ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

年寄りです。1954年2月24日、長崎市の生まれ。17か18歳で、佐世保で洗礼を受けたクリスチャン。現在、教会へ行っていない逸れクリスチャン。ブログのテーマは、キリスト信仰と、カルト批判が中心です。ヤフーブログから移行してきました。ブログは、2010年からなので、古い記事も多いです。


  インフェリオリティ・コンプレックス  戸田聡
 
駄目ですね
いけません
よね
寝込んだまま動かないのは
この寒さに
やられてしまったのか
まだまだ捨てたものではない
いっぱい注(そそ)ぎたいはずだ
鼻のまわり頭の後ろ
痒(かゆ)くなってきた
体やっと起こして
洗面所へ歩いていく
頭から水をかぶる
油膜を洗い落とすように
何度も何度も
顔を洗う
ぷふぁ~っと顔を上げる
鏡の中の顔
目が二つある
鼻も口もある
その配置が人並みより
多少ズレているとはいえ
まんざら捨てたものではない
いっぱい水を浴びたはずだ
痒くなくなった

明日は成れるかもしれない
成れないかもしれない
人間に似ている
 
(2001年01月02日、HPにアップ)
 
 
  一枚の写真
 
若い頃の私の顔
写真の中の
とりわけピントのぼけた
青年よ
私はその一枚が好きだった
しかしその微笑よ
お前があまりに狡(ずる)かったので
想い出になることも
死ぬことも許されず
この顔になった
老いへの無知が傍らで狂乱している
かつての青年よ
この顔に対して
私は殺したいほど
抱きしめたいほど両価性だ
 
(1997年4月19日、HPにアップ)
 
 
  吠え面たち        戸田聡
 
吠え面ばかりが集まってくる
そんなに負けてきたのか
負けた者たちばかりなのか此処(ここ)は
私は吠え面です
私の顔は吠え面です
と言いながら
そのくせどこか
みんな顔の造作を間違えている
顎を外して叫ぶ様(さま)であったり
涙のつもりが洟(はな)垂れであったり
涎(よだれ)を垂らしていたり
笑うかのように歯を剥(む)き出した顔もある
みんな泣き損ない吠え損なっている
そして真っ黒な鼻の穴から
口臭だろうか臭い煙が
顔中の毛穴という毛穴から
糞尿のような臭い汁が噴き出している
かわいそうに
よほど酷(ひど)い負け方をしたのだ
みんなおいで
もう独りじゃないんだ
みんなで顔を整えて強くなろう
するとこちらを向いた一人が言う
あんたの顔
さっきからクソ吐いてるぜ
いちばん不潔だぜ
いちばん不細工だぜ
あんた間違ってるぜ
 
(2000年12月11日、HPにアップ)
 
 
  私の顔          戸田聡
 
私には三つの顔があった
クリスチャンの顔
医者の顔
病人の顔
もっとあったかもしれない
いや全部こわれたかもしれない
私は私の顔が嫌いだ
私が住んでいるのは
孤島であり
町であり
訪れる人といったら
セールスか集金の人ばかり
ああ 人だかり
の中の一人
顔に凄(すご)む人間
顔に和(なご)む人間
人間の顔
あるとき不意に現れ
忙しく変わる
恐ろしく歪む
疲れた
使われすぎて
もう何も表情がない
色もなくなってしまったのだ
と あきらめかけて
また不意に現れて
その人を表わす顔
その生まれ付きのために
こんなにひどくても
私の顔は
二度とないもので
誰にも渡せないことになっている
 
(1997年1月31日、HPにアップ)
 


  夜の顔の循環      戸田聡
 
ぬるい夜
ぬるい湯に
爛れるばかりの
阿片の夢に
流れ出しては崩れてゆく
この顔を直接
一生見ることはない至福よ
何のために
どのようにあり
あるいはあったのか
過去は現存しない
ただ臭ってくる
死んだ果実の
臆病な浸出が
皮肉な川を渡り
またひとつ色褪せて
薄くなった肌をなぞっては
しみる
痛みから
否応もなく
犠牲になって
消えてゆく
それが現存する
唯一の夜
 
(1998年5月22日、HPにアップ)
 
 
  形容無情       戸田聡
 
人のように
花びら一つ一つに
木の葉一つ一つに顔があったら
それぞれ別の名を与えられたことだろう
類型の名に纏(まと)められ
呼ばれ触られ楽しまれ踏まれている
名を知る前すでに感動しているのに
伝えたいばかりに名を求める
散り際に許さないでくれ
一つ一つに名を与えようとして
類型さえ覚えない私を
 
