ウソの国:st5402jpのblog

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

年寄りです。1954年2月24日、長崎市の生まれ。17か18歳で、佐世保で洗礼を受けたクリスチャン。現在、教会へ行っていない逸れクリスチャン。ブログのテーマは、キリスト信仰と、カルト批判が中心です。ヤフーブログから移行してきました。ブログは、2010年からなので、古い記事も多いです。サポートに問い合わせて、ようやくコメントボタンが付けられました。ソーシャルボタンは、コメント欄の上に表示されることも知りませんでした。

 
  アドラー教について(4)
 
   ポジティブ心理学サロン(アドラー心理学サロン)
   https://www.adlersalon.com/entry/2019/10/19/053801
    2019-10-19  
   【胸糞注意】上司に言われた一言で心が壊れてしまった…
 
 
具体的な相談例について、答えるのは慎重でなければいけません。また、私としても、そういう記事についてコメントするには慎重さが要求されます。できる範囲で書いてみます。
 
休養期間を設定しないのでしょうか。何でも原理原則で片付くものではないのですが。
 

Q1. ご相談
8月いっぱいで退職予定の者です。
5年半頑張ったつもりですが、退職届を出した際に上司と言い合いになりそれがトラウマとなり怖くて会社に行けなくなりました。それが8月1日です。
心療内科で適応障害、鬱の手前だと言われ診断書出て今休職扱いだと思います。会社からは連絡ないので休職なのか有給消化なのかさえ知りません。
電話も診断書持って行く際も安定剤を飲まないといけないほどドキドキし、パニックになります。
上司からは感情的になりました、反省してますとLINEで謝られました。が、許せません
その恫喝が無かったらここまで心は壊れてません。
6月から退職を願い出て、引き留められてました。途中、パートにとの話しを一旦受け止めましたが、その後給料面で折り合いつかず退職を再度お願いし、また引き留められ、の繰り返しで8月1日に退職届を出して恫喝されました。
上司からはLINEで自分をグーで殴って気が済むなら等言われましたが、そんな問題ではありません。
人は言葉一言で生き死にの気持ちになるのだとつくづく実感した次第です。
睡眠薬を飲まないと眠れない、起きた途端にドキドキする毎日を送り、毎日辛いです。
またその上司に今まで可愛がってきた若い同僚が私のプライベートな知られたくない話しをした事まで発覚し、人間不信です。
全てのスタッフが敵かスパイに感じます。
ストレス過多で2年で18キロほど痩せました。検査は全身しましたが異常なくストレスと言われました。
心療内科からは会社から逃げてくださいと。18キロ痩せるなんて異常事態ですよ、と言われました。
これまで、休みも返上し、寝る時間以外全て仕事の事を考えてきました。リーダーとしての責任を感じていました。
本来私は人に対して優しい気持ちで接してきました。
今は違います。妬み嫉み憎しみ。はっきり言ってこんな自分が嫌で嫌で。時間が薬かと思いますが会社の近くは通れない、怖いから。電話恐怖症にもなりました。
これでも生きなくてはいけない、苦しみを与えられ知らん顔で自分達の立場は守り守られ、こんな理不尽な事がありますか?啓発の本も読みましたよ。
私にこれ以上まだ笑顔で頑張れと言うんですか?
アドラー心理学がどうかまだ良く知らないので失礼かと思いましたが、メールを送らせて頂きました。
アドレスが私の名前ですので匿名にてお願いします。
< 
 
心がすり減って、衰弱して病んでいる可能性も否定できません。今は、心にゆとりがないようですし、感情が不安定で、不安緊張と抑うつ傾向もあるようなので、何よりも、しばらくは仕事のことは考えず、休養と薬物治療が必要なのでしょう。義務や仕事からは、離れているべき時間なのだろうと思います。
 

A1. 回答
前職で辛い思いをされたようですね…
無茶なことを要求してばかりの会社から、逃げ出すことは正解だったと思います。
身体の傷は適切に処置をすれば、相応に回復しますが心のを病んでしまうといつ回復するのかも分かりません。

 
心を病んでしまっても、治療によって、出直すくらいには回復はするでしょう。
「いつ回復するのかも分かりません」と言うべきではないと思います。
回復するかどうかについては、治療とカウンセリングによって可であり、
少なくとも改善するということを保証するべきなのです。
 

仕事は人生そのものではなくて、人生の一部に過ぎませんので仕事の為に自分の人生を犠牲にしてしまうのは馬鹿げています。

 
相談者は、退職の意志を明らかにしているわけだから、仕事のために自分の人生を犠牲にしてしまうというのとは違うような気がします。
 

心の免疫力だって身体の免疫力と同じように人それぞれ違いますので、あなたが限界だったのなら仕方ありません。

 
仕方ありません、ではなく、努力した結果だから、悔やむ必要はなく、今は、ゆっくり休養してよいことを告げるべきではないかと思います。
 

上司と分かり合おうと努力はされたようですが、これ以上関わると自分の身が持たないのであれば無理をする必要はありません。

 
これ以上関わることが無理であることは既に表れていると思うので、身が持たないのであれば、ではなく、続ければ身が持たなかったでしょうから、今は、先ず、気持ちが落ち着くまでは、心身を休めることに時間を使ってよい、という方向でしょう。
 

分かり合う努力は大切ですし、簡単に他人を切り捨ててしまうのは問題ですが、世の中には一定数は必ず分かり合えない人間が存在します。

 
上のメールを読む限り、心の負荷から解放されるべき段階であり、分かり合う努力をする必要はないと思います。無理してはいけないと言うべきかもしれません。少なくとも、今は、和解は無理でしょう。
 
誰が悪いかという個別のことも、分かり合えない人間が存在するという一般的なことも、今、考えても堂々巡りになって、かえって苦痛が増えるだけになりそうな段階だと思います。
 

無理をして自分を犠牲にしてまでそうした人達の為に自分の時間や労力を割いてあげる必要はありません。

 
相談者は、今、上司に対して、時間や労力を割く気はないように思えますが。
 

アドラー心理学的に考えると、「課題の分離」をすることによって気を楽にして頂けるかもしれません。
自分が他人をどう思うのかは自分の課題であり、他人が決める課題ではありません。

