ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

年寄りです。1954年2月24日、長崎市の生まれ。17か18歳で、佐世保で洗礼を受けたクリスチャン。現在、教会へ行っていない逸れクリスチャン。ブログのテーマは、キリスト信仰と、カルト批判が中心です。ヤフーブログから移行してきました。ブログは、2010年からなので、古い記事も多いです。


  Oさんへ
 
明るくて働き者で
負けん気の強かった君
 
僕は面倒が嫌いで
そっけなくて優柔不断で
精神科医というには程遠く
とうとう病人になってしまった
 
僕が休みはじめた頃
「いいですね、医者は」
まだ君の病気の再発を知らなかった僕には
あの一言は、きつかった
正直言って
僕のことなんか馬鹿にしていると思っていた
君が僕に向ける笑いは
どこか皮肉めいて
僕も同情などして欲しくはなかったし
 
君の働く姿と
病気と闘う姿にだけは
それなりに敬意を抱いて
もう何も役には立たないけれど
利用できるところがあったら利用したらいいと
 
結局、僕が君に贈ったのは
パソコンの旧式のプリンターだけ
ある日君は僕の自宅まで訪ねてきた
話はプリンターの使い方について
また皮肉の一つも言われるのかと思った
 
不甲斐ない僕に
君はあの日の去り際
あのときだけ
君らしくもない
今まで見せたことのない
不思議なくらい
やさしい笑顔と挨拶を向けて行った
 
えっ?と内心
僕は挨拶代わりのよそよそしい
笑顔のままこわばって
急に外れた車輪のように
路面を失って行き場もなく
そのまま走っていく車を
君、あの…
声に出せないまま見送ってしまった
 
あれからいくつの季節が過ぎた頃だろう
あの日が最後だったと知った
思えば君が一人で僕を訪ねたのも
あの日が最初で、結局最後だった
君はあのとき初めて
僕を患者として認知したのだろうか
患者さんにはやさしかった人
 
最後の最後になって
まるで天使(エンジェル)のような
何の邪気もない笑みを
君は僕の一生に残していった
 
印象はますます強いのに
形の記憶は薄れていく
それが頭ではなく心に残ることだと
自分に言い聞かせても
僕に君を語る資格はない
それだけ心に刻んで君の形にさよならするよ
あの時の君の微笑の
消えようもない
印象といっしょに手を振るよ
 
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もうずいぶん昔の話しになってしまいました・・・(ため息)
 
 
 
 


  祈りの章より抜粋1
 
父なる神よ
若い身空で癌を病んでいる女性がいます
彼女は生きる欲望と熱意にあふれており
仕事熱心で能力もあり
貧しく心病む人のために働いていたのです
私は癒すものとして力なく才乏しく
いつ召されても悔いはありません
何ゆえ彼女にかかる不幸を与えたもうたのか
父なる神よ
あなたの御心、その知恵のはかり難さに
私はおののくばかりです
どうか御心ならば
彼女の病に「去れ」と命じてください
どうか御心ならば彼女をお救いください
御心ならばわが命にかえて
彼女を守りたまえ
主の御名によって。アーメン。
 
 
  一つの嘘
 
お前(私)は祈りの中で嘘をついたな
御心ならばわが命に代えて、などと
お前は確かに嘘をついた
もしお前が健康で有能で仕事がうまくいっていたら
わが命に代えて、などと祈れたか
仕事がうまくいかずに
やけを起こしていたからだろう
命と引き換えに奇跡が起こって
聖人にでもなるつもりだったか
お前のやけに彼女を引き合いに出すなんて
知らないうちに、一週間も前に
もう死んでしまった人を引き合いに出していたなんて
 
さっきから煙草を吸ったり握ったり
煙草の箱をくるくる回したり
パソコン周りの空き缶や書類やごみ
下の方を見回したり何をやっている
 
馬鹿野郎
 
 


  平安
 
がっかりして
神様に祈って嘆いたり
駄々をこねたり・・・(嘆息)
 
信仰がもたらす平安とは
いつも安らかな顔をしていることではなく
悟りきった顔をして
笑顔を見せることではなく
 
気持ちを隠さず訴える相手が
いつもいるということ・・・
 
それだけでも
なくてはならぬもの・・・
私は救われている
 
(2010年10月18日)
(もちろんそれだけではないとは思うが・・・
 ・・・信仰薄い者より・・・)
 
