ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

年寄りです。1954年2月24日、長崎市の生まれ。17か18歳で、佐世保で洗礼を受けたクリスチャン。現在、教会へ行っていない逸れクリスチャン。ブログのテーマは、キリスト信仰と、カルト批判が中心です。ヤフーブログから移行してきました。ブログは、2010年からなので、古い記事も多いです。

 
こんなこと書いていいのかどうか・・・今年の衝撃・・・
 
1.往年のアイドル中森明菜がパチンコになったこと。しかもクレーンゲームで吊るされて落とされる。
   (沢口靖子の「タンスにゴン」以来の衝撃だった。)
 
2.NHKテレビMLB中継のエンディングで流れる今年のテーマソング
 (カズコ・・・?) アッカンベー ハリセンボン ゴースト ゴースト ハリセンボン ゴースト (エー・・・)
 今年一番の「空耳」・・・?  英語で何て言ってるんだろう。
 
まあ、衝撃というか、笑える面白さなんですけどね・・・笑撃・・・?
 


  喫茶店
 
コーヒーに入れた
ミルクがつくる
渦を見つめながら
さよなら と
つぶやいてしまったのは
恥ずかしいことだね
とっくの昔 別れた人に
気泡のきらめき
青い帯
しずかな位置を持つ水槽は
何を写してきたのだろう
たばこの煙
開かれた眼差し
はずむ笑顔
はねかえる声
頬を染めて
熱い唇

さまよう視線
閉じられた声
ふと伸ばした手
ずれる椅子の音
冷たい唇

パツン と
弾かれるハンドバッグ
淡いコーヒー色を残したまま
愛車の待つ駐車場へ
行くんだ それは
待つ人の
誰もいない所でなければ
いけない
 
(1997年3月21日)
 
 
  油断
 
ユーモアがペーソスを孕んで
並木道をふわふわ舞っている
そんな空気にのんびり
吸われながら歩いていると
いきなりビュッと
残酷なギャグが切っていく
切られたものが見当たらない
見えないところで切られて
見られないまま消えたのか
まぶしいのに曇っている
目の上にピッ
何かが撥ねた水滴
一滴だけの雨?
ひやっとする
あるいは血かと
ふと笑いすぎて昔
微笑むことを忘れたひととき
を思い出す
額に残る一筋の感覚
目を狙って
放たれた鋭いもの
少しく外れて
皮肉にも生き残る
 
(1997年3月21日)
 
 
 
 
 


  奔流
 
警鐘は朝霧の森の中に吸い込まれてゆく
鳴らす者は余計な波風を立てて
いつかは沈む小舟に乗って
人気のない入り江から漕ぎ出でる
しばしば逆流する川の上流には
歳を偽って村人を名乗る者たちがいて
沼の味覚にのめり込んでは
鏡を震わせ抜く しきりに
白髪を流す あるいは
薄くなった髪を洗うそばから
流れ出すのは顔の方だ
うら若い髪の血痕を
拭うことのできないスナイパーとテロリストが
しばしば礼拝堂で出くわしてしまう
兄弟よ このようなベルトの上では
手も足も不要だ
未来の神話を語りながら
白々しくも欺いて殺し合えずに
拳銃を実は十字架をポケットの中に握り締め
耳を切り裂く沈黙の中に
谷間の街のしがらみにしがみついて
夥しく浮き沈む白い眼(まなこ)の
奔流の中へ再び身を投じる
 
(1997年3月22日)
(2019年03月12日、一部修正)
 
 
  空しさ
 
空しくするのは人だけだ
道具は捨てたとき道具ではない
約束は捨てたとき約束と呼ばない
希望は捨てたときその名を失う
それ故さらに空しくする
鉄屑が黒い泡を吐いて沈んだ後
裏切りと報復のタールの沼に
溺れる言い訳
すくえる者が何処にいる
陸に干上がった解釈の尾ひれ
愛撫する者が何処にいる
尻の繰り言の磨ぎ汁
拭えるものが何処にある
それ故それでも横たわる
眠るばかり待つばかりか
過ぎると人が言うものを
訪れると人が言うものを
何も期待せずに
道具などない もはや
約束もない
それ故まだ知り尽くしてはいない
希望の汚名を被ったまま
底なしの沈殿が捨てきれずにいるものを
自分を空しくするのは自分だけだ
 
(1997年3月23日)
 
 
 
 
 


  夜の行き方
 
夜を見ている目に
写らない夜が行きます
夜を見ない昼の目に
写らない夜が行きます
街の片隅
野辺の果て
唇を噛み締めて
拳を握り締めて
蹲(うずくま)る傷んだ黒い筋力が
痛みに盛り上がっていないと言えますか
夜と呼ばれる前に
夜は行くのです
闘いに
だからいつも抵抗する相手がいて
それぞれが独りで
抗(あらが)っては軋(きし)みながら
沈黙のうちに広がる暗黒の肉体を
引き裂こうと引き裂かれようと
潰そうと潰されようと
そうして夜は夜であり続けるのです
 
(2000年10月29日)
(2019年03月12日、一部修正)
 
 
  路上の悪夢
 
いいんだよ そのまま
落ちていっても
と橋の手前のカーブで
囁(ささや)きかける魔性は
目の前の橋だけを指すわけではない
 
 微睡(まどろ)みの向こうに
 咲いている花を取ろうとして
 足を滑らせる夢落ちに
 目覚めるときの視界は
 引き裂かれた鼓動と汗を伴いながらも
 力なく降伏の意思表示をして
 薄目を開けたまま事切れた兵士
 もう落ちては来ない目蓋(まぶた)を
 誰かの手がそっと閉じてくれた
 あれは夜の重さだったのだろう
 
橋を渡ろうとして
突然の爆風に吹き飛ばされる体が
飛び散る肉を
感覚することができないように
外の張りつめた寒気を
遮(さえぎ)るガラス越しの箱の中で
橋の上の道を車線に沿って渡る五感は
皹(ひび)を切る冷たさの感覚を忘れ
車線上の大気へ
一本の細い罅(ひび)を走らせる眼
割れてしまえば堕ちる瞼の
常に終わりのない橋に誘われている
  
(2001年12月07日)
(2019年03月12日、一部修正)
 
 
 
 
 


  祈り・瀕死の屍・理解と納得
 
理解できることはごく僅(わず)か
たとえ無きに等しくても
それは分かります
納得もできるのですが・・・
 
開けたばかりの
パンドラの箱から飛び出してくる
あらゆるものに
打ち当たられているような世にあって
自らも放っているはずの悪意
にだけは気づけないでいます
ただ関わってくる数少ない
善意の人々を次から次へ
不幸にしているような気がして・・・
疫病(やくびょう)神?
疫病の 人?
希望はありますか
死んでも残りますか
どこに・・・
 
繰り言の祈り
いつか教えていただけるのでしょうか
生まれてきたことだけ
理解は疎(おろ)か
納得もできないのです
前にも述べたとおり
生まれてきたことを
親の所為(せい)にはできません
これから先
自殺するにしてもしないにしても
生まれてこの方
犯してきた罪や
失敗はもちろん
幸運や
結局の不運でさえ
大方は自業自得で説明できます
納得もできます
諦めもつきます
ただひとつ
生まれてきたことだけは
こればかりは
自分の所為にさえできないのです
 
(2001年12月06日)
 

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