲しいところだ。

 
ボンヤリ言語で婉曲的に吹き込まれるときには、印象または先入観として植え付けられるでしょう。楽山が、しばしば、曖昧表現で言って、いつのまにか、何かを否定し、何かを植え付けようとするのも、印象操作という暗示で吹き込むやり方でしょう。
 
楽山は、アドラー教の影響と受けています。そして、気に入らないことは無視しましょう、という信条を書いています。それは、今も、訂正されておらず、生きていると思います。彼は、気に入らないこと、都合の悪いこと、失言などは、まるで、記憶に残っていません。
 

教団内では、教義に則って考え、行動する人ばかりなんで、そういう人たちに囲まれていると、自分からすすんで教義に染まり、みなと同じになりたいと思わないではいられなくなるとか。

 
楽山は、シャロームの味方です。「罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい」という真逆の信条を持つ凶悪偽善カルトのシャロームを、熱心な信仰と褒めて、味方したのです。これは事実だから、心から改めない限り、何度も言うことになります。
 
シャロームについては、約8~9年、批判していますが、まるで変わらない訂正不能で、人間性が破壊され、楽山同様、不都合を、覚えていません。そういう凶悪なシャロームと縁を切ろうとしない楽山を、信頼するのは、極めて危険です。
 

マイコンはカルトに限らず、大なり小なり至るところに存在するという見方もあるけれども、カルトのように一般常識から極端にズレたことを正当と思わせるというのは、巷によくある誤解、偏見、先入観の類とは大分ちがうし、本人にとっても社会にとっても悲劇だし、ここは気をつけなければならんと改めて思う。

 
楽山は、カルトが社会にとっても悲劇だと言いながら、私が、楽山やシャロームをカルトだと指摘したことには、何も反応しないし、ここにも何も書かない、これこそが、情報の選択であり、逆に、カルト被害者を装う軟派カルトのやり方であると、前に書いたと思います。
 
共感を装って、言い逃れをする楽山は、カルト被害者ではなく、カルト宣伝者です。のんびり、まったりした話題を提供しながら、読書自慢して、分かっているふうの知的で柔和で中立な人間を装うので、押しの強い硬派カルトより、さらに厄介になる可能性があります。
 
カルトではないかという目で見てゆくと、相当、白々しくて気持ちの悪いことを言っていることに気づくでしょう。私は、いつも自己顕示欲と自己正当化を出してくるくせに、キリスト信仰だと言い張るシャロームの「罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい」という、とんでもない真逆の決定的な偽信条を中心に、楽山が、味方したときからカルト、あるいは、カルトの手下か仲間だと判断しています。
 
 
(2020年01月07日)
 
 
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  丁寧語の災い
 
   「知と恥を捨てる者」コメント欄
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   シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼)
 
 
シャロームは、バカ丁寧語で、まるで今でも先生であるかのように書いてきます。もう、既に何度も馬脚をあらわして、偽善者でしかなく、反キリストでしかなく、良心の欠片もないことが明らかになっており、弁明の余地はないのに、まだ、何かを教えようとする、びくともしない説教根性というより因業であり、シャロームが、何かを書けば、嘘か妄想か背教が、そのたびに明らかになるという繰り返しの成り行きであります。
 
シャロームは、もはや、常識的な判断力がないのでしょう。完全に拒否しているのに、相変わらず、お愛想で訪問すればよい、と思っているのです。総てが崩れているのに。つまり、シャロームは、既に瓦礫と化した中を、デパートの売り場を巡るように、和みを表しているつもりの世辞とともにうろついている亡者なのです。説得力の欠片もないからです。
 

1. shalomです。おはようございます
 2019年12月16日 08:49
引用した言葉はST5402さんが書かかれたものです。
精神科の医師として患者さんと面会し、あなたは大切なことを学んでいながら、実践しておられることは前半だけで、後半は少しも実践していないようですね。

 「精神科の面接をしていて、心に弱点を持つ人に接して、考えたことがあります。依存されないために大事なことは、好意的な、よそよそしさを持つ、ということです。あなたはあなた、私は私、でも、できることはしますよ、というスタンスを持つことが大切だろうと思っています。これは、精神的な距離の問題ですが、距離という言い方をしなくても、当然のことなのです。」
 「あなたはあなた。私は私、でもできることはしますよ、というスタンスを持つことが大切だろうと思っています。これは、精神的な距離の問題ですが、距離という言い方をしなくても、当然なのです。」
  」
いいですね!