 
カウンセリングに、○○学的原理や宗教が絡むと、自説を持ち出してしまいやすいのですが、このように原則的なことを言って、相談者が、どういう受け取り方をするだろうとか、自己中推進と受け取らないだろうか、また、ここで、理屈が通用するだろうか、ということを考えるべきでしょう。今、何かの言説を説いて、その言説で、解決を図れる段階でしょうか、そこが疑問です。
 

同じように他人が自分をどう思うのかも、自分が決める課題ではなく他人が決める課題です。
もちろん、他人の考えを変えるように諭したりと努力することはできますが、本質的に人は他人を変えることができません。

 
今、相談者は、自分のことで精いっぱいで、余裕のない状態だと思いますが。課題の分離、特に、他人の課題だから、というようなことを言うことが、意味を持つ段階でしょうか。
 

他人の考え方や価値観との折り合いを付けようと試みるのは良いことですが、あなたがそこまでしたいのかどうかですね。
私なら本質的には変えられないことでいて、変えられる保証が無いことに頭を悩ませたくないので放っておきます。

 
「他人の考え方や価値観との折り合いを付けようと試みるのが良い」という段階ではないように思われます。上の相談者の「言葉一言で生き死にの気持ちになる」状況を汲み取っているでしょうか。この言葉に、少しの恐れもいだかないのでしょうか。
 

また、これ以上頑張れと言うのか?と辛い気持ちを抱えられておりますが、辛い気持ちはこれ以上、対人関係の中で傷付きたくないという目的を達成しようとしていませんか?

 
傷つきたくないというのは、達成するべき目的に向かってというよりも、やりきれない気持ちでしょう。既に、傷ついていることは明らかであり、感情は過敏で不安定です。これ以上、今ここで、頑張れる段階ではないように思われます。
 
相談者「私にこれ以上まだ笑顔で頑張れと言うんですか?」に対しては、今は、頑張らなくていいんじゃない?・・と言ってあげてよいのではないでしょうか。理屈や原理原則の解説が功を奏して分かりましたということにはならないような気がします。
 

上司とどんな言い合いになったのか分かりませんが、もう少し頑張りたいというお気持ちがあるのであれば、自分はどんなことに喜びを感じて、どんなことに嫌悪感を抱くのかを学べたとして割り切ってみるのはいかがでしょうか?

 
割り切って、と言って、割り切れるでしょうか。相談者の文章に表れたものを個別に検討することなく、自説の有効性を主張しても、万能薬の宣伝のようで、恥ずかしいことになるのではないかと思います。ブログ主は、誰でも、アドラー教の説教をすればピンと来るはずだと思っているのでしょうか。
 

世の中に良い人悪い人、良い会社、悪い会社があるのではなく、それは全て自分がどう思うのか次第です。

 
これは、ひどいです。悪い人や悪い会社はないのでしょうか。すべて自分の思いだけでしょうか。相談者に、いたずらに負荷をかけてしまっています。
 
ブログ主は
「どれだけその人のことを考えてあげても、親切に手助けをしても無駄な人は必ずいる」
と言っていたではないか。どうしようもない悪い人がいるという意味ではないのか。
 

一般的に悪いとされているブラック企業でやりがいを感じて活き活きと働かれている人もいれば、雇ってくれる会社が少ないからありがたいと感じている人もいます。

 
さらに、ひどい。ブラック企業というのは、やりがいを感じる余地があるのだろうか。何ゆえ”ブラック”と言われているのでしょうか。雇用が少ない中で雇ってくれてありがたいと思うことが、ブラック企業に対する解決策なのでしょうか。
 

自分のことを良く知っていると、自分にとって良い会社、良い仕事が判断できるのでより充実したワークライフを送れるようになれます。

 
ブログ主は、自分が何を言っているのか知っていないようです。このように、相談者の気持ちを思いやることをせず、能天気に自説を語るようでは、下手をすると、ブログ主が、ブラックと言われかねないでしょう。
 

せっかく学べることがあったのだから、もう一度良く自分を知ってトライしてみよう!と前向きに考えてみることも一つの考え方ではないかと思います。

 
「言葉一言で生き死にの気持ちになる」と言って、鬱(うつ)の、しかも、崖っぷちの心境の可能性も否定できないような相談者に対して、前向きに、トライしてみよう、とかは禁忌です。
 
相談者に心の余裕がない時に、平気で、単純な元気づけや、アドラー教の原則を書いて、説教者の心が、冷静に、正確に、過不足なく、相談者に伝わるとは思えない。
 
すさんだ解釈として受け取られたり、相談者の心が、さらに、荒れてゆく原因になる可能性を考えないのは大いに疑問です。しかも、それを、相談に答えるお手本でもあるかのように公開するのは、いかがなものかと。公開について、相談者本人の承諾は、当然、得ているのだろうとは思いますが・・。
 
鬱の人は、元気がなく、悲しそうにしているとは限らず、通念的には鬱らしく見えない鬱、すなわち、鬱には、焦燥感が強く、刺激的、攻撃的な鬱もあるので、要注意です。
 
また、アドラー教の原理原則であるところの、自分を知ることと、前向きに考えることを、平然と勧めています。豪語と断定が多く、情緒を汲み取れず、アドラー教の宣伝文句に囚われているならば、こういうカウンセリングに、ブログ主は向かないと思います。
 
個人の日常においても、また職業的にも、カウンセリングは、理路ではなく、対応だと思います。
 
むしろ、理屈や辻褄を言ったり原理原則で押すことは、むしろ、控えるべきなのかもしれません。
 

過去の辛い経験を忘れ去るのに良い方法がありますが、何がどのように嫌だったのか、どんな時に思い出しては辛くなるのか、すべて紙に書き出して下さい。
そうすると、自分の気持ちが沈んでしまう条件を知ることができるので、意識的に該当の条件を避けるように工夫することで心の健康を保つことができます。

 
このことを言いたかったのでしょうか。だとすれば、上の、自分の思い次第、自分を知ること、前向きに考えること、などを、その余裕のないところで、持ち出してくる必要ななかったでしょう。
 

