楽山の弁神論(1)2
 
 神義論、弁神論についての対話 1
 2020年06月23日 楽山日記(LD)
  を改めて批判。
 
 
弁神論は、神義論とも言い、神の正しさについて追究する学問のようですが、学問で、論理で、神の正しさが証明できる、ということについて、私は、気持ち悪いだけです。楽山のような、半端な知識を振り回す者は、弁神論が大好きなようです。
 
楽山の悪意が発火しています。愚か者は、冷静な理路を通さずに、怒り始めています。これが、楽山の正体なのです。楽山の立場は、反キリストです。惑わされないでください。
 
*再訪
信者 「こんばんは」
老人 「どうも、こんばんは。息が荒いようだが走ってきたのかな」
信者 「走ってなんかいません。あなたのブログ記事に呆れたんです。いつにもまして酷い事を書いてますね。ったく、腹立たしくてなりません!」
老人 「どの記事のことを言っているのかな。そんなに立腹されるようなことを書いた覚えはないのだが…」
信者 「つまり、悪い事をしたという自覚がないんですね。最悪…」
老人 「ともかく、私の記事のどこが問題なのか、具体的に指摘してほしいのだが…」
信者 「具体的に指摘したら削除しますか」
老人 「現時点ではそんな約束はできないが、話の内容によっては検討しないでもない」
信者 「随分と逃げ腰で、歯切れの悪い返答だこと(笑)。でも、まあいいでしょう。問題はここですよ。『神が存在するなら、なぜこの世界に悪があるのだろうか。この世にこれだけ悪があるということは、神は存在しないということを示しているのではなかろうか。そんな疑問を抱かざるを得ない』って何ですか。神がいないわけがないでしょう。何をバカなことを言ってるんですか」
 
「どこが問題なのか」に対して答えずに、「神がいないわけがないでしょう」と言って、頑な護教を示しています。注意してください。楽山に護教精神などありません。悪い例として、論(あげつら)いたいだけなのです。二人は、いずれも、楽山その人であります。
 
*神義論、弁神論の前提
老人 「それは神は存在しないと結論付けているのではなくて、『神がいるなら、なぜ悪があるのか?』という問題提起だね。私は基本的には不可知論的な立場だから、あれこれ考えはしても、神は存在するとか、存在しないとか、断言はしない」
信者 「おやまあ、また逃げてますね」
老人 「逃げるもなにも、どうも誤解があるようだから、自分の立場を理解してもらえるように、説明しているだけなのだが」
信者 「言い訳がしたいなら、好きなだけ言い訳をしたらいいですよ」
老人 「そうかね。では、あと一つ、ついでに説明すると、この問題は、神は全能、絶対、完全、善、正義である等とした場合に生じるものだ。これを前提とすると、『神は全能であるなら、悪を止めることができるはずだ、それなのに止めないのはなぜだ?』『神は絶対、完全なら、悪はどこから生まれたのか? 悪は一体どこから来たのか?』などの疑問が出てくるということだよ」
信者 「いつもの屁理屈がはじまりましたね」
老人 「間違っていたら申し訳ないのだが、あなたが信じている神は、どのような神なのかな。もし前述の全能、絶対、完全な神ではなく、いわゆる多神教的な神々だとか、高級諸神霊というような存在を念頭において、この問題を考えているなら、それはちょっとズレてると言わざるを得ない。ここのところは、よく気をつけてほしい」
信者 「そんなことは、いちいち言われなくても分かってますよ」
老人 「そうか、それならよかった」
 
先ず、楽山は、不可知論的な立場ではありません。ただの、安っぽい無神論者です。しかも、とても下劣で、卑怯な詐欺師のような人物です。そこを棚に上げて、論者を気取り、一流を気取っているところの、偽善者です。
 
私は、神の意志と行為を説明できる論は人間の側にはない、ということを、以前から言っています。説明できる、知っている、分かっている、という意見を、背教として否定している立場です。しかしながら、楽山に学問はありません。学んだ人とは思えないことを言ってくることが根拠です。
 
楽山は、「神は全能、絶対、完全、善、正義である等とした場合に生じる」と言っていますが、違います。問題は、その全能を、人知で理解しようとするから起こることです。それで判断すれば、かえって、分からないことだらけになるでしょう。そして、神を否定する楽山が出来上がります。
 
それゆえに、楽山は、理解力がないのに、ますます、意地悪に貶(けな)してくるのです。読まなければ、バカだと思われる。読めば、妄想にしかならない。読んだことにすれば、自己中の正当化の詭弁しか出てこないのです。
 
