ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

年寄りです。1954年2月24日、長崎市の生まれ。17か18歳で、佐世保で洗礼を受けたクリスチャン。現在、教会へ行っていない逸れクリスチャン。ブログのテーマは、キリスト信仰と、カルト批判が中心です。ヤフーブログから移行してきました。ブログは、2010年からなので、古い記事も多いです。


(テレビを参考に・・・)
 
問題1:
一筆書きの星形5角形ならば、誰でも描けるだろう。
では、星形10角形の描き方は?
 
解答例:
 
一般に、星形n角形の描き方と成立条件について:
円を描き、n個の頂点を円周上にほぼ均等に配置する。
1本の直線が飛び越す円周上の頂点数をm個とする。
 k×n÷(m+1) が 
k=1,2,・・・,m において整数とならない
ような n,m ならば星形n角形が描けるようである。
その場合、内角の和は
 180°×n-360°×(m+1)となる。
http://ww7.tiki.ne.jp/~satoshi/1-hosigatatakakukei.htm
 
よって n=10 として、
m=1なら 10÷2=5 5角形になるだけ。
m=2なら 10÷3、2×10÷3 は整数にならないので
星形10角形が描ける。内角の和は
 180×10-360×3=720°となる。
m=3なら 10÷4は整数にならないが、
2×10÷4=5 整数になるので
星形10角形は描けない。この場合は星形5角形になる。
以上より n=10,m=2 において星形10角形は
円周上に10点をほぼ均等に配置し2点ずつ飛ばすことによって
 
イメージ 1
 
問題2:
星形6角形は、上のような方法では描けないが、
星型に似た6角形は、先ず1つは、
 
イメージ 2
 
という形なら描ける。ダビデの星の形である。
内角の和は360°になる。
一筆書きが可能だが、頂点以外のところで折れないと描けない。
 
頂点だけで折れる星型に似た6角形は、
 
イメージ 3
 
という形を描くことが出来る。
この場合、内角の和は一定しないようだ。
 
イメージ 4イメージ 5
 
上の2つの図のような場合を考えると、左図は縦に長くなるほど内角は小さくなる。
右図は横になるほど上下の角度が180°に近くなり、横の角度は小さくなる。
このことから、内角の和は、0°より大きく、360°より小さいように思われるが・・・(?)

 


  散る
 
紅く色づいていく木々の
にぎわいに、にぎわうだけで
例えば薄い木の葉の
もうすぐ散ります
という最後の音信さえ
数知れず見過ごして
この目に見られないまま
どこからどこまで見過ごされて
散ってゆく
 
破り捨てた手紙
最後の便り
破りかけた手紙
風の便箋
破れかけた手紙
歪んだ字を
書いているペンを
握っている手
見ている眼
赤く充血していく治癒の
道行きに拙い言葉の
いつか最後の音信
どこからどこまで過ぎて
散ってゆく
 
 
  秋の光
 
若い光は
雲間に見え隠れしながら
パラダイスと極楽浄土を
写し分けて遊んでいた
 
緩やかな川に沿って
水辺に風を引き込んで
葦がきらめきを閉じつつあった
 
もう映らないのだろうか
なめらかな筆の先に
険しく曲がりくねった道も
伝説の峠も
黄金の都も
金箔の神殿も
 
足跡の残らない道に
次から次へ
若い光は
降り注いでは散り急ぐ
 
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早寝早起きだなぁ・・・年のせいか病気なのか・・・
元々弱いのは分かっているが焼酎お湯わり1合飲んだだけなのに、
夜10時に寝て、深夜1時に目が覚めた・・・?!
 