「エクスプレッシブ・ライティング」という手法であり、心療内科や精神科でも取り入れられているシンプルながらもちゃんとした心理療法です。

 
(ネットより)
エクスプレッシブ・ライティング(Expressive Writing:筆記開示):
「つらい気持ちが楽になるだけでなく、「頭が良くなる」「免疫力が上がる」なんて効果も確認されているからすごい。」
「「メンタル安定」「ストレス解消」など様々な効果が確認されている。」
「エクスプレッシブライティングの最大の効果は、「幸福感が高まり、ネガティブな感情が減る」ことだ。」
https://www.wanabe.net/entry/expressive-writing
 
などと書いてありますが、ちょっと言い過ぎの感もあります。
 
思っていることを整理して、実際に書いて、それを見ることで、自分を文章にして対象化することになり、自分の気持ちと向き合うことを容易にし、促進するのかもしれません。こういうことは、日常でも、日記とか、ネットとかで、便利に使っていることではあるでしょうが、悩んでいるときには、意識して、自分の気持ちを書き出して、より客観的に整理しておくことが必要でしょう。
 
 
(2019年10月28日、同日一部修正)
 
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  アドラー教について(3)
 
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言葉は、いつも一面的です。かつ、人によって、話すときも、聞くときも、心の持っている内実が異なることが多いのです。一言で、人格全体が関わる問題が、きれいに解決するなどとは思わないほうがいいです。多くの要素と要因を含む問題が大部分だから、短く言い切ることは危険を伴います。
 

誰だって生まれてくる境遇を選ぶことはできません
あなたの生まれた家族があなたの家族で、あなたの生まれた環境があなたの環境です
自分にあるものを使ってなるべく多く望むものを手に入れることができたらそれで十分なのです
他人と自分を比べる必要なんか無い
人は自分にできることしかできない

 
これは、アドラー心理学という名前を出して語る必要のない当たり前のことです。
 

仲間を作って安心しようとする人は、自分が無いだけ
共通の目的を持ち、自立自走できる仲間以外はなれ合い・もたれ合い
相互依存関係の中で成長できることはありえない
弱虫がわらわらと群れているだけ
自分の意見が無いのなら、何もしないで大人しく平和に暮らしていた方が自分にとって幸せですよ

 
依存関係の心理・病理についても、ずっと言われていることですし、アドラーの名を出す必要はないでしょう。ただの、仲間、なれ合い、もたれ合い、では済まないこともあるわけです。トラウマとなり、執着・強迫となり、ストーカーともなりうるものです。
 
このことを言葉だけ知っていて、単細胞の幼稚な精神で利用して、惹きつけるような魅力もないのに、お前は私に依存しているから批判してくるなどと言ってくる愚か者もいます。
 

強く見せる努力ではなく、強くなる努力をしましょう
大きく見せようとするのではなく、大きくなるのです
承認欲求を満たすことを目的にしていると、目先の快楽に覚えて本当の幸せを取りこぼす
あなたは凄い人に見られたいのではなく、凄い人になりたいのではないのですか?
過度な承認欲求は害です

 
承認欲求が励みになることもありますが、目標への努力の動機としては、的外れであります。
本来の目標を定めて自覚することが大事でしょう。
 
強く見せるのではなく、強く、大きく見せるのではなく、大きく、と言うのは、
見せかけではなく、目標と推進の内実のことでしょう。
 

ネットであなたに絡んでくる人達は、醜い劣等感と承認欲求の権化
実際には無い権力を振りかざして、誰かにマウントを取ることしかできない
満たされない承認欲求を、満たす錯覚に溺れた人達です
現実世界で努力する勇気を失い、強く見せる努力しかできてない
覚せい剤中毒者と大して変わりはしない

 
ボロクソに決めつけています。このブログ主は、ときどき暴走するようです。
ひどい目にあって恨んでいるか、他者と強調することが苦手か、
容赦しない言い方、というのではなく、見方が、しばしば偏っています。
 

多くの人達は自分に嘘を付くことによって、自分の首を絞めている
本当は納得できていないのに、無理矢理に自分の都合の良い解釈をしようとする
一時的には自分の気持ちを落ち着かせることはできても、長期的には自分を苦しめるだけ
ありのままの自分を偽らず、本当の自分をさらけ出して幸せになろう

 
文脈を整えたほうがいいです。納得できていないのに、自分に嘘を吐いて、都合の良い解釈をして、かえって、自分の首を絞めることがある、という言い方にしないと、前段落と同様、暴走してボロクソになるわけです。
 
ありのままの本当の自分をさらけ出すことは、誰に対してでしょうか。いつもやっていいことでもないような気がします。本当の自分を自覚することが大事なのです。幸せになろうも短絡です。
 

【こんな人には要注意】
下記に当てはまる人は、他責思考で自分を肯定するだけ。
・自分の都合のいいように、あなたの話をまとめ上げる
・常に悪者探しをして、解決策を見つけようとしない
・他人のあら探しをしては、文句ばかり言って自分では何もしない
・他人を守る為ではなく、自分を守る嘘を付く

 
自己中な人のことを書いているようですが、分かるでしょうか、かえって、アドラー教は、このように解釈されやすく誘導されやすい危険要素があります。自分の悪や罪や偽善や失敗や的外れを、あとは自分の課題ではないと無視して、反省しない人が出てくる可能性に注意するべきです。
 
歯切れよく語ろうとしすぎるからです。
カルトに見られることですが、短い言葉で全体を表そうとするのは無理があります。
 
他者を無視することは、自分の利益を肯定して、他者に対しては不利益や邪悪を結び付けやすいからです。そうして、しでかしたことについては、それは、あなたの課題だと決めつけて平気になってしまう危険があります。
 
不都合な刺激を無視し続けていると、羞恥心や罪悪感が麻痺してゆく可能性があります。羞恥心や罪悪感を失ってしまうと、恥知らずな言動をして、その自己正当化に、嫌われる勇気を持ち出す危険があります。短く言い切って幸福を約束するのは、カルトの特徴だということです。
 