 
私が、個人のこととして書いたことを、好きなように持ち出して、あたかも一人前が半人前に節世でもするように、いいですね!と、ここに至って、丁寧語でごまかしていますが、シャロームの丁寧語=慇懃無礼の害毒であること知ってほしいと思います。
 
「後半は少しも実践していないようですね」と、シャロームは、シャローム自身に対しては出来ることをしていない、と言いたいようです。これが、慇懃無礼の、無礼です。反キリスト丸出しのシャロームに対しては、書いてくる嫌がらせを根拠を上げて否定するのみであり、好意的に出来ることなどありません。もはや、シャロームは、背教と反キリストの実例としての資料に過ぎません。
 
シャロームは、持ち前の丁寧語という害毒で、偽善的に、思いやりを示したことにしていますが、シャロームの丁寧語は、底意地の悪さを隠すための、言うだけはタダという、これも気持ちとは裏腹な作り事、つまり嘘なのです。長く受けておれば、むしろ、いっそう、嫌らしさが伝わってきます。これが、学習機能の、有りと無しの違いなのです。学習しない者は、成長がないので、嘘で飾り続けるしかなくなってゆくということです。
 

2. shalomです。おはようございます
 2019年12月16日 08:52
精神的な距離という言葉もいいのですが、私は境界線という言葉をよく使います。アドラー心理学もとても大切にしている考え方のようです。
日本社会は母性社会であり、自他未分化、共依存社会ですから、この人と人との精神的な距離、境界線が不明瞭な社会であると「母性社会日本の病理」において河合隼雄氏は書いておられるようです。
自分が自分であることができないため、他者を他者として認め、人を個人として受け容れることができない、つまり、自分と他者を区別できず、あるがままで受け容れることができない、愛することが執着化してしまい、心の病の主因ということもできるかなと思います。もちろんその他の多くの要因はあると思われますが・・・

 
あなたの見解など、何も聞いておりませんが。あなたシャロームの日本語は、ずいぶん以前から、理路もなく共感も感じないと言ってきました。心が無いのに、何かを伝えた気になりたいのでしょう。境界線、母性社会、自他未文化、共依存社会、・・シャロームの言っていることは、既に、大方、私に当てつけたボロクソ節なのです。そういう話を何度も聞かされている者、つまり、こちらとしては、おえっと吐き気を覚えるほど、食傷する独り善がりなのです。
 
既に、私を、散々貶めてきたという今までの状況で、今ここで、その話をして、教えようとすることが、状況からありえないし、独りで浮いている格好だし、奇妙で不適切であるということが、弁えることも出来なくなっているシャロームです。鬼のような顔の次の瞬間、仏の顔真似だけしてくるのは、嘘吐きの詐欺師だからこそできる劣悪な原始反応です。状況の把握ができない証拠です。
 

※人を個人として受け容れることができない・・・
自民党の憲法改正案には現在の憲法に規定してある「人は個人として尊重される」ではなく、「人として尊重される」という文に書き換えられていることは注目しなければなりません。基本的人権を否定する道に通じています。

 
ここで、脈絡もなく、政治の話になっています。嘘吐きの話を、誰かの正論の引用であっても、決して受け入れてはいけません。これも騙しのテクニックです。体のいい返事などすると、大喜びの振りをして、うんざりするような続きを聞かされるでしょう。すでに経験・実証済みです。
 

グローバル化し、異なる国、民族が、異なる価値観、文化が激しく衝突を深め、国も民族も、個人もアイデンティティー危機によって、ますます混乱と閉塞感を深めていくことでしょう。
分断を深めていくか、統合の道を見出すことができるか?
わたしたちは、死ぬか、生きるかの分かれ道に立たされているようです。迷走と模索は続きますが、人の手の内に、その道があるのか疑問です。 