 
  「それ」からの手紙
 
光があるから影ができる
しかし光があるから影があるのではないとも言える
夜の闇の恐怖に連なる暗さに似た
影というものの存在を目で見て知ったからこそ
影を作らせ反対側で闇をなくす
方向を持った存在を初めて知り
それを光と名付けた
 
ばい菌やウイルスがいるから病気になる
ばい菌やウイルスなど病原体そして
全ての病気の原因は
病気が起こるから探される
病気があるからそれがない状態を知る
それがありがたいから健康と名付けるがゆえに
予防しようという考えが生まれる
 
影によって光を知る
病気によって健康を知る
 
絶望によって希望を知る
希な望み
誠に希望を本当に知る人は少ない
欲望は派手な花々を求めてやまないが
希望はただ生きる魂を求めるのみである
それを知っているかぎり希望は
あきらめの中にさえなお存在しうるのです
探し続けてごらんなさい今ある力の限りを尽くして
絶望とあきらめの中にいる今こそ
                 生ける屍より
 
(96年、またはそれ以前)
 


  浴びる光
 
弱々しい光を浴びながら
待宵(まつよい)の影が
命の帰趨(きすう)へ落とす
一滴(ひとしずく)の収斂(しゅうれん)でもよく
弱々しい光を浴びながら
夜明けの朝靄(あさもや)が
次第の熱に命を捨てるように
霧散し発散するのでもよい
いつの日か時空と呼べる光の場が
いかに虚妄であっても構いはしない
真っ直ぐに進もうとしても
強い力には引かれて曲がり
手に取られ守られることはなく
逆に手を囲み
その脆(もろ)さを教え
水に取られても
吸収する何ものもなく
逆に吸収され減衰しながら
幾たびも屈折し
幾たびも反射して
しばしば陰り隠されそうになりながら
衰える光は
衰える光を浴びている
 
(2001年05月10日)
 
 
  あなたはいつも傍に
 
あなたはいつも傍(そば)にいる
今にも刃物で胸を突き
切り裂こうとする人の、
仮面の裏で口を潰しながら
燃えて突き上げる殺意を育む人の、
不眠不休で残務に追われながら
燃える札束に轢(ひ)かれる人の、
死の床の痛みが撥(は)ねて繰り返す吃逆(きつぎゃく)の
不眠の過去を呪うしかない人の、
肩を組む千鳥足の、
肩を抱く独りぼっちの、
あなたはいつも傍にいる
傍には距離はないのだろうか
それとも永遠の距離だろうか、まるで
いつも一緒にいながら遂に
認め合うことのない者たちの一人
ででもあるかのように、しかし
どこにいても
あなたはいつも傍にいる
殺されながら無視されながら
なおもあなたのやさしさは
傍にいることでしかないかのように
 
(2000年08月15日)
 
 
 
 
 


  貝殻
 
小さすぎて
目立たない貝殻は
無視されがち
お隣りや
御近所の
大きな貝殻を
恋人たちが拾ってゆくのに
小さな貝殻は拾われることもない
同じように海のにおいや
海の響きと歴史と
虹色をもっているのに
 
ある夜
星の輝きの下で
月の光を浴びながら
小さな貝殻は
浜に残ることもまんざら悪いことではないと
すでに主はいない
動いて誰を驚かすわけでもない
小さな位置に
小さく月の光を映していた
 
夜明けて
人が集まるころ
小さな貝殻
波に押され
砂に埋もれ見えなくなった
人知れず命を宿したかのように
 
 
  歯車
 
噛み合う歯車だって
長く使うためには
油をさして
慣らしや
暖気が必要だ
 
噛み合わせようとすると
きしんだり
ひびが入ったりするのは
木で出来ているのか
岩で出来ているのか
ぼろぼろとこぼれていくのは
砂岩の類か
 
そんなはずはない
これだって歯車だ
元々か、いつからか知らないが
噛み合わなくなっただけだ
失敗?
そんなはずはない
歯車として造られたんだ
噛み合う歯車を探してみたんだ
まてよ
まわりにいっぱい歯車があって
それらがうまく噛み合っていたとしても
いずれ寿命が尽きて壊れるものだ
歯車として造られる必然がどこにあったのか
いっそもう一度原料に戻せたら
 
まてよ
のまま待ちながら結局
変わりようもなく
捨てられ、忘れ去られ
錆びついて動かない砂の上
地球といっしょに回るだけの歯車は
太陽のめぐりを眺めて
やっとうまく噛み合ったと
少しく熱して埋もれていった
 
 
 
 

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