ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

年寄りです。1954年2月24日、長崎市の生まれ。17か18歳で、佐世保で洗礼を受けたクリスチャン。現在、教会へ行っていない逸れクリスチャン。ブログのテーマは、キリスト信仰と、カルト批判が中心です。ヤフーブログから移行してきました。ブログは、2010年からなので、古い記事も多いです。


  虚数まで
 
僕が負の平面を旅して
膨張した平行線や
無限と戯れている間
君は負を好まなかったから
似合わない帽子をかぶり続けていた
長い長い0(ゼロ)までの距離を束ねて
狭い正面を向き合ったときには
君の存在は確立した可能性の外でも
不意に現れた僕の偶然を既に作表しており
君は自らのルートを知っていたし
僕がどんなに膨らんだ式の
組み合わせを並べ替え
積み分けようとしても
用意された美文は
隣の子供をあやすように
戻しようのない速度で反応し
君は正の位置を求めて去った
計算を誤った限界値は
極限に達して改めようもなく
僕は自浄して
再び負の平面へ去るか
君が残していった
無理な帽子から
i(アイ)を追い出すしかなかったのだ
 
 
  きぼう
 
そらをみれば
そらにすわれ
こなごなになって
きえてしまいそうで
 
ひとをみれば
ひとみのおくにすわれ
すきとおる こどくのなかで
いきが たえて しまいそうで
 
いつのまにか
うすい いのちに さく
はなのあいだに
ただようかおりまつみの
ほのかな
ぬくもりのかげに にている
 
 
  高い窓
 
壁の 絵の
幼い少女は 手を伸べて
あそこよ と 指さしている
 
それが最初に見た
希望の形だった
 
伸びてゆく 手 が
かすかな影を ふるわせながら
うすい 光の 向こうで
声 を 待っている
 
孤独な 光だけが
医者のように 顔色を変えないで
夜じゅう 診ていたらしい
しらんでゆく窓に 衰弱して
くぼんだ 血管の 足音を聴いている
 
その小さなふるえから身を引いて
あきらめた 手 が
狭い視野から
落ちてゆくころ
 
また朝焼けの始まる
高い 窓の
物陰に隠れて
 
目覚めてはいるが・・・
 

(※ NGワードに引っかかった。
 「小さくふるえながら」に修正してパス・・・よくわからん・・・)
(2013年04月04日、NGワード設定が改善されたことが分かったので、元の文言に修正。)
 


  聖書
 
 一般に紙は薄く、頁はめくりにくく、ボールペンで線でも引くと裏から透けて見えること多く、にじんでくることさえある。一般に分厚く、途方もないと思えて、なおかつすべての一行一行に涙流れるわけでもない。メモでもしておかないとすぐどこだったか忘れてしまう。これに一生を費やす人がいるわけだ、と他人ごとのように思う。
 聖書、バイブル。旧約聖書、新約聖書。文語訳聖書、口語訳聖書、新改訳聖書、共同訳聖書、リビングバイブル。
 永遠のベストセラー、というより永く買わされてきたこの書物を全部読みこなせた人がどれだけいるのだろう。たとえそらんじたとしても信仰に保証はないのだ。
 開こうとするたび、無数の異国の怪人が現れ、白髪の老人であったり、真黒な眉毛と髭の間にこわそうな目がにらみつけたりする。
 こりかたまりの戦争の話であったり、道に伏した栄養失調の嘆きであったり、熱くなって爆発しそうな顔であったり、こちらが爆発しそうになったりする。
ただときどき、ふだん嫌いな憐れみが命がけで迫ってきて、荒野や砂漠が潤ったりするので、海が割れたり死人が生き返ったりしてこんな頭持ってないと破り捨てたくなるのを、笑えなくする。
 


1996年HP開設時か、それ以前・・・
作成年月日を書いていないものは
大体その頃です。
 
 
  バベル       戸田聡
 
こがねの中でバブルははじけ
大地の下でバブルはつぶれ
多くの人々が死んでいきました
高い高いビルの中で
長い長い道の上で
人々は徒党を組み
同じ志と呼んでも
人々は集いあって
同じ情と呼んでも
ウソは暴かれることもなく
さらに高い塔をあがめるのです
人は群れとなり数となり
互いを石ころのように数え
互いをコードを頼りに送り迎え
高みを高みをと求めるのです
通じ合うルールのような暗号があふれ
通い合わない心が満たされないまま
失われたもののために
低みを流れる川のように
静かな潤いを求めたとしても
求めるとき川は枯れ
渇いたとき泉はなく
飢えたとき食物は尽き
くずれてゆく群れが
カオスの集散を重ねて
いつか恨めしく見るのです
まぶしく光るきらめきを
無機質の異星のような高い塔を
そしてようやく
自らのバブルとバベルに気づき
少しずつ届かない塔を疑い始めるのです
 