 
このような話は、シャロームの得意なボロクソ節です。独り有頂天の誇大妄想です。言論が統合を失調しているのは、文脈が、個人の人間関係から、国政の話へと、脈絡もなく飛んでいます。つまり、その間にあることを、スコ~ンと無視している、つまり、話の筋を負えない、シャロームです。
 
グローバル化、民族、価値観、文化、衝突、国、アイデンティティー危機、混乱、閉塞感、いずれも、シャロームが、既に、他者の言葉を拾い集めてこと言葉で、深い理解も考察もなく、自分は政治をも語れるのだ!豪語でもしたくて興奮したときに、並べ立てるボロクソ節であります。
 
あなたシャロームには、悔い改めないのであれば、キリスト者として生きる道はありません。また、政治思想は、あまりにも貧弱でお粗末な、受け売りと人真似と誇大妄想ですから、これも、生きる道にはなりません。
 
みんな、バレてしまったのです。反キリストのシャローム、せめて、黙っていなさい。退いて、二度と来ないように。
 
このシャロームに対して、かわいそうなどと思ったら、あざ笑う用意だけはいつもしているシャロームに、逆に、調子に乗られて、食われてしまうわけです。既に経験済みのことです。
 

3. shalomです。おはようございます
 2019年12月16日 08:53
統合の道は人の道か?
 新約・マルコによる福音書1章1~3節
1:1 神の子イエス・キリストの福音のはじめ。
1:2 預言者イザヤの書に、「見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの道を整えさせるであろう。
1:3 荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と書いてある。

 
先ず、おのれから、まっすぐにせよ。嘘を吐くな。これは、聖句というより、信仰に適うところの、人間の道徳です。しかし、いちばん大事な、正直さを、シャロームは、全く持っていません。
 
>統合の道は主の道か?
 
先ほどの政治の話の「統合の道を見出すことができるか」の流れなら、
 
 (マタイによる福音書、口語訳)22:21
彼らは「カイザルのです」と答えた。するとイエスは言われた、「それでは、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。
 (マタイ22:21、新約聖書)
 
と書いてあります。信仰の話に、政治をぶっこむな。
 

新約・マタイによる福音書7章13~14節
7:13 狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。
7:14 命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。

 
あなたシャロームは、安易な、ぱっくりと大きな口を開けた罪と偽善の門、広き道、嘘吐きの道、讃美しておけばいいという大袈裟な豪語の道、他者を気にせず失禁する流涎の言葉とともに、陰気な暗闇の洞窟を、ずっと、選んで、実際は独りで、堕ちてきました。
 

ST5402さん 永い間ほんとうにお疲れ様でした。
随分悪態をつき、有終の美とは程遠い終幕となりましたが、
ありがとうございました!
人生の終幕はイエスさまの死と共にもう既に切り裂かれ、
拓かれていますので、希望をもって、
イエスさまが開いてくださった新しい道を歩みたいと思っています。
Shalom!

 
こうやって、言葉面だけ、整えようとするのが、あなたシャロームの、忌まわしい丁寧語なのです。昔、ずいぶん騙されたものです。丁寧語の中の、獣性を見逃さないことが大事です。
 
「随分悪態をつき」・・あなたのことですか。心にもないことを。もう何を言っても信頼されないところに来ています。
 
「イエスさまの死と共にもう既に切り裂かれ」ているなら、あなたシャロームの「罪は悔い改めなくても赦されるから気にしない」信条も、今までの嘘っぱちも、無かったはずなのです。
 
「イエスさまが開いてくださった新しい道」・・悔い改めない者には開かれていませんし、希望もありません。白々しい聖句引用はやめてください。全部、嘘でした。そして、全部、嘘です。今となっては、もう、はっきり言えることです。
 