(1998年5月29日、HPにアップ)
 
 
  僅かの夜       戸田聡
 
田舎町の夜は永眠したかのように
家の外からは何の音声も入っては来ない
耳が拒んでいるだけかもしれないが
室内から体内へ押し入ってくる
拒めない
置き時計は電池式なのに
こつこつと秒針の音は骨に響き
一秒ごとに僅かずつ骨を砕いている
唐突に唸り始める旧い冷蔵庫は
叔母が死んで譲り受けた
というより勝手に貰った
その不幸という不幸を微震動に変え
脊椎を僅かずつ
ずらしている ああそれよりも
体内から体内を掻き乱し
昨日も明日も消してしまいそうな
見守る者のない烈火の揺れの
室内へも屋外へも伝わることのない
拒まれる僅か一つの夜
 
(1998年7月7日、HPにアップ)
 
 
  油膜          戸田聡
 
油膜を洗い落とす
別の油は塗らなくてもいい
洗うだけでもいい
濁ってしまうから
落とせないと知りながら
洗い落とそうとする
顔の油膜
眼の油膜
視界の油膜
記憶の油膜
死んで猶(なお)
汚れて更に
水を含んで
湧いてくるから
 
(1998年8月13日、HPにアップ)
 


  小屋から       戸田聡
 
小屋から屠殺(とさつ)場まで
死ぬのは一瞬で
死んだあと食われること
など分からないから
殺されるとも知らずに
飼葉(かいば)をのんびり食(は)んでいます
涎(よだれ)を垂らして何度も何度も
反芻(はんすう)しながら
 
小屋から刑場まで
飼葉桶(かいばおけ)から十字架まで
殺されると知りながら
血と肉の
ブドウ酒とパンの福音を
罪人とされた人々に述べ伝えながら
来し方・行く末を何度
反芻されたのでしょうか
民族も人種も違う東の国の
家畜以下の怠け者が一人
深い罪の淵(ふち)で
あなたに こだわっています
気の遠くなるような時を超えて
 
(2001年03月11日、HPにアップ)
 
 
  異教徒        戸田聡
 
私はクリスチャンである
それにふさわしい生活はしていないが
自称クリスチャンの端くれである
キリスト教は人格的唯一神信仰である
神様のことは知らない
我が主イエス・キリストについて言えば
私の信仰は排他的である
異教の神々を認めるなど以ての外である
私は縁あってイエス・キリストだけに
望みを託すものである
だからキリスト教と異教の
共存・和解ましてや融合など考えない
彼らと仲間になる気などさらさらない
では彼ら異教徒についてはどう言うべきか
地獄へ落ちる者か人でなしか
あるいは悟らない恵まれない者と言うべきなのか
無神論者を含めて彼ら異教徒
血も涙もある人間であることに変わりはない
(中にはそう思えない者もいるようだが
そういう事情は人間共通のものだ)
尊敬に値する優れた人物もいる
紛れもない事実として異教徒が
人間として存在する
同じ人間なのだから
ただ同じ人間・人格として尊重して
苦難の時代をともに生きるべきである
言うまでもなく彼らは
クリスチャンより上でも下でもない
クリスチャンもただ人間に過ぎないからである
私もただ人間に過ぎないからである
軽んじてはならず哀れむべきでもない
と書いたのはそのためである
 
しつこいようだが
私の信仰は排他的なのである
クリスチャンの人々にさえ
理解してもらえそうにないのである
 
(1997年2月3日、HPにアップ)
 
 
  できることを       戸田聡
 
たまに訪れる
小冊子・パンフレットを持って
キリスト教系の新興宗教
彼らの多くは金持ちではなさそうだ
ぎりぎりの貧しい生活に耐えながら
暇を作って布教活動をしている人を
少なくとも一人は知っている
 
昔見たことがある
粗末な服を着て列車の中
揺られながら何か手帳にメモしていた
大きな荷物を傍(かたわ)らに置いて
ひたむきに祈るように
これもキリスト教を名乗る新興宗教
 
彼らの主張や聖書の解釈は
私にはとうてい受け入れがたい
はっきり言えば間違っていると思うのだが
ふとキリストの言葉を思い出す
「彼女は自分の出来ることをしたのだ」
 