 
  友          戸田聡
 
あなたが多くの人に出会ったとして
どれほどの人に愛されたであろうか
どれほどの人に傷つけられたであろうか
と考えるよりも先に
どれほどの人を愛したであろうか
どれほどの人を傷つけたであろうか
どれほどの人に悪意をいだいたであろうか
人は到底それらすべてを知り得ない
傷つけられたことは覚えているのに
傷つけたことは容易に忘れてしまうか気づいてさえいないものである
忘れることをすべて幸いといえるだろうか
すべてを忘れることの不幸を少しでも思うならば
父なる神、主を恐れることは知恵の始めである
 
あなたに多くの友がいるとして
どれだけが欲の友であろうか
どれだけが虚礼の友であろうか
どれだけが理屈の友であろうか
どれだけが誠の友であろうか
たとえ誠の友・真の友・愛する友がいたとしても
人の心はうつろいやすく命には限りがあるのだから
友が先に死んだならば取り残され
あなたが先に死んだならば友が取り残されるのである
別れと孤独を少しでも思うならば
永遠の友、主を覚えることは愛の始めである
 
 
  偽物           戸田聡
 
真実を悟っていると少しでも思うときには
たとえば信仰について
いちばん信じていることに
自ら偽物の称号を与えてごらんなさい
少しはへりくだった気持ちになれるでしょう
少しは自ら信じることに嘘がないか
内省してみる気持ちになれるでしょう
それを謙虚と呼びたいのです
 
人は人が知るべき真実に
近づき触れる機会を与えられていながら
見かけの美しい言葉で飾らなければ
理屈で辻褄を合わせ思いで納得しなければ
真実として人前に出せないような気がして
どこにも響かない空気の流れや
派手な排泄物にしてしまうのです
 
 
※ 私にとっては今も現在形です。でも、
言うまでもないことですが、
誰にでも当てはまる真理として書いたものではありません。
私が考えたこと以上のものではありません。
 


  スパムの風景       戸田聡
 
どこの誰が
どんな顔をして
書いている
夢を見せようと必死な
夢のないペンたち
 
出会い系 いったい
どんな目に会わせようとしている
一攫千金・お金儲け系 誰よりも
自らが金を攫(つか)むために
人を食う
ドラッグなど物売り系
「浅き夢見じ 酔(ゑ)ひもせず」
(「いろは歌」より)
 
すさんでゆく世界の
すさんでゆく私に
すさんでゆくメールの数々
今日も まとめて消して・・・
この荒野に
きっと彼らは飢えている
きっと私も 飢えている
 
父なる神様 彼らと私を
お赦しください
彼らも 私も
自分が何をしているか
分からずにいるのです
 
(2008年02月21日、HPにアップ)
 
 
  風景のない心       戸田聡
 
夜明けから孤独までの
あるいは黄昏から墓場までの
寂しい風景の趣などは
彼の目には映らない
人あるいは若者あるいは子供
風景に接しても
アイドルを見ても
スポーツに接しても
隣人を見ても
関わりの中に晴れるものを見出せず
裏切りの味覚しか持ち得なかった彼の
心には風景がない
突きつけられた刃が
現実であっても架空であっても
やせ細った彼の心に
受けて収める懐はなく
復讐と消滅への道が燃えるばかり
彼には偶像がない
彼には実像もない
そして際限もなく
気晴らしの出来ない気晴らしのために
風景が焼け落ちる風景さえも
見えない場を歩み疲れる炎である
 
(2009年08月05日、HPにアップ)
 


  話と想い        戸田聡
 
実は
で始まる話が
しばしば実話ではないように
実話
と言われる語り種(ぐさ)には
きっと幾つもの事実が欠けている
ここだけの話が
どこでも聞かれるとき
噂話(うわさばなし)は多く
憂さ晴らしのために語られる
書き表されるものは
想いを伝えることはあっても
読んだ人が必ずしも書いた人と
同じ想いになるわけではなく
想いは読まれたとき既に
読んだ人のものである
詩人の顔は見ない方がいい
 
(2000年12月06日、HPにアップ)
(2014年01月01日、若干修正)
 
 
  超常現象        戸田聡
 
リンゴが落ちる
引力の法則に従って
しかし引力の法則が
明日も成り立つことを
今日のうちに証明できる人はいない
物理現象には法則があり
それはあらゆる時空において成立する
という証明できない前提の上に
物理学が成り立つように
リンゴが明日は逆さまに落ちる
と思う人がいないように
明日は必ずやってくる
法則の成立しない時空が部分的に
あるともないとも証明できないように
明日の中に自らが含まれることは
常に超常だ
 
(2000年02月15日、HPにアップ)
 

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