他人に何をされようが、傷付く必要は無い
どれほど酷いことを言われても、最低なことをされたとしても、それをどう捉えるのかは自分の課題
他人が何を言うのか、何をするのかは他人の課題であり、制止することはできても本質的には変えられない
何をされても、相手の意図を実現してやらなくていい

 
どう捉えるかが自分の課題と言いきっていますが、その捉え方が自分勝手になる可能性を考えるべきでしょう。前段落と同じように、自己中に解釈して、問題をさらに、難しく、また、修正不能にしてしまう恐れがあると思います。
 
自他の課題を分ければ、なんでもすっきり解決するようなことを言っていますが、課題を分けられない他者がいて同じ社会に生きていることを考えないのか、また、人間はしばしば感情的になることを考慮しないのか、という疑問が残ります。
 
こちらが課題の分離をしても、相手は分離していない場合、また、相手の理解度が劣っている場合、不意に、不当な反応が返ってくることも考えるべきでしょう。ブログ主は、無責任だから、気持ちよく言っているだけでしょう。
 
相手の意図を実現するのではなく、相手の反応をケースバイケースで予測しておくことも必要になるのです。そのためには、共感と共有の出来る別の他者との連携も必要となり、問題は単純ではないということです。
 
言い放って、決めつければ気持ちはいいでしょうが、こちらだけすっきりしても、課題の分離が正しくても、感情のもつれなど副作用が、こちらの不利に働く場合を考えるべきでしょう。それは、自分の課題ではない、という主張が、いつも通るとは限らず、いつのまにか、恨まれていることもあるのですから。
 
正しいのだからそれでいい、という当為を、現実に当てはめる無理があるように思えます。いくら恨まれても構わないというなら、それは、自己中に生きるのと変わりなくなり、あいつは自己中だと、あちこちで言われることにもなりかねません。
 
あとの責任を一切負う気のないブログ主は、歯切れの良い言葉で教えるだけで、結果は相談者の課題と思っており、逃げの姿勢を最初から持っているわけですから、そういう人の短絡気味の豪語によって、振り回されることのないようにしたほうがよいと思います。
 
 

羨ましいくらいキラキラした人を
見ても嫉妬しなくていい
あなたの見ている他人の人生なんて
無数にあるうちのほんの一面です
他人の一部分を羨ましがっては
かけがえのない自分を否定してはいけない
あなたは、あなたでしかない
かけがいのない、たった一人しか
いない自分を最大限に活かそう

 
だからといって、短絡した自己中になってはいけません。
人は、他者との関係性に生きています。人間は不完全だから必ずと言ってよいほど、傷ついたり、傷つけられたり、傷つけたりします。人間は、関係という相対性の自覚を捨てると、不完全だけになり、自己中が自らの理路も情感も次第に鈍らせ壊してゆくのです。
 
むしろ、いろいろな食い違いやストレスについては、相談できる関係性を持つことが必要です。そこにも、絶対正義はありませんから、学習可能であるべきで、訂正不能にしてしまうのは、人格の活性を失うことに等しいのです。ゆえに、修正可能な学習機能が、いつも必要なのです。
 
気に入らなければ無視、という態度は、いずれ、自分に跳ね返ってくるでしょう。
無視すれば無視が、罵れば罵りが・・。
 
ここで言えることは、
歯切れのよさそうな他人の言葉に踊らされてはいけない、
総合する能力が乏しいところに歯切れ良い言葉は誘惑になり、
その結果を自分ひとりで負うことが、いっそう、つらい場合があるだろう
ということです。
 
 
(2019年10月27日、同日一部修正)
 
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  アドラー教について(2)
 
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短い言葉で人生の秘訣を教えようとする無理が表れています。
 

嫌いな人や苦手な人にまで良い顔をする必要は無い
好きになれない人は必ずいます
苦手なら、極力関わらないようにすればいい
「悪いから…」
「失礼がないように…」
そんなことを考えてばかりだと、他人の為に自分を犠牲にして生きることになる
もっと、自分の気持ちに素直になっていいんですよ

 
目を覚ましてください。
私たちは
「悪いから…」「失礼がないように…」
という理由で人と関わることを決めているでしょうか。
そういう人に良い顔をしているでしょうか。
違うでしょう。
 
好きだったり、興味があったり、ためになると思うから関わるのです。
だから、嫌いや苦手の人からは離れてゆくのは、言われなくても、必然なのです。
 
嫌いや苦手を、上のような言葉で我慢しているでしょうか。
そんなに我慢はしていないと思います。
 
「苦手なら、極力関わらないようにすればいい」・・などという言葉に振り回されないでください。ちょっと関わったくらいでは、その人が、どういう人かは分からない場合が多いです。
 
人との付き合いで、恐らく、ひどい目にあっているブログ主の、短絡した断言を、そのまま、人に向けないでほしいです。他者などお構いなしの自己中にならないでください。
 
人間関係の問題は、一言では言えません。深い思考と経験が必要なことです。ここに、それぞれの、人と状況に応じて、思考の意味があるのであって、ちょっと感じたくらいでは分かりません。豪語する教祖的な者に従うことに安易に解決を求めないほうがいいのです。
 

職業はその人の価値を表すものではない

 
立派な職業人は尊敬される、ということを無視して語る者は、
恐らく、立派な仕事をして尊敬されたということもないのでしょう。
それで目立つことを言って、一気に憂さを晴らしたいのかもしれません。
 

どんな職業に就いていても、その人の人間性は計れない
社会的な評価は絶対的なものではなく、指標の一つ
他人が決めた指標でした仕事の価値を計れないあなたは、どんな仕事をしても不幸ですよ
良い仕事、悪い仕事があるのではなく、自分がどう思うのかが全て

 
仕事の評価を自己の満足だけで測る人になりたいでしょうか。
他者の評価も指標の一つだということです。
仕事の恩恵を他者が受けるような仕事はどうでしょう。
 
価値の押し付けにならないようにしてほしいものです。
 
察するに「指標でした」→「指標でしか」でしょうか。
ならば
「他人が決めた指標でしか仕事の価値を計れない」人が多いのでしょうか。
価値の指標を他者に委ねる仕事も多いのではないでしょうか。
他者のために仕事することを誇りや生き甲斐にしている人もいるでしょう。
「自分がどう思うのかが全て」ではありません。それでは無反省になります。
豪語の断定が、裏目裏目に出ています。
 