14. shalomです。 おはようございます
 2019年12月16日 13:17
>>9
「せめて、黙っていなさい。退いて、二度と来ないように。」
アレッ st5402さん 妄想癖、虚言癖に加えて、健忘症も加わっているようですね!まだまだ私に比べてお若いのに・・・
かつては、私が死ぬまでつきまとって批判し続けるんだとおっしゃっていましたね。

 
私の「みんな、バレてしまったのです。反キリストのシャローム、せめて、黙っていなさい。退いて、二度と来ないように。」に対するコメントですが、私が、人間だからです。あなたシャロームと違って。
 
あなたシャロームが書いてくるなら、前と同じです。ずっと、そうしています。しかし、今は、あなたシャロームが、愚かな、おとしめ言葉しか書いて来ないほどに、堕ちていますから、そのような言葉に付き合いたくないからです。
 
あなたからの殺意を感じるからです。あなたはサイコパス、人の滅びも死も、何も気にならない人格です。人間らしい感受性がなくなっています。そういう人だと思うようになっているから、低い評価の中でも、さらに低く、邪悪だ、という方向になってきたということです。よって、愚かに付き合って体力を消耗して死ぬのは嫌だなと、ふつうに思うわけです。
 

聖書には神様は試練も与えられますが、逃れる道も備えてくださるという言葉もあります。
yahooブログの閉鎖という思いもかけない道を備えてくださったのですね!
また新しい道はst5402さん自身が開いてくださったようです。
人には神の御業は初めから終わりまで見極めることが出来ないという言葉もありますが、本当にそうだなと、心からの讃美と感謝をささげています!

 
いちばん邪悪なことは、神の意志と行為である導きを、決めつけることです。神を恐れない者だけがすることです。自分の意見を、神の啓示と聖霊の導きによって、正当化し、絶対化しているあなたシャロームは、具体的に道を備えて下さった、開いてくださった、と決めつけながら、見極めることができない、と書いています。何も整っていないから、何も実がないのです。
 
つまり、自分に都合の良いようにだけ、決めつけていることが、明らかになっているわけです。今までも、ずっとそうでしょう。あなたは、嘘っぱちを書いて、しかも、嘘っぱちであることを、自ら、表すようになったのです。「心から」の心の無いシャロームの讃美は酸味の腐敗臭です。
 

それなのに、退いて、二度と来るななんてつれないお言葉ですね!
yahooブログが閉鎖され、寂しい思いをしていたのですが、
st5402さんが私の言葉を伝達するために、たくさんブログを開設してくださったので、
私は新しいブログを開設する手間が省けて喜んでいるのです・・・が・・・
ハレルヤ!
Shalom!

 
また、嘘を吐いている。いつも、嘘を吐いている。どこでも、付き合えば、結局、嫌がられる存在として、生息してきたシャローム。どこにも、弁明の余地がなくなっても、殺意に匹敵する無視の力で、人を人とも思わず、「手間が省けて喜んでいる」というような、余裕を見せようとする。
 
これは、サスペンスドラマなどによくある極悪人の、相手を呑みこんだつもりの醜く陳腐な台詞、つまり、根っからの悪にしかできない悪意の強がりです。わけもわからず余裕に見せかけても、あなたは、既に、丸裸なのです。
 
この悪意は、易坊に通じる筆致。
 
そうだ、いつも感じていたのは、シャロームの、この獰猛(どうもう)な極悪人気質、人が死んでも、そのそばで、ゲラゲラ、ニヤニヤ、笑っていられるような、人間らしい感情を殺してしまった者だけが持つところの、人ではなく、ケダモノの中の、とても醜くて、醜悪な気質として、よだれを垂らしているイメージ、そして、その臭いだ。
 
喉を鳴らすのが、聞こえてきそうな、冷や汗と蒸気と粘液と、蒸し暑い息の臭さが漂ってくるようだ。しみついた常習の詐欺師の臭い。あなたシャロームの書く、わざとらしい文章に深く深く染み込んでいる、この臭いを、私は、あなたの文章を見るときに、いつも感じていました。
 
 
(2019年01月06日、同日一部修正)
 
