ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

年寄りです。1954年2月24日、長崎市の生まれ。17か18歳で、佐世保で洗礼を受けたクリスチャン。現在、教会へ行っていない逸れクリスチャン。ブログのテーマは、キリスト信仰と、カルト批判が中心です。ヤフーブログから移行してきました。ブログは、2010年からなので、古い記事も多いです。


どこに貼ったらいいのか分からないので、
HNか写真クリック→ブログプロフィールと、
同じですが、ゲストブックの欄に
ブログ村ポエムブログの「暗い詩」のバナーを貼りました。
「現代詩」などもありましたが、
「暗い詩」という部門?があるということが気に入った。
参加80人だそうで(・・・少ないが・・・)。
バナーをクリックしてもバナーしか出てこないです。
バナーの下の文字列のほうをクリックよろしく。
 
 
  好きです
 
悔いが作らせるような
哀しい歌が好きでした
 
自分を責めることのできる人が好きです
過ちを悔いることのできる人が好きです
それは近寄ってくる人々からの
賞賛の笑みも報酬も
勝ち取ることはできないかもしれない
わからない けれど
利得による関係は人間関係ではありません
論理による関係は人間関係ではありません
ときには他者を激しく憎み
しばしば社会に馴染(なじ)めず
何よりも自分を好きになれない
矛盾だらけでも
そういう人は好きです
悔いる者は幸いなり
彼らは人の国を受け継ぐであろう
と不遜にも言いたくなるくらい
好きなものは好きなのです
 
小さく弾(はじ)ける孤独な叫びが
最後に身を投じる暗い静寂(しじま)の潜熱のような
悲しい歌が今も好きです
 
(2002年07月12日、HPにアップ)
 
 
  茶柱
 
私の夢よ
憧憬(あこがれ)よ
その茶柱を取ってくれ
そして息になぞらえて
吸い込む姿勢で待ってくれ
私は去りはしない
 
絶え間なく裏切りの
喪章をつけた野良犬が
喜びに餌も忘れて
茶の間から宵闇への道
半旗の中を走っていくよ
 
私の歌よ
悲しみよ
その茶柱を取ってくれ
そして眉間にながらえて
戸惑う息に耐えてくれ
私は去りはしない
私は笑っては いない
 
(1997年3月19日、HPにアップ)
 

イメージ 1
引き潮では道が現れ、軽トラックが通ったりします。
有明海は潟が広いので、
沖のほうに船が泊まっていて荷を下ろすのでしょうか。
テレビの焼酎か何かのCMに、よく似た景色が出てきます。同じ所かどうか分かりません。
 
同じメーカーだったか?、CMで
「 父の知らない私と
  私の知らない父が
  坂の途中ですれ違う 」
妙に心に残っています。
 


  椅子(いす)
 
他人(ひと)の作ってくれた椅子に
腰掛けていると
誰かが笑いながら声をかけてくる
立ち上がり
椅子を打ち壊す
人は驚いていなくなり
誰もいなくなった
扉をあけ
扉を閉めた
長い廊下がつづいた
長い廊下が続いた
 
長い廊下の終わりには
錆びた扉がしまっていた
外では何やら
がやがやと音が聞こえた
戻ろうか と思っていると
誰かが笑いながら声をかけてくる
あわてて扉をこじあけた
するとまたたく間に
彼をとらえた光の中に
彼はいなくなり
誰もいなくなった
 
彼の行方を
たずねてはならない
 
 
  ひっこし
 
破れて失われた
日記の頁には
何が書かれてあったのか
読めない字
意味のない落書き
詩のようなもの?
 
どこを捜しても見つからない本
ふとこぼれ落ちた小銭
買った覚えのない週刊誌
紐を取ろうとして
けつまずいて倒れた
お腹の上に文庫本落ちる
ほこりが鼻をくすぐる
ボール箱には奇怪な傷
いつのまにか壁にはしみ
窓の外では風が止み
くすんだ青空
虫が横切る
 
はて
どこかで同じような?
 
破れて失われた日記の頁に
何が書かれてあったのか
 

一休み・・・むかし撮った写真。
 
イメージ 5
天草四郎像だと思う。
 
 
イメージ 1
南阿蘇の道
 
イメージ 3
阿蘇の先のほうか?
 
イメージ 6
海へ向かう電柱・有明海
 
イメージ 4
天草のほうか?
 
イメージ 2
有明海の向こうに見えるのは雲仙普賢岳(平成新山に改名した?)
 


  虚血のとき
 
また細い血管が網膜上で
一過性の虚血を起こしたようです
いびつな扇形~帯状の視野欠損の中を
小さく鋭い光が脈動に合わせるように
煌(きらめ)きながら走っています
この欠損は回復する
少なくとも今までは
でも回復しなくてもいいのです
盲目になりたいわけではありません
太い血管が詰まって死ねばいい
ということでもありません
不可逆的な虚血は何かを描くたびに
見逃してしまったものたち
からのメッセージのように
もう随分以前から
血を引き掠(かす)め奪い
流れを遮りあるいは隠してきたのです
全身の虚血と虚脱が起こるとき
胎児が最初に聞く母体の脈動のように
流れる罪がモーターサイクルに乗って
乗り手を失う刹那の
沈黙の旋律を受け容れることでしょう
 
(1998年11月12日、HPにアップ)
 
 
  車のこと
 
買って三年
五人乗りのコンパクトカーなのだが
それまで軽自動車に乗っていたから
三十センチ幅が広くて
四メートルを超える車体は
扱いやすいとは言い難かった
知らない道へ気軽に入って行けなくなった
広い駐車場のある店にしか寄らなくなった
ちょうど車検を迎える頃になって
軽自動車のニューモデルが目白押しだ
どうせ一人でしか乗らないのならと
車の雑誌を買って諸元・仕様を眺めてみた
どれも一長一短
あり
予算
ない
結局車検してもらった
ぶつけないように
こすらないように
はみ出さないように
神経使う
白い枠の中にぴったり止めたり
方向転換・切り返し
人間なら簡単なことを
・・・・・・
そうでもなかったな
 
(1998年11月14日、HPにアップ)
 
 
  冬のバイク
 
冬の風は重くはないが
冷たく鋭い刃物のようだ
もはや気体以上の硬い質量を持っている
冬は冬の寒さを実感するのがバイク
などと気取っていた時代もあったが
真夏も真冬も今となっては
バイクに乗るのは億劫になりがち
ヘルメットの中へ容赦なく
冬の風は刺して来て
唇を頬を切って行く
しかもその風の大部分を
わざわざ作っているのは
紛れもなく一人の男が自分の意志で
走らせているこのバイクなのである
 
(1999年01月14日、HPにアップ)
 

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