自分がどう思うのかが全て、これこそ、自己中の勧めです。
自分がどう思うのか、ということに、「全て」を付ければ、
他者への配慮を無視し続けることになります。
どう受け取られるかを考えない言い方だと思います。
 
自己中に仕事を選んで、仕事がなくなることもあるでしょうし、
他者への思いやりで仕事をする心を、失うかもしれません。
 
社会的に偏向した考えを持つ者のうち怨念を育てている者は、
付き合いがうまくいかないものだから自分の思い通りの夢を見て広めようとするのでしょう。
どうか処世の限られた一部を、人生の金科玉条にしないでください。
 

バカは死ぬまでバカなのです
これは愚痴でも悪口でもありません

 
よほど、人のことをバカだと言いたいか、言ってきた人だと思います。
あるいは、言われてきた人かもしれません。
 

本当の話なのです
どれだけその人のことを考えてあげても、親切に手助けをしても無駄な人は必ずいる
人は自分が学習しようとしたり、成長しようとしない限りは何も学ばない
何を言っても、どう思うのかは他人の課題なので割り切ろう

 
悪口ですね。
なんだか実感がこもっているような気がします。
いっぱい切り捨ててきた感がうかがえます。
それは個人的な経験であって人間関係の総てではありません。
 
他人の課題だからと、割り切る、つまり無視する
ということを言って解決する問題ではありません。
 
距離の取り方にも、学習と成長が必要なのだから
嫌われること以上に、恐れるべきでないのは、失敗することです。
そこから学び取る図太さを身につけるべきであって、
大事なのは、無視で楽を得るのではなく、
じっくり考えて、乗り越えることが大事なのです。
 
それも学習なのだから、精神を病まない範囲で、考えることが大切ですから、
思いわずらうようなら、いったん保留して休憩すればいいのです。
 
ひと言で格言のように表して、ひと言で切り捨てて、
それで解決するようなことではないのです。
 

「信用」するのではなく「信頼」するのだ。
「信頼」とは裏付けも担保もなく相手を信じること。
裏切られる可能性があっても相手を信じるのである。

 
これは、何なのでしょう。
人間関係についてならば、舌足らずです。
ブログ主を信じよということなら、まさにカルトの信じ方になりますが。
 

嫌いなら関わることない。
嫌いなら話しかける必要も無ければ、相手にしなくたっていい。
結局、嫌い嫌いと言いながら、その人にまとわりつく人は、自分に自信が無いだけ。
自分の人生に意義を感じたり、集中できないから他人に目が行くのです。
あなたの勝手な都合で、他人を傷付けないで下さい。

 
嫌な人には、関わらない、話さない、相手にしない、というのが、
気に入らないことは無視するというアドラー教の常套句ですが、
これ、悪口を言って、憂さ晴らししているのと、たいして変わりないです。
 
危険からは、当たり前に、一目散に逃げるしかない。
 
しかし、無視する、逃げる、ということが、いつも正しいわけではなく、
そもそも、いつもできるわけでもないのです。教える言葉だけの気安さが全開です。
 
相手に面と向かってでもなく、傷つけないでください、と言って、相手は傷つけなくなるでしょうか。言葉の気安さでは、解決しないことがいっぱいある現実世界で。
 
>他人が何をやっていようが、そんなことはあなたには関係の無いことですよ?<
 
また、一面的な決めつけです。
自分に関係のあることをやっているかもしれません。
 

そんなにその人が気になって仕方がないのなら、その人の為に何かしてあげたらどうですか?
他人への関心は、優しさ以外は無意味

 
気になって仕方ないなら、優しさには関われと言っています。
極端に問題を単純化しています。
その同じ記事の流れの中で、さかんに無視を勧めているくせに。
 
優しさ以外は無意味でしょうか。冷静な知性と感性を忘れてはいけません。
優しさにも見かけだけの偽善的なものもありますから、関われと一概には言えません。
 
正しいことが何かを、求めなくていいのでしょうか、考えなくていいのでしょうか。
 

人の詮索ばかりする人は、他人の話をして、他人を引き立てるだけの存在として人生を終える。

 
また、預言者か。言葉だけの気安さで、余計なお世話をしているのは、誰だろう。
 
 

自分の歩んでいる道をしっかりと見よう
その先に何が待っているのか、その先のどこにゴールがあるのかは自分次第です
それを決めるのは自分次第であり、他人によそ見をしてはいけない
よそ見をすれば、車の運転と同じように必ず事故に繋がる

 
自分の歩んでいる道がしっかり見えることは稀だと思います。
自分次第、というのは、無責任な言い方で、具体的なアドバイスにはなりません。
よそ見に喩えても、具体的にはなりません。
 
>あなたの道のりは、他の誰のものとも同じではありません<
 
ブログ主とも違うのです。一人一人違うのです。
何が分かったつもりで物を言っているのでしょう。
 
短い言葉で表しても、それが格言的であっても、
すべてが解決して幸福に結ぶ付くような短い格言はありません。
言葉を信用しすぎないようにしてください。
大事なのは心です。心を表すのに、短い言葉で済むはずはないのです。
 
共感と共有を大事にして、深く広い思慮を求めることが必要です。
これは、短兵急に学べることではありません。
短い言葉を、一面的な格言としての限界を知らずに鵜呑みにするのは、とても危険です。
 
 
(2019年10月26日)
 
諍い(いさかい)
罵る(ののしる)
 
 
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  アドラー教の思いこみ
 
   ポジティブ心理学サロン(アドラー心理学サロン)
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   2019-03-31  
  自分はできる❗️そう思い込むと人生は上手くいく❗️
  アドラー心理学サロンです。
 
 
アドラー教の、乱暴で強引なポジティブ思考、偏った意味づけの勧め、無責任で能天気な予測、学習できない無反省、などが明らかになってきています。
 

マハトマ・ガンジー氏はこう言いました。
「人間は、その人の思考の産物にすぎない。人は思っている通りになる」
これはまさにアドラーの観点からも言えることで、アドラーはこの世界には客観的に立証できる事実は存在せず、すべてはあなたの与える意味づけ次第であるとしています。