 
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  精神病理を当ててくる
 
   「疲労性病原」コメント欄
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   シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼)のコメント
 
 
シャロームの、いちゃもんですが、いつも以上に、異常です。
 

1. st5402さん お久しぶりです。
 2019年12月19日 13:21
ブログ移行には以下のst5402さんの記事引用のようにずいぶん苦労されたようですね。

「ブログ移行の件:
前にFC2サーバーの移行ツールを使ってコピーしたが、カテゴリーと記事内のリンクが反映されなかった。
今回は、ヤフー提供のライブドアのツールを使って移行してみた。1時間かからないで、カテゴリーも記事内リンクも正常にコピーされたので、嬉しくなって、いくつかのブログにライブドアがいいとコメントを書いた。
早計であった。というのは、コメント欄が表示されていないことに気づいたからだ。設定をいじくってみたが改善されないので、サポートに問い合わせた。
最初に来たメールは自動返信なので当てにしない。2つ目のメールが回答だと思ったら、基本設定で何でもできる、という感じのCMみたいだったので、できないから問い合わせたのに・・と、少なからず、がっかりして、こんなメールは要らない・・と、今度はライブドアお勧めコメントを取り消すコメントをあちこち書いた。
早計であった。3つ目のメールが来て、見逃した設定項目「(コメントを)すべて受け入れる」をオンにするなど具体的なアドバイスが来て、それで、コメント欄を表示する小さいボタンが付くようになった。
ということで、今、記事を書いている。
これで、ブログとして私の需要を満たす機能がそろいました。
 」

 
シャロームは、ヤフーの紹介によるライブドアへの移行ツールを使って、私のヤフーブログを、ライブドアにコピーしたときの、私がサーバーに問い合わせた内容と、移行初期のトラブルについて、私の記事かコメントをコピペしているようです。この時点では、シャロームの意図も目的も分かりません。
 

2. st5402さん お久しぶりです。
 2019年12月19日 13:24

今、気になっているのは、これで、現時点で、計5つのサーバーに私のブログがあるわけだが、そのリンクをライブドアブログの記事の文末につけたところ、フォントがおかしくなった。そして、それを修正すべく、修正を繰り返すたびに、記事本文は何とか正常だが、他ブログサーバーへのリンクは、ますます小さくなり、ついには、糸みたいに細くなって、殆ど読み取れなくなってしまった。
 「これは、故意なのか、バグなのか、分からないが、」
こういうことも含めて、ヤフーからの移行先のメインブログにするか、バックアップにするかを決めるのだから、
 「故意だったら、こういうことはしないでほしいし、故意でないならばバグを直してほしい。」
引用おしまい。
「そして、それを修正すべく、修正を繰り返すたびに、記事本文は何とか正常だが、他ブログサーバーへのリンクは、ますます小さくなり、ついには、糸みたいに細くなって、殆ど読み取れなくなってしまった。」
 」
・・・・・・ことがどうしてlivedoorの故意ではないかと疑ってしまうのかおかしいと思えないのでしょうね。

 
その続きで、私が書いたライブドアブログの表示の不具合を書いています。だんだん、シャロームの、汚い悪意と作為が見えています。不具合について、私が、サーバーのせいか、バグなのか、などと考えていることを、シャロームは、サーバーの故意と疑うのがおかしいと言いたいようです。
 
シャロームは、サーバーには、バグもないし、いたずら小僧もいないし、清廉潔白だと信じてなければならないと言うのでしょうか。シャロームが、ライブドアとサーバーの正義を信仰しているとは知らなかった。
・・ではなく、このコメントを書いたシャロームの作為と悪意が明らかになってゆきます。シャロームの頭がおかしい、または、シャロームの精神が悪意に満たされているという状況証拠くらいにはなるでしょう。
 

3. shalomです。こんにちは
2019年12月19日 13:25
「これは、故意なのか、バグなのか、分からないが、」とは書いていますが、でも故意かもしれないという疑いがあるようですね。
だから次のように書いているのですから。
 「故意だったら、こういうことはしないでほしいし、故意でないならばバグを直してほしい。」と繰り返し書いているのですね。

