大切
習って学んだつもりの教え込まれた道理は
例えば教理という理性の産物によって
理性を抑制してしまう
誰も傷つけないことを発信しようと思ったら
つまるところ社交になるだろう
社交は必要なものだが
重いテーマについて考えるときに
あってはならない忌憚を作ってしまう
誰に対しても批判をしないなら
自分の気持ちに不正直になる
すべての人の意見を許容できるというのは
嘘か偽善か無理な思い込みだから
人間はいつも今自分は正しいと思っている
過去と未来は分からないので
折に触れて努めて反省したり再考したりする
批判というのは自らの思路の検証である
他者がいなくては出来ない作業だが
攻撃だけの悪口と一緒にしてほしくない
批判対象の引用は
疑問点であると同時に題材なのだ
神秘にばかり憧れていると
神秘らしくない日常での
神の働きや導きの可能性をやすやすと見逃してしまう
神に憧れキリストを慕い
さて信仰によって
神に成り上がりたいか
少しはマシな人間になりたいか
神の起こす超常を否定はしないが
最も大切なこととして
神秘は
今生きて
日常を過ごしている自分がいることだ
奇跡は
今自分が生きて
信仰についてブログを書いているということだ
(2015年01月16日、同日一部修正)
(2015年01月17日、画像追加)