 
(ネットより:)
・人間は、その人の思考の産物にすぎない。人は思っている通りになる。
・私は「自分はできる」と確信を持ったときに、最初は自分がもっていなかった能力でさえ確実に手に入れるようになる。
・信念が変われば、思考も変わる。思考が変われば、言葉も変わる。言葉が変われば、行動も変わる。行動が変われば、習慣も変わる。習慣が変われば、人格も変わる。人格が変われば、運命も変わる。
・人間というものは信じた自分になることが多い。もし、自分にはそんなことはできないと思ってしまうと、それで本当にできなくなってしまう。しかし、もしできると信じたならば、たとえはじめはそのような能力がなかったとしても、それをなし遂げる力を得ることができるのです。
(名言ノート:マハトマ・ガンジー)
https://meigennote.com/134#i-6
 
これは、むしろ、理想を成し遂げる力のことを言っているのでしょう。
自分の課題ではないというアドラー教の思考は、成し遂げるというより、気に入らないから無視するのだから、大きな理想を最後に成し遂げるという感じではないので、このガンジーの言葉は、アドラー教には、当てはまらないような気がします。
 

つまり、このアドラーの「意味づけ」の論理では、あなたという存在はあなたがどんな意味づけを与えるのかによって定義されているということになります。

 
つまり、ガンジーの言葉を、このようなアドラー教の意味付けに結び付けるのは、理路として、成り立たないような気がします。
 

どんな状況にあっても自己肯定感を失わずに、自分を信じて前向きな行動を起こせるセルフ・イメージを持つことは、幸福な人生を歩む為に非常に大切なのです。

 
どんなときにも、肯定、前向き、という、多くのスピリチュアルやカウンセリングのサイトが言っているようなことを言っています。
 
肯定は、否定を知ることで、見出され、前向きは、後ろ向きを知ることで、見出されることです。
つまり、否定的な状況で、気に病まない範囲で、考えることが、先に必要です。状況を受け止めることなく、やたら、自己肯定と前向きを勧めることは、自己中を勧めることになります。
 

思い込むだけで自信に満ち溢れた成功する人生の舵を切ることができるのなら、思い込んで自信を無くし、不幸な人生に進むくらいなら、良い方へ思い込まないと損ですよね(笑)

 
不幸を無視して、自身に満ち溢れよというのでしょうか。無理にかじを切ると、風と波に煽られ、沈没することもあるでしょう。「損ですよね(笑)」・・いかにも安い宣伝・・
 

自分のセルフ・イメージを高く保つことができれば、自己効力感という心理学用語で「自分にはできるんだ!」という肯定的な感覚を覚えることができます。
自己効力感があれば、どんなに酷い苦境にあなたが陥っていても、あなたは何度でもやり直せます。

 
(ネットより)
自己効力感(じここうりょくかん)またはセルフ・エフィカシー(self-efficacy)とは、自分がある状況において必要な行動をうまく遂行できると、自分の可能性を認知していること
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%8A%B9%E5%8A%9B%E6%84%9F
 
難しい言い方をしていますが、「自分にはできるんだ!」と思い込め、と言っているわけです。
教えとして、陳腐な励ましで、しかも、場合によっては、無理なことを勧めていると思います。
 
アドラー教は、心を肯定的に強くすることを教えているようですが、いつも、できる、できる、と思い込む習癖は、思考の躁的状態を目指すことになり、一方で、反省力を奪ってゆく可能性があります。いつも、単方向に言葉が過ぎる体質のブログ主のようです。
 

どんなに最低な失敗をしても、何も学ぶところ、得られることが無いなんてありえないのです。
ささいな失敗であれ、重大な失敗であっても、ひとまずは「ラッキー!」や「自分はツイてる!」と小声でもいいのでつぶやき、思い込むようにしましょう。

 
失敗から学ぶには、失敗を自覚し、反省することが必要です。それを促すのに、いつも肯定的に思い込むことを勧めるのは、理路が錯綜しているような気がします。
 
>人には、認知的不協和という性質があると心理学では確認しております。<
 
(ネットより)
認知的不協和(にんちてきふきょうわ、英: cognitive dissonance)とは、人が自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された。人はこれを解消するために、自身の態度や行動を変更すると考えられている。
「煙草を吸う人が肺ガンになりやすいのは、煙草が肺ガンを誘引するのではない。ストレスを抱えている人がストレスを和らげるために煙草を吸うだけであり、ストレスが要因となって肺ガンを引き起こすだけで、煙草と肺ガンの間に因果関係はない。」
「煙草を吸うと肺ガンになりやすい」を変化させることで、認知的不協和状態を解消させようというものである
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E7%9A%84%E4%B8%8D%E5%8D%94%E5%92%8C
 
不協和を解消するために態度や行動を変更するということのようです。
 
アドラー教のブログ主は、認知をゆがめて不協和を解消させることを勧めているようです。だから、ここでは、情報を利用しているだけで、肯定的に捉えているとは思えません。
 
アドラー教と呼ぶのは、こういうところなのですが、
学問は、命題を表すのであって、どうしなさいという命令を表しません。したがって、教える姿勢で語るならば、それは学問ではなく、学問を解釈した発言者、ここではブログ主の教えということになります。
 

これは自分の行動や言動と、自分の認知のつじつまを合わせようとする性質です。この心理学の認知的不協和という性質を理解して応用してしまえば、前向きな言葉を自分にかけることで無理矢理に自分の思考を前向きに軌道修正することができ、行動を前向きにすることができます。

 
つまり、無理矢理な軌道修正は、あくまで無理矢理なわけです。認知を、むしろ、ゆがめて、不協和を解消させる、つまり、認知のゆがみを正す認知療法の、逆を行くことを言っているようです。
 
どうも、ブログ主の語るアドラー心理学は、方向性に無理があるような気がして、あちこちで、言い過ぎで、修正というより、このままでは、不自然にゆがめてゆくような気がします。
 
むしろ、認知的不協和という術語は、
「人はこれを解消するために、自身の態度や行動を変更すると考えられている」と
書いてあるように、不協和を自覚して、そうではない方向に是正してゆくためにあるのではないのかと思われますが。
 