彼らが駆り立てられて暴力に走るなら
明確に否(いな)と言えよう
しかしもし彼らが一生涯を
清貧のうちに貫(つらぬ)くなら
神様は裁き・憐れみ・御国へ至る道を
ただ単に宗旨(しゅうし)や解釈の
違いや正誤によって決められるだろうか
神様が人を見て顧(かえり)みられ
憐れまれるのは・・・
私は恥ずかしさに項垂(うなだ)れ
またキリストの言葉を思い出す
「先の者が後になり、後の者が先になる」
 
(1999年05月29日、HPにアップ)
 


なぜ私はこんなにまとめて投稿するのだろう。
1.暇だから。
2.壊れつつある心身を抱え
 何か奇跡的とさえ思えるほど
 今も死なずに生きている。
 いつまで投稿できるか。
 いつ出来なくなるかわからない。
 いろんな意味で人間には寿命がある。
3.HP、ブログ、ML,といった、ネットの世界の、
 はかなさを思うから。消えたサイト、HP、
 更新されないブログ・・・等々
4.私は、ジコケンジ野郎だから。
 自己存在・未完成・未消化・未熟・未決・・・の
 安定剤では癒されない末期症状?
まだあるような気もするが、また・・・よくわからん・・・
 
 
  逆行        戸田聡
 
二輪車にバックギヤを付けて
エンジンをかけて
それでも君はペダルを踏む
遡れ
遡れ
もう前も後ろもない
平衡は保てない
君は転倒する
未来へと
 
(1998年3月31日、HPにアップ)
 
 
  駆けよ        戸田聡
 
君は足りないもののために喜ぶだろう
満ち足りることのために悲しむだろう
たまらず君は駆ける
走りながら強(したた)か転ぶ
前のめりに顔を潰す
鼻も唇も擦り切れる
血が流れて止まらない
そこが元の場所だと知る前に
傷んでいるのは君の背中だ
 
(1998年3月31日、HPにアップ)
 
 
  山へ、そして夕方、夏     戸田聡
 
暑い
ただそれだけの理由で
夕刻からバイクで山を目指す
日差しはまだ強い
山上へ向かう近道を走る
気温が下がっていくのが体感できる
山の上は曇り
涼しい
景色もいい
だが束の間だ
まだ暗くなるまでには間があるのだが
そうじゃない
雨が降りそうでもないのだが
そうじゃない
一人では山の上で格別することもないし
そうじゃない
一つの柵(しがらみ)を捨てたときから
すでに解放されたはずだった
帰る
という習性はプログラムの
バグの欠片のようでありながら
染み付いている次元の時限で束縛する
下りてゆく
下界への道
下り坂の前に
恵みとも罪とも罰とも付かぬまま
終わりに向かって巡り続けることを
しばし忘れさせ
また忘れさせて
返ってきた蒸し暑さの向こうに広がる
涼やかに確実に移ろいゆく
この日山上に置き忘れた
ひとときを見下ろしてくるひととき
 
(1998年7月7日、HPにアップ)


  耐えてひるまず      戸田聡
 
虐げられたという怒りの前に
なだめるように墓標は立つでしょう
虐げたことは一度もないと言えますか
そして哀しげに見回すでしょう
恨みを晴らしたいのですか
それとも不正をただしたいのですか
恨みを晴らしたいのなら
怒りに身をゆだねるのが早くたやすいこと
しかしもし不正をただしたいのなら
いかなる闘いにおいても
人が人を切ることの恐れと罪を知り
義を足場として固く立つべきでしょう
 
怒りは怒りを生むだけだから
いかなる不幸を前にしても
最後まで耐え忍ぶべきことがあるはずです
あらゆる理不尽と不正と
差別と犯罪に対して闘うことを
勇気と呼ぶために
 
主イエスは言われました
「心の柔和な者は幸いである」
そして命を賭した柔和さを示されました
 
この身はたとえ死の谷を歩もうとも
墓標の石板に
それら勇者の名は刻まれる
人には悲しい戒めのように
 
ディスクリミネーション
クライム


耐えてひるまず
 
(作成年月日不明・・・96年か、それ以前?)
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誰からも、私の座右の銘からも、
「何様のつもりだ!」と言われそうな作です。
被害者と言われる人々だけでなく、
個人の苛められ体験や、個人の恨みも、
もちろん私自身も問われることだと判断いたしました。
 

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