ウソの国:st5402jpのblog

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

年寄りです。1954年2月24日、長崎市の生まれ。17か18歳で、佐世保で洗礼を受けたクリスチャン。現在、教会へ行っていない逸れクリスチャン。ブログのテーマは、キリスト信仰と、カルト批判が中心です。ヤフーブログから移行してきました。ブログは、2010年からなので、古い記事も多いです。サポートに問い合わせて、ようやくコメントボタンが付けられました。ソーシャルボタンは、コメント欄の上に表示されることも知りませんでした。


なぜ私はこんなにまとめて投稿するのだろう。
1.暇だから。
2.壊れつつある心身を抱え
 何か奇跡的とさえ思えるほど
 今も死なずに生きている。
 いつまで投稿できるか。
 いつ出来なくなるかわからない。
 いろんな意味で人間には寿命がある。
3.HP、ブログ、ML,といった、ネットの世界の、
 はかなさを思うから。消えたサイト、HP、
 更新されないブログ・・・等々
4.私は、ジコケンジ野郎だから。
 自己存在・未完成・未消化・未熟・未決・・・の
 安定剤では癒されない末期症状?
まだあるような気もするが、また・・・よくわからん・・・
 
 
  逆行        戸田聡
 
二輪車にバックギヤを付けて
エンジンをかけて
それでも君はペダルを踏む
遡れ
遡れ
もう前も後ろもない
平衡は保てない
君は転倒する
未来へと
 
(1998年3月31日、HPにアップ)
 
 
  駆けよ        戸田聡
 
君は足りないもののために喜ぶだろう
満ち足りることのために悲しむだろう
たまらず君は駆ける
走りながら強(したた)か転ぶ
前のめりに顔を潰す
鼻も唇も擦り切れる
血が流れて止まらない
そこが元の場所だと知る前に
傷んでいるのは君の背中だ
 
(1998年3月31日、HPにアップ)
 
 
  山へ、そして夕方、夏     戸田聡
 
暑い
ただそれだけの理由で
夕刻からバイクで山を目指す
日差しはまだ強い
山上へ向かう近道を走る
気温が下がっていくのが体感できる
山の上は曇り
涼しい
景色もいい
だが束の間だ
まだ暗くなるまでには間があるのだが
そうじゃない
雨が降りそうでもないのだが
そうじゃない
一人では山の上で格別することもないし
そうじゃない
一つの柵(しがらみ)を捨てたときから
すでに解放されたはずだった
帰る
という習性はプログラムの
バグの欠片のようでありながら
染み付いている次元の時限で束縛する
下りてゆく
下界への道
下り坂の前に
恵みとも罪とも罰とも付かぬまま
終わりに向かって巡り続けることを
しばし忘れさせ
また忘れさせて
返ってきた蒸し暑さの向こうに広がる
涼やかに確実に移ろいゆく
この日山上に置き忘れた
ひとときを見下ろしてくるひととき
 
(1998年7月7日、HPにアップ)


  耐えてひるまず      戸田聡
 
虐げられたという怒りの前に
なだめるように墓標は立つでしょう
虐げたことは一度もないと言えますか
そして哀しげに見回すでしょう
恨みを晴らしたいのですか
それとも不正をただしたいのですか
恨みを晴らしたいのなら
怒りに身をゆだねるのが早くたやすいこと
しかしもし不正をただしたいのなら
いかなる闘いにおいても
人が人を切ることの恐れと罪を知り
義を足場として固く立つべきでしょう
 
怒りは怒りを生むだけだから
いかなる不幸を前にしても
最後まで耐え忍ぶべきことがあるはずです
あらゆる理不尽と不正と
差別と犯罪に対して闘うことを
勇気と呼ぶために
 
主イエスは言われました
「心の柔和な者は幸いである」
そして命を賭した柔和さを示されました
 
この身はたとえ死の谷を歩もうとも
墓標の石板に
それら勇者の名は刻まれる
人には悲しい戒めのように
 
ディスクリミネーション
クライム


耐えてひるまず
 
(作成年月日不明・・・96年か、それ以前?)
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誰からも、私の座右の銘からも、
「何様のつもりだ!」と言われそうな作です。
被害者と言われる人々だけでなく、
個人の苛められ体験や、個人の恨みも、
もちろん私自身も問われることだと判断いたしました。
 


