ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

年寄りです。1954年2月24日、長崎市の生まれ。17か18歳で、佐世保で洗礼を受けたクリスチャン。現在、教会へ行っていない逸れクリスチャン。ブログのテーマは、キリスト信仰と、カルト批判が中心です。ヤフーブログから移行してきました。ブログは、2010年からなので、古い記事も多いです。

    「生存権について」

国家は国民の生存権を守るために存在し、
そのためのみに存在する。
 
生存権を守ろうとしない国家なら、
愛する必要はない。
愛国心は元々国が間違っているときに、
それを批判する精神を含む。
 
生存権とは:
(1)生物学的生存権
(2)存在権:尊厳を持って生きる権利
(3)生活権:生き甲斐・目的などを持って生きる権利
「尊厳」「生き甲斐」「目的」などは個人によって違うので
国家が直接与えられるものではない。
国家が守るべきものは(1)~(3)を可能にするために必要な
経済的また制度的基盤である。
 
生存権が、上記の(1)~(3)であり、
(2)と(3)のように個人によって多様であるのだから、
独裁政治の「逆らわなければ食わしてやる」といったものは、
言うまでもないが、生存権を守ることにはならない。
 

生存権について前に書き込んだこと:
「生存権を守れずして何が国家か
と前に書きました。私は
この権利に特にこだわっています。
生存権:(1)生物学的生存権
(2)存在権:尊厳を持って生きる権利
(3)生活権:目的や生き甲斐を持って
  生きられる権利
理想としてではなく実際に
生存権を守れるか
という観点から具体的に考えてみると、
ある程度、様々な主義主張の
無理や嘘も見えてくるような気もします。
国家は組織だから
生き甲斐を直接与えることは出来ない。
しかし(1)~(3)の土台を作ることが
国家というものの根本ではないのか。
自由・人権・内政・外交あらゆるものが
生存権に関わっており、
生存権が前提である。私は
国というものの根本を
そこから考えて見たいと思うのだが、
はぁ・・・(嘆息)。
国が強制力のみによるのであれば
財源が・・・財源が・・・
ということになる。
福祉のための献金など(福祉献金制度)
自主的なものを考えれば
国民、特に富裕者の大半が
善人で博愛精神に満ちていなければならない。
たとい無駄であっても、試しに
その精神性を問うてみる政治家は現れないのかと、
甘くてユートピアだなぁという気持ちとともに、
一縷の、そして恐らく最後の、人類への期待を
人類の存続に託してみたいわけであります。
そして、その結果、今のところ、どの主義主張も信頼できず、
どれにも与(くみ)することが出来ないという現状です。」
 

金持ちの中にも社会に貢献したいという
気持ちを持っている人はいるだろうと思う。
もしいなければ話は終わりである。
 
でも金持ちの中には貧乏人と直接
関わりたくない人がいるだろうと思う。
卑しい人で変に依存されたら困るとか・・・だろうか。
卑しいから貧乏になるのか、
貧乏だから卑しくなるのか・・・
恐らく、私は、後者が多いだろうと思うし、それよりも
貧乏でも卑しくない人が多いと思っている。
 
この国をどうしたいですか :
桁外れの金持ちと底なしの貧乏人が同居していて
心のすさんだ人が多くなり
自殺と人殺しが多くて治安も悪くなって
身を守るために自警団が必要になりそうな国ですか。
全体を改善するためには
大義のためには
弱者の犠牲は止むを得ないと考える国ですか。
 
目指すべきなのは、私が考えるに、
貧乏人がいなくなる社会ではなく、
貧乏人が元気でいられる社会です。
 
幸福になるための最低限の土台として
先ず衣食住とお金と
相談できる人間関係のある社会を
実現する方向性を持ち、
そのために具体的に努力している国と社会です。
 


  ハンカチ
               戸田聡
自分のために
誰も傷ついて欲しくない
と君は語った
しばらくの間そのことを語った
私は一枚のハンカチを渡した
もらい物であった
私が使っていた
いくたびか汚れ
いくたびか濡れ
ときにはちり紙の代わりとなり
犬が噛んだこともあった
そのたびに洗って干した
少しは汚れや
唾液や涙液が残っているかもしれない
しかし君よ
今はそのハンカチで拭くのがふさわしい
私らの歩む先に
真っ青なだけの空があるだろうか
真っ暗なだけの夜があるだろうか
うつくしさだけで住める町もなければ
みにくさだけで去れる町もないのだ
君は語り私は聞いた
海鳴りのように遠く
耳鳴りのように近く それくらい
明らかではない私らの出会いの後
いずれ君は私を忘れ
私は君を忘れるだろう
だから君よ
この一枚のハンカチを君に渡すのは
今唯一明らかな約束の在り方として
その捨て方を君にまかせるためだ
 