どんなに最悪な失敗を犯していたとしても、取り敢えずポジティブな言葉を自分にかけてしまいましょう。
こじつけ感があってもいいので後付けでポジティブな意味づけをアドラー流で与えてしまえば打開策を見つけられます。

 
とうとう、こじつけも正当化して、勧め始めました。無理矢理ポジティブという感じですが、無理をすれば、必ず、しわ寄せが来るでしょう。
 

失敗した時にネガティブな言葉を口にすると、どうしても認知的不協和の性質によって思考がネガティブになり、取れる行動も後ろ向きなものになってしまいます。
失敗をした時に「しまった…」と考えてネガティブなことを口に出してしまえば、前向きに打開策が考えつくことはありません。

 
むしろ逆ではないでしょうか。失敗したときに、自信たっぷりにポジティブなことばかり言う人を信頼できるでしょうか。状況把握が出来ていない人は、克服も立ち直りも、歪んだものになり、それを自分の課題として固着させれば、言い張るだけの妄想狂のような様相を示すかもしれません。
 

常に自分に対してポジティブな言葉をかけたり、自分の好きなものを近くに置いて、嫌いな人やものを遠ざけるだけであなたの自分自身に対する意味づけはポジティブなものに変わっていき、自己効力感を高めてどんなことが起きても切り抜けられるようになります。

 
ここに、かなり、はっきり表れていると思います。どんな忠告も、どんな失敗も、反省材料とせずに、まるで好きなものだけ近くに置いておくように、力んで笑顔を作って強張っているような、悔いることも修正することも忘れた能天気な独り善がりになりそうな気がしてきます。そういう人は、一般に、恐ろしく、傍迷惑です。
 

あなたが自由に与えることができる意味づけならば、アドラーの言う通り自分の好きなように付け替えて幸せな人生を歩みましょう!

 
今まで、無条件ポジティブを乱暴に言ってきて、「自由に与えることができる意味付け」とは何でしょう、そして、「自分の好きなように付け替えて」・・これで、いいものでしょうか、これこそ、無責任な自己中心の勧めでしょう。
 
 
約8年間批判してきた、シャロームという偽牧師がいて、傍迷惑のサンプルのような人で、何を言われても、強がって、言いがかり、言い逃れ、そして、批判に対しては、反論でも弁明でもなく、当てつけや嫌がらせを書いてくるだけです。しまいには、自分側の信者や支持者の数で優位を誇って罵ってきます。何を言っても無駄なのは、不都合を受け取らず、思考と感性が、ガチガチの訂正不能・成長不能に陥っているからです。言論の責任を取らずに、言いたい放題です。
 
約1年間批判してきた楽山というアドラー教宣伝者がいますが、とても、いい加減なで、都合の良いところ以外は無視して、文脈を読んでも全体の流れを把握できず、また、何ごとも心で受け取ることができず、一部の言葉だけを、薄く浅い理屈でいじっては、いちゃもんだけを書いてきます。心にかかわる大事なこと一切を、気に入らないものとして無視してきた結果だと思います。いちゃもんに反信仰も自尊過大も表れていますが、言論の責任を取らずに、曖昧な書き方でごまかしてきます。
 
この二人は、ひょっとして、アドラー教が基軸にあるのではないかとさえ思えてきます。
 
騙される人は、作為か正直か分からないまま、騙されてゆきます。表面的な遣り取りが多いネットですが、そこが、カルトの企みの温床になっているようです。
 
 
幸福へのアドバイスは、ネットでも受けているようですが、安易な短絡で出来ているなら、必ず、自他ともに、しわ寄せは来るのです。
 
言論の自由を行使するなら、言論の責任は必ず問われることになります。
 
一端に過ぎない短い豪語で、総てを語り得たつもりで、幸せになれると言うなら、もうとっくに、幸せは溢れているはずです。言葉は万能ではありません。人間ですから誤解や曲解を受けるのは常ではありますが、あまりに無責任な豪語が激しければ、揺り返しも激しくなるでしょう。
 
 
(2019年10月25日)
 
罵る(ののしる)
 
 
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  アドラー教について
 
   アドラー心理学サロン
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短い言葉で人生を断言することの無理が表れています。
言葉で表すということに、恐れをいだかない者の所業でしょう。
自己中心、結果に対する無責任、逃避、鈍麻、の勧めと言ってよいでしょう。
 
人間関係を考える上での安易さが作り出した心無い短絡的豪語。
カルトであって、心理学という学問ではないと思う。
 

人間関係の中では、他人には素直になってはいけない時もある
自分に素直になれないと、自分を押さえ付けてしまうだけ
本当の自分を押さえ付けてしまうと、自分の気持ちを満たすことができない
一度きりの人生、この世界にたった一人しかいない自分を幸せにできるのは自分だけだ

 
自己中の臭いがプンプン
 
他人の意見を無視して、自分をコントロールしないことが、自分を幸せにするのか、
それとも、怒りを買って、殴られ、逆に、無視されることになるのか・・
 
>好きの反対は無関心、嫌いの反対は好き<
 
言葉の細工をして何になるでしょう。
 
>本気であなたを嫌い、見下しているのなら人は無関心になるのです<
 
殴ってくる輩もいるでしょう
 

嫌いだからって文句をつけてきたり、嫌がることをしてくる人は本心ではあなたに構ってもらいたいだけ

 
そういう気色の悪いことを言って、シャロームという自己中の訂正不能の妄想を広めている愚か者もいます。相手を怒らせて退かせようというナルシシストの憎まれ口の一つ。怒気が籠っている。
 

要は自分の不幸をあなたのせいにしようとしているのです
そんな人達は完全に無視をしよう

 
無視して解決したことにしても、相手は無視されて、地獄の鬼となることもあります。
無視するという態度は、関係がなくなることではなく、人間と見なさないという、とても冷たい態度として受け取られることを分かっていない。心が無い人の思いきり方。
 
