ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

年寄りです。1954年2月24日、長崎市の生まれ。17か18歳で、佐世保で洗礼を受けたクリスチャン。現在、教会へ行っていない逸れクリスチャン。ブログのテーマは、キリスト信仰と、カルト批判が中心です。ヤフーブログから移行してきました。ブログは、2010年からなので、古い記事も多いです。


  ボールペンⅠ
 
引き抜かれた芯は
細い裸のまま
ふるえる指先のふるえを受けてふるえる
書けない責任を負わされて
インクの残りを見るための
視線にすーっと舐められてゆく
いきなり激しいめまい
天井と床の間で振られ
さらに荒々しい熱い風
悪臭にさらされる
このような移動と臭いは好まないと
断るすべもないままに
次は強い圧力で
押しつけられる紙の上で
嘔吐して刻まれた溝に流す
「まだ使えるな」と
その身が尽きるまで続くのだが
外筒におさめられ
改めて押される速さに
右に左に上に下に
圧力は無理矢理に片寄り
やはりふるえる指先の
ふるえを受けて
刻んだ直線を歪ませる
 
 
  ボールペンⅡ
 
くやしいペン
振っても振っても出てこない
はーっと息
まだ出てこない
しんを吹いてから
強く押す
また振って
もっと強い圧力
深い溝と
申し訳程度に
うすい文字が途中でかすれる
もう少しだったのに
喉まで出かかっていたのに
また消えた
最後には指先でおもちゃになって
くるくる回され
倒され
転がされ
トトトト


話にならない
やめた
後ろのごみ箱にポイ
捨ててやった
やっと机の上で休んでいる
 
 
 
 

(絵が判るわけではないのですが・・・)
 
  絵の記憶Ⅰひまわり
 
力強さより繊細に過ぎて
神経質なまでに
折れ曲がった線が
重なり
重なる
原色のではなく
原色を殺す力
花開くときではなく
すでに散るときを見据えて
苛立ちと弱さを秘めた
自画像が重なる
死の強さ
永遠の威嚇ではあるまいか
 
(1996年11月8日)
 
 
  絵の記憶Ⅱちひろ
 
微笑んでいるのか
訴えているのか
横顔の
見つめれば遠く
目をそらせば逝ってしまいそうな
瞳が
木立や木の葉といっしょに
あまりに淡く
あまりに深く
にじんだ風景を見透かして
季節が分けることのできない
かすかな移りを捉えて
透き通った譜面を呼び
そのひとときを舞い
ふれあう未知を奏でていた
平面を離れ
白い来歴の向こうから
過ぎ去るものの
一瞬の姿をとどめて
水彩の少女
いま何を舞う
 
(1996年11月8日)
 


  刺の関係
 
「少しはチャンスがあったような…」
「いやなかった。あったのは死ぬ自由だけだった。死ぬチャンスだけだった」
「それもなかった。私は病で倒れたゆえ」
「あなたは無理と承知で無理をした。あなたを殺したのは過労とストレスと失意と絶望ではなかったのか」
 「一度死んじゃうと、やり直し利(き)かないんですよね」
「お前は誰だ。我ら一人一人の苦しみが分かると言うのか」
 「分かっているとは言えません。私はまだこの世にいるのですから」
「お前に何が分かるか!」
 「だから分かりません、分かりませんよ、ごめんなさい」
「おまえに…わかる…ものか」
 「今、安らいでいますか」
「…オ……ワカ……モ…カ…」
 「どうしたんです。よく聞こえない」
「…………」
近くにいるようなのに、遠ざかる声
夢か空想か、夢の続きを空想しているのか
 
もし私が自殺したら
彼らの前に泣き頽(くずお)れるだろう
ふるえながら神の裁きを待つだろう
もし私が天寿を全(まっと)うしたら
怒鳴りつけてやりたくて
でもやはり頽れるだろう
 
人が生か死かの選択を迫られるとき
神様は、人にお与えになった自由意志に期待を寄せて、あえて沈黙されるような気がしてならないことがある
幸か不幸かは死に方にもよるだろうが…
 
頑張った人が報われる社会
頑張らなかった人はもちろん含まれない
頑張れなかった人さえも含まれない
頑張ったけれど失敗した人も含まれない
頑張って成功した人だけが報われるということだろう
自由競争・成果主義・適者生存
桁外れの富と底無しの貧困が同居する
這(は)い上がるか落ちてゆくか
自由の名のもとに生存は脅(おびや)かされ
ぎすぎすした関係は共存から競争に明け暮れ
ますます刺々(とげとげ)しいものになってゆく
人から生まれ出た刺(とげ)が人を襲い人を殺す
 