  罪と神の御業(みわざ)     戸田聡
 
病むことの苦しみは
病んだ者にしかわからない
 
病気は罪の結果であり
病人は罪人であり
近づく者さえ汚(けが)れた者とされた時代
一人の盲人について
「誰の罪ですか」と問う弟子にイエスは
「誰の罪でもない
ただ神の御業が現れるためである」と答えた
そのように公然と言うことが、ゆくゆく
どれほど危険な結果を招いていくか
百も承知で
 
負わされることの苦しみは
負わされた者にしかわからない
 
長い間いわれもなく
負わされてきた「罪」が
「神の御業」に言い換えられたとき
そう公言して憚(はばか)らない人が
目の前にいることが
癒し・奇跡と言えるほどの
驚くべきことであったのだと思う
 
聖書はそのあと
盲人の目が見えるようになったと記している
あげれば忘れてしまいそうなくらい
同じような奇跡物語が多く記されている
奇跡が実際起こったのかどうか
私は知らない
どちらとも信じていない
疑いの中をさまよいながら私は思う
それでも使徒たちが伝えないではおれないほどに
驚くべき何かがその時々にあったのだ
それはきっと
肉体や物を揺さぶるよりはるかに強く
彼らの魂を揺さぶったのであろうと
 
(作成年月日不明・・・96年か、それ以前?)
 


  去り際の願い      戸田聡
 
いくつかの微笑と
数々の哀しげな顔や
苦悩の表情が
私とともにあって
それらが皆
去り際の人間の顔として
私とともに流れてきて
私は今ここにある
(どこか)
私はどこに
いざなわれるのだろう
いったい私の去り際に
(いつか)
どんな顔を
誰に向けるのだろう
 
願わくは
眠りに入る刹那のような
安らぎとともにあらんことを
ぬるい夢に流れてゆく
私の呆(ほう)けた顔が
その時だけは雲間から淡く
広がる光の中に
小さくきらめく
雫(しずく)のようであらんことを
何よりも無邪気ならんことを
 
 
  人の季節       戸田聡
 
うっとうしい梅雨である
眠れない夜である
と思っているうちに朝は早く
日差しはなく
薄暗く
薄明るい
 
許さない、と幾度も
心の中で
わめいたと思うのだが
どういうわけがあったのか
特定の人に対してだったか
背教のつもりだったのか
忘れたのだが
それらよりもずっと多く
自分に対してだったような気がする
言った後で何の救いも
希望もなくなることに
おののいて
聖書の幾頁かをめくる
特別新たな感動が
生まれるわけでもなかったりして
もはや信仰は凝り固まった
しこりのようだと考えるけれど
しこりはまだ
ほんのわずかに
熱を帯びている
ぬくもり
と懐かしい友を呼ぶようにつぶやく
 
ひょっとしたら
許さない、ではなくて
許されない
許されるものか
であったかもしれない
 
熱は癒え
冷たい氷は溶け始め
また新しい罪が生まれる
許していただくほか
救いも希望もありません
と産声(うぶごえ)を上げる
あらゆる季節の
人間の
冬の終わりに
幾度も幾度も冬
の終わりに
 
(作成年月日不明・・・HP開設時か?)
 


  無能の面        戸田聡
 
計算される数式の値として作表される
片隅の一つのセルのように
あまりにも危うく日々に過ぎて
収まっては壊されやすい
脆い仮面であるのかもしれない
歩みを止め足を踏む木彫りの面
古びた皺と凹凸は罅(ひび)と剥離を伴い
熱を押し殺し秘めた息を舞う
計算も予測も不能な傷の
責め際に割れかけて
なお私を離れぬ面
紐で括るか
内側で噛みつくか
 
(1998年5月12日、HPにアップ)
 
 
  予定と未定へ      戸田聡
 
雑音で目が覚める
睡魔の中までテレビが入り込んでいた
内容は覚えていないのに
見るつもりもないテレビショッピングの
喋りまくる宣伝の声
少し息が弾む
テレビを消してまた横になる
耳鳴りと時折遠くで車の音
汗ばんだ体が冷えてゆく
なぜか胸の中だけ急ぐような動悸
霧深い森の中ひっそりと
このようなものであろうか・・・
いやいや今日は廃品回収の日
我に返る
アルミ缶と新聞紙だったな
やって来るのは子供会だったか
業者だったか聞いていない
何か聞いた
何か見たような
リエントリーどこか
いつかリサイクル
再び我に返る
?返ったのか彷徨っているのか
まもなく新聞配達のバイクの音
鳥が鳴き始めた
 
(1998年5月17日、HPにアップ)
 

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