>みんなが自己中になれば、世界は平和になるのかも。<
 
という意見がありました。
人間が何も求めないということはなく、自己中に求めるなら、
世界は、大小の諍いや闘いや戦争に入り乱れるでしょう。
 

この世界は全てが移り変わり、過去を正確に覚えている人間は一人もいない。
あなたがどんな失敗をしようと、どんな恥を晒しても、誰もあなたのことなんて覚えていない。
根本的に、人は他人に興味は無い。
どう思われるのかを気にしたところで、あなたのことをそこまで思ってるのはあなただけです。

 
ごくまれな、思ってくれる人を、失うかもしれませんね。
 
次から次に、言葉の暴走です。
そもそも、幸せになる方法を、言葉ですっきり表せる、という考え方が間違っていると思います。
 

「暗い」のではなく「優しい」のです。
「のろま」ではなく「ていねい」なのです。
「失敗ばかり」ではなく、「たくさんのチャレンジをしている」のです。
捉え方を変えるだけで、短所も長所になります。
ポジティブに捉えるか、ネガティヴに捉えるのかで、見える世界は大きく変わります。

 
暗くて冷たい人もいるでしょう、のろまで雑な人もいるでしょう、失敗ばかりで、たくさんの機会を駄目にすることもあるでしょう、・・ここまで来ると、言葉を捻じ曲げる暴力。独りでポジティヴに曲げていると、曲げていない人から攻撃されるかもしれません。
 
捉え方を変えているのではなく、言い方を細工しているだけではないだろうか。
口八丁手八丁で、言葉は変えられるが、関係は変えられない。
人は、勝手に扱われることを決して好んだりはしない。
また、ネガティヴを忘れて、ポジティヴは存在しません。
 

勘違いしている人に、物事を分からせようとしてはいけません。
勘違いしている人は、その勘違いの世界で生きています。
軽く諭しても変わらないのなら、そのままにしておきましょう。
あなたが消耗するだけです。
あなたの考え、相手の勘違い、どちらが正しいのかにこだわっても消耗するだけです。

 
「あなた」については、考えと、「相手」については、勘違いと、当てるのは恣意的です。
 
勘違いは、一時の間違いから訂正不能の妄想まであります。そこを明らかにしないまま、無視して、放置して置くと、言葉で割り切るほどには割り切れない関係が、返されてくるでしょう。
 
どちらが正しいのかにこだわらない、という割り切り方は、
消耗が明らかなときに限られるのです。最初から割り切るのはカルトです。
 

いじめられたら、すぐに逃げ出してしまいましょう
そんな人達と関わる必要も、我慢する必要もありません
あまり我慢して、我慢している自分に酔ってしまう方がよほど問題です

 
つまり、こういう教えの先には、しばしば、逃げる、ということが付いてきそうです。
逃げられない場合を考えないのは、教える側が、言葉だけの気安さだから。
 
我慢して、我慢している自分に酔うかどうかは、自分の問題です。
忍耐せずに、結果を見ずに、言葉だけ、逃げを勧めるのは、
それこそ、教える側の、逃げなのです。
この無責任な説教者を、逃がさないようにしてください。
 

いじめ、嫌がらせには、大した理由はありません。
「自分が悪いのかな?…」なんて考えてはいけません。

 
自分が悪いんだと思い込む必要はありませんが、だからと言って、自分が悪いのかな?という思考を忘れることは、無反省の自己中心を勧めることに他なりません。
 

本気であなたが嫌いなら、そもそも関わってきません。
自分の虚しい思いを、いじめや嫌がらせで発散しているような人間と関わる価値はない。
そんな人間や場所からは、離れてしまいましょう。

 
本気で嫌いになったら、逆に、無視、疎外、物扱い、嘘、暴力、など、ヤバい人から、いろいろな方法で、返される可能性~危険を考えないのでしょうか。
 
>悪口を言ったり、いじめをするような人達は永遠に不幸のどん底に生きる<
 
永遠とは・・預言者か。
 
>幸せな人や努力出来る人は、悪口を言ったりいじめなんてやる暇は無い<
 
人の時間割が分かるのか。脳天気な見方です。
 

絶望して、自分を惨めだと思っているから他人を傷付けて憂さ晴らしをする
他人のあら探しをして優越感に浸ったり、自分を大きく見せることがその人達の人生

 
自分に都合の悪い人を、憂さ晴らし、優越感、大きく見せる、と罵って無視しておれば、
悪口、冷たい、という評価が返ってくるだけでは済まない場合があります。
 
 
※ 
 
約8年間、自己中妄想教理?が訂正不能な偽者の自称クリスチャンと、
約1年間、アドラー教を宣伝している自己中に関わって、批判しています。
二人とも、ここで宣伝しているようなことを、強引に実践しているかのようです。
https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12537802783.html
人の都合を全く考えない、とてつもなく迷惑な存在として、
こちらの理路を全く把握できない、返せるところだけ返して理路がバラバラになっている、仲間の言うことには無条件で賛成する、感情が鈍化している、無反省で学習機能が無い、昔の疑問がずっと今も疑問のまま、建設的な思考が出来ない、ああでもないこうでもない、結論が出ない、相手を疲労させるだけの言い逃れの山、さらには、どんどん口が悪くなり、中身がなくなる、それで、真っ当な議論をしたつもりになっている、裸の王様、独りよがり、インテリ気取り、誰も認めていないのに、自尊が過大で、してやった根性、上から見下ろす態度、見せかけだけの丁寧語、掘り下げることも深めることも出来ない、同じことを何度も言ってくる、そういう人、まるで、議論にもなりません、話になりません。
 
言葉は気安く使われます。言葉を過信しないでください。
現実の事態は、もっと複雑です。人間関係は、複雑です。
歯切れの良さや、思い切りの良さに、だまされないでください。
そういう説教には、説教者の経験からの主観的な反発の過激な勢いが入っているものです。
 
自分にとって気に入らないというだけで、不可避であることの根拠が不明確のまま、ばっさばっさと無視してゆくならば、反省が疎かになり、人間性の鈍化を招き、他者の言動に鈍感なボンヤリ人間をつくるでしょう。かつ、人間は、総てを把握することはできません。知らないところで、破壊が起こっていることに気づかない場合があります。
 
 
(2019年10月24日、同日一部修正)
 
諍い(いさかい)
罵る(ののしる)
 
 
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