(1996年ごろ)
 
 
 
 


  主観
 
今が一番幸福なのかもしれない
と考えることがある
過去そして人生は大方
現在によって評価される
今が不幸なら
過去のいかなる幸運も
転落のための落差に過ぎない
今が幸福なら
過去のいかなる不運も
懐かしい思い出になる
未来だけでなく
過去も変わるのだ
 
未来はもちろん変わりうるものだが
どこへ向かおうとしても
門があり玄関があり
守衛か受付が居て
冷淡に丁重に
断られ拒まれそうな現在に在って
ただ自分にとって大切な
一片の希望を捨てない限り
未来も現在も
それゆえ過去も変わる
 
底の薄い小舟
揺れる細い吊り橋
踏めば破れそうな床
進むしかない
希望よりも見通しの利かない
過去の移ろいへ
 
今が一番幸福なのかもしれない
 
(2005年02月08日)
(2013年10月30日、こう考えていた時もあったんだな・・と思う。
  今が幸福・・と言える時は、未だ訪れていない・・
  「過去の移ろいへ」は、過去さえも移ろい変わる未来へ・・の意です)
 
 
  時間の向き
 
時間は螺子(ねじ)のようにぐりぐりと
後ろから押してくる
あるいは前から拒まれているのかも
上から押さえつけられているのかも
下から突き上げられているのかも
横からかもしれない
・・・・・・・・・・?
そう何処からでもないさ
時間は空からも海からも
河からも川からも生まれてはいない
おぼろげな学習に従って
時間の向きは前と後ろ
ということに大方なっているだけ
時間は記憶から生まれている
もともと時間は押したり
追い詰めたりはしないのに
おぼろげなのに切迫して
生み出される圧力は
時間ではなく怯(おび)えている自分だ
だからいつまでも時間に向いていない
 
(2005年02月23日)

 
 
 


  視界
 
何も見えなかった
視界が悪かった
わずか二十~三十メートル先の道が
どう曲がっているかも分からなかった
対向車のライトは突然現れ
近づく制動灯を見て急に
前方にも車が走っていたことを知った
高原のドライブインで一休みしている
薄い雲の向こうから白い太陽が光る
遠く広がる雲の下
目線の高さで手前の雲が
山の上を這うように流れる
目に見えて移ろいゆく
あの雲の中を抜けて来たのだ
今は空が見える
 
(1998年9月28日)
 
 
  遠出・今日の夕日
 
日の落ちるのが早くなった
半月ぶりにオートバイで遠出
ガソリンスタンドに寄ったあと
帰りを急ぐ視界に
今日は雲の中で珍しいくらい大きく
赫(かがや)く夕日が飛び込んできた
写真に撮っておきたい
と眺めながら
オートバイのサドルに跨ったまま
走り過ぎてしまった
夕日の見えない道の方へ
帰り着いてオートバイを止め
ハンドルをロックしてキーを抜き
燃料コックをオフにして
前輪に盗難防止のロックを掛け
家に入ると
もう暗くて
明かりを点けなければならなかった
人工の明かりを灯した部屋からは
外はますます暗い
 
(2001年10月03日)
 
 
 
 


  在る・祈る
 
あの頃に戻りたい
という あの頃が
どこを探しても見当たらない
 
人生が二度あれば…?
あってたまるか
二度と生まれては来ない
としか言えない今
 
かといって
不幸体験合戦をして何になろう
不幸と言えば
ぶん殴られそうな怠(だる)い日々
 
感謝と賛美で埋め尽くさねば
気の済まない信仰もあるのだろう
そうせずにはおれない何か
事情があるのかもしれないし
 
コリント・パウロの愛の賛歌
「愛は寛容であり、…」
の肯定否定を総て逆にしてみると
自分にそして今の世に
蔓延(はびこ)り流れ落ちる
愛と呼ばれるものの
実相が浮かび上がる
 
賛美すべき誠の愛も
そしてまた憎しみも
絶えることのない今の世に在って
戻りたいあの頃探しも
もう一度生まれる人間願望も
信仰も希望も大いなる愛も
否定も肯定もアンビバレンスも
総ては神の手の中に
祈りへ祈りへ
 
(2003年06月30日)
 

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