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まだ43歳だった・・・
(1997年3月20日、HPにアップ)
 


  なくしたアルバム
                      戸田聡
少しは懐かしくもあるけれど
格別お名残惜しいわけではない
ともかくも君らが私と別れたのは幸いだった
お互い結局
いいことばかりじゃなかっただろうから
君らが今どこにいるのか知らないが
私よりは多くの陽を浴びているだろう
私は暗いところにいる
といっても気持ちはそれほどでもない
いま会ってもわからないかもしれないけれど
君らの笑顔はぼんやり残っている
それで気分のいいときもあるのだから
起きたいときに起きて
汚れたまま街を徘徊したっていいんだけれど
なかなかそこまで気が進まない
 
私が何をしているかといえば相変わらずで
傷を集めたりしている
かすり傷、細い傷、いろいろだ
傷つきながら夢中になって
君らが丈の高い萱(カヤ)の中を
あんまり急いで走り回るから
あとで血がにじんできて
びっくりして痛がっていた傷とか
けんかしたり転んだりして
君らが遊んでつくったアザとか
私の目に
はっきり写らなかったものを集めている
そして並べてみて
くすっと笑うことだってある
君らが川や海辺や山にいても
路地や工場の跡や
お化け屋敷にいても
泥んこや田んぼとだって友達で
君らの声がきらきら輝いて
何を言っているのかさっぱりわからなくて
みんな名付けようもなくひとつだった
 
若者になって並んでいた君らはもう
埃(ほこり)を被(かぶ)った私には
ぼんやりしていて
虹の向こうでかすかに微笑んでいるんだ
あの頃は
と君らは言うかもしれないけれど
あの頃いちばん大切だったものは
君らは捨て去るしかなかったこと
私はわかっていた
君らは私と
知らないまま別れるしかなかったことも
 
君らが遊んだ人形や玩具
もう二度と触れることはないと
気づかないまま手を離した瞬間が
スローモーションのように写っているよ
 
君らが私をなくした日のこと
私は覚えている
でも君らは忘れていい
君らは皆、私を卒業していった
私は埃を被ったままでいい
これから先、君らが何か
咎(とが)められることがあったとしても
咎めるのは私の役目ではないのだから

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主語「私」=「アルバム」のつもりです。
(1997年2月21日、HPにアップ)
 

「日常×非日常」 批判。
 
記事を見ると、
パワースポットで「聖なるものに出会い、」には隣人愛がないゆえに自己満足・・・
という文脈になっている。それゆえに
「隣人愛のないところに聖なるものとの出会いはない」
という文脈は整っていると思える。私は間違ったのだろうか。
少し間違ったかもしれないので、その点は謝罪したいと思う。
しかし
何故パワースポットの話しの例という流れで語り終えなかったのだろう。
なぜ私は前コメントのように受け取ってしまったのだろう。
少し離れて書かれている短い言葉
「隣人愛のないところに聖なるものとの出会いはない」
は、あとで思い出すと、そこだけが印象に残る。
短く最後に語られているだけに、格言か、聖書の箴言の一節のように、
パワースポットの話しの流れとは乖離してゆく印象である。
そうなると私の前コメントのような見方が出てくる。
 
そういう短い文を最後に書くことは必要であろうか。
そこだけが独立して記憶される可能性を考えると・・・
 
例えば対偶命題にすると
「聖なるものとの出会いがあるならば、そこには隣人愛がある(生まれる)」
となって受け取りやすい。
ただ
「隣人愛のある・ない」や「聖なる出会いはある・ない」も
独立した文・結論となりうることを考えると・・・
 
「隣人愛のないところに聖なるものとの出会いはない」
だけが印象に残った場合、前コメントのような批判は出て来やすい。
 
うがった見方として、パワースポットの話しは、話しのつなぎに過ぎず、
「隣人愛のないところに聖なるものとの出会いはない」
という結論だけを本当は言いたかったのではないか
となると話しは全然別になってしまう
ということを申し上げておきたい。
あまり格言的格好付けは、やりすぎないほうがいいということだろう。
 

  母とマットレス
              戸田聡

老いたる母がいて
まだ生きている
ROM化したルーチンのように
毎日買い物に出かける
そこそこ元気だ
母は腰掛け付きのコタツテーブルを買った
私は予測もし注意もしたが
椅子のほうが立ち上がりやすいのも事実だ
母は年老いたのである
予測どおり母は居眠りして
時々椅子から落ちる
ドッテンと落ちる
母が居眠りをしていることに気づいたら
マットレスを折りたたんで
椅子の横に敷くことにした
母は椅子を肘掛け付きに替えた
なおもマットレスは必要だ
今度は椅子ごと倒れると予想している
 
 

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