 
つまり、故意である場合と、バグである場合を書いています。可能性を書いているのです。サーバーは正義の味方という信仰は持ちませんので。
 
そして、これを書いた後、だんだん、表示は改善され、事なきを得ているのです。それで、問題解決なので、実際、どうであったかは分かりません。
 
しかし、シャロームは、私のブログから、わざわざ、掘り出してきて、ネタにして、以下のような精神病理を語り始めます。
 
>こういう故意ではないかという疑いは被害妄想癖による思い込みですよね。
 
妄想は、確信に満ちて訂正不能なのが特徴です。シャロームは、何を言っているのか。いちゃもんとして書いてくるコメント文章の次元がどんどん低劣化している。
 

一事が万事、自分の思い通り、期待通りに人や物事がいかないと自分の思い通りに直したい、治してあげたいと思い、また故意に自分の邪魔をしているのであれば直せと要求したり、被害妄想を抱いてしまうようですね。昔も、今も・・・。

 
シャロームは、児戯に等しいこじつけを題材にして書いているようです。
 
ブログの表示の問題は、私の思い通りにはいきませんし、私が治すことなど出来ません。故意の悪戯ならという条件で正すように、バグならば是正するように、サーバーに問い合わせるのは何ら不思議はありません。
 
ネットでの、ライブドアというサーバーにおける、ブログ立ち上げ時の、軽いトラブルを、私は書いているのですが、シャロームの、とんでも精神病理学?では、妄想と言うことになるのだそうです。
 
今、私は、快適に、ブログ記事を、このライブドアブログで、また、他のサーバーでも書いているのですが、そういう今の状況を弁えもせず、今はトラブルもないという現状を踏まえず、おとしめるためだけに、異常な確信をもって、時が既に経っているのに訂正不能に、私を妄想患者だと決めつけて、シャロームは、にわか医者となって、笑えない無理なこじつけを書いているのです。
 
訂正不能、非合理、異常な確信、という、妄想の3つの要素を満たしているのは、どちらでしょう。
 

自分の批判、疑念を正当化し、自分に被害妄想癖が強いことを受け容れることができないので、自分の病的な性格を否定するために、執拗に他者への執拗な批判せずにはおられないようですね。
shalom!

 
被害妄想癖が強いことを受け容れられる人はいないと思いますが、そんなことより、シャロームこそが「自分の批判、疑念を正当化し、自分に被害妄想癖が強いことを受け容れることができないので、自分の病的な性格を否定するために、執拗に他者への執拗な批判せずにはおられない」人だということです。おしまい。
 
根拠もなく、相手を妄想だと決めつければ、その決めつけが妄想だと言われること、予想できないのでしょうか。
 
シャロームの今回の妄想には、狙いはあっても、上に弁明したように、根拠がありません。
 
私がシャロームを妄想だと判断する根拠は、上の妄想の3要素を満たしていることです。
 
幼稚な、いちゃもんしかつけられないシャロームです。いよいよ、姑息な、意地汚い根性で、既に解決済みのちょっとしたトラブルをも、大仰に広げて、私を精神病に仕立てたい、また、こそこそ、何でもいいから、欠点を見つけて、けなしたい、という卑怯さが、あらわになってきました。
 
読んでいて、正常な健康な心とは、かけ離れたシャロームの崩壊ぶりが分かります。
 
文章読解能力が、ここまで堕ちてくるとは、妄想カルトの固着した信条が、いかに、正常な思考力を奪い、健康な情緒を奪い、人格を破壊してゆくか、ということを表しています。
 
シャロームには、病識も自覚もないから、こんなに恥ずかしいことをしても、そのために恥をかいても、その恥を感じないと思います。これからも、酷い、そして、無意味な、コメントを書いてくるのでしょう。たとえれば、顔が排泄物だらけになっても、まだ笑って説教を垂れるようなものです。
 
 
(2019年01月05日)
 
 
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