人災止(や)まざれば
天災止まず
人災の加害者と
天災の被害者は違うから
これは妄想だが
限られた人々の
限られた財布の中身と命をも
あの手この手で
もぎ取り毟(むし)り取ろうとする
人食いの時代
あっさりと過ぎたことにされる一つ一つの死は
あっさりとは過ぎてゆかない災いを残すだろう
鋭い刺(とげ)がどれだけ人を殺し消し去ろうとも
刺が消えずに残り続けるあいだは
 
(2005年01月16日)
 


  祈り・目覚め
 
また嫌なものを見てしまった
という気分で目が覚める
まだ生きてるの 頑張るねー
という呟きで自嘲する それでも
最後の眠りが未だ訪れていないように
一番大切な目覚めは まだなのですから
欲しがっていてもいいですか 目覚め
欲しがるだけで終わりそうですけれど・・・
まるで神様に保証を求めているようだな
と呟いてまた自嘲して
人目をできるだけ避ける暮らしでも
人々の間に自らを曝してゆく
見られる嫌なものになって
去らせてゆく
 
(2002年11月28日)
 
 
  ハレルヤの鬼
 
車の運転をしていて
頭がぼうっとするときに
ハレルヤ、御心のままに、ハレルヤ!
と思わず口に呟き
心に叫ぶことがあるのは
賛美の言葉でありながら
神様の好きなようにしてください!と
やけくそのようでもあり
ときに真面目な鬼のような面相で
決意と必死の願望の
意思表示を志している
たとい此処で死んでも
神様を呪ったりはしません・・・!
されどどうか
人を殺すことだけはありませぬように・・・?
 
(2007年07月27日)
 
 
  礼賛
 
偶像礼賛
愚草礼参
空想乱山
空疎散乱
空手 退散
 
ねたむ神の
みこころ
 
偶像退散
かなわずとも
祈り 告白
 
 人は思いのうちに
 偶像を捨てられましょうか
 
父なる神の
めぐみ
 
人の子の子の
民よ
祝福とともに
低みにあれ
神は民を求められる
 
 乱山の
 ふもと
 谷間に
 青息吐息
 
青く
遠い

から・・・?
 
(2007年08月15日)
 


  狂気の椅子
 
狂気は病院にではなく
病人にでもなく
ありふれた口や顔が
集まり離れるところ
いつも何気なく
さりげなく
何事もないかのように
様々に色を変えて働く
個がなくなるとき
同時に声を変色させ
同じ色に眼を曇らせ
手を上げ押し寄せ
叩き痙攣する
個が過剰になるとき
刃物を探り
爆発の炎に燃え
殺意の来客を迎え入れて
白昼から密談する
ここに狂気がある
同じように正気がある
一皮むけると切符を握り締めて
どちらかが口になり顔になるのだ
危うげに揺れる明け暮れに
虹色と土色の暇(いとま)を転がしている
誰もが一度ならず腰を触れ
誰も見えない椅子の上
 
(1997年6月6日)
 
 
  ガラスの檻
 
道は檻へ続くと運転手は言った
留置場か刑務所か
しかし人はいないという
動物園か?
しかし誰も寄り付かないという
周りの緑が土に変わるが
汚れているわけではない
空気は澄んでいて涼しい
人通りはやがて絶えた
車が止まったとき
運転手がいないのに気づいた
ガラスのドアが目の前にある
それだけがある
開けて入ると
中は清楚な趣で
曇りガラスの窓を持つ
土色より薄く塗られた壁に囲まれて
檻というにはあまりに細い格子の中に
黒く低い像
頭を抱えてうずくまる
かきむしるように乱れた髪
細身で胸から脇腹は
やせて肋骨が浮き出ているが
こぶのように筋肉が
硬く盛り上がって
激しく体
自らを抱きしめようとして
突き上げる脈のまま凍り付いている
窓からの淡い日差しが
膝を折り像の影を
ひざまずいた影に重ねた
 
(1997年6月10日)
 
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投稿数が増えるにつれて、過去に書いたものが殆どなので、
だんだん残り少なくもなっているようだし、また
どれを投稿したかも忘れやすくて、混乱しつつあります。
投稿も重複、等々、混乱してゆくでしょうけれど、
私の心身が、その気になって苦しくない間、せっかく
立ち上げたブログだから楽しめる範囲で投稿してゆきます。
 
 
 
 

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