何でも分かる、ということにしないと気の済まない楽山が、その思い上がりによって、上のような理屈を捏(こ)ね上げているだけなのです。楽山は、自らの、"完全"、に思い上がっているものだから、神に、信仰に、いちゃもんをつけてくるのです。
 
人間として、不完全や罪深さを自覚できないので、とんがって吹聴し、結果、最も醜い様を曝(さら)しているわけです。「『神は絶対、完全なら、悪はどこから生まれたのか? 悪は一体どこから来たのか?』などの疑問」、呆れます。悪は、楽山のような、人から生まれてきます。
 
これは楽山などの自己愛の疑問であって、人間の疑問ではありません。人間として、人間の罪の性質を、自覚できない楽山です。神?として君臨したい妄想が表れています。ゆえに、楽山は、多神教のようなと、いい加減な見方で、どうにでもなる神?を、「分かっていますよ」と言っています。
 
楽山は、神?を哀れみたいのです。この場合、楽山は、どういう立場でしょう、神の上に君臨するものという立場に舞い上がっているわけです。恐らく、この辺りの小理屈で、楽山は、一生涯、堂々巡りをすることになるのでしょう。こういう楽山ですから、誰も近づいてはいけません。
 
 
 楽山の偽善性・・再録+αです。
 
平気で嘘を吐く。様々な詭弁を弄して、柔和に見せかける。
後悔、反省、修正ができない。学習による成長がない。
理路が常識的にも浅く、破綻しがちであることに気づかない。
相手の意見を受け取っていないので、反論、弁明が全く出来ない。
基本的に訂正不能である。自己愛性人格障害の可能性。
特に批判に対して不感不応なのは、理路が理解できないからだろう。
 
障害の自覚に、全く不釣り合いな満悦感から、厚かましく、学者・批評家・読書家・インテリ気取りで、分かっているという我執から離れられない。
 
深い情感がなく、共感性がない。
後悔することがなく、罪悪感、羞恥心がない。
世辞と社交以上の、議論や交流が、できないし、する気がない。
 
ボンヤリ言語:曖昧で婉曲的な言い方をして印象だけでも刷り込もうとする。
ボンヤリ言語の、曖昧な筆致でごまかしながら、書き続けて、書き続けて、偏見を刷り込む。
 
トホホ言語:謙虚で弱いと思わせて悪意を隠すための嘘の反省言葉。やさしさ芝居。柔和芝居。
トホホ言語と芝居で、謙虚を装いながら、好感を誘い、好感を得るだろうと、自己満悦する。
 
アドラー心理学の宣伝をしていたが、それが抜けずに、自己中が表れてくる。
HSを脱会したと言っているが、真実かどうか、疑わしい。
 
反キリストである。聖書およびキリスト信仰を、貶めてくる。
聖書を字面だけで読んで、理解したと思い込んでいる。
成長がなく、幼稚な疑問のまま、止まっている。
聖書や、他の文章も、心で受け取る、ということがない。
文章の、心無い字面(じづら)の皮相を、いつも、こすっているだけ。
 
霊能者のつもりだが、それに見合う直観的洞察は皆無である。
 
対話形式とか、記事の体裁を変えても無駄だと思います。
 
情報化社会の現代は、聖書の時代と違って、迫害者や偽善者や反キリストが、それだと、すぐに分かるような時代ではありません。彼ら邪悪な者たちは、様々な、だまし方をもって、良心を攻撃してくるでしょう。
 
楽山は、否定か肯定か、はっきり言わず、キリスト者とも付き合い、ときには、世辞も言いますが、最後には、キリスト教は正しくないと言えなくもない、などと言って、裏切るでしょう。楽山は、自らが教祖になる企みを持ち歩いている狡猾な偽善者です。
 
人間らしい心があれば、誰でも、深い信仰に至ることは可能ですが、自己中で無反省の心無い者だけは、どんなに見せかけの知性を振り回しても、真のキリスト者にはなれないでしょう。
 
楽山は、人の意見を全く聞かずに自分の言いたいことだけを言うことに、恥も罪も感じないほど、それゆえに、また、ネットでもリアルでも、彼に出会うことは不幸としか言いようがないほど、疲労だけを与えて混乱させる人格破壊者です。
 
怒鳴るより悪い、嫌らしい言い方、というのがありますが、楽山には分からないんでしょう。殴るより悪いことをしているのが、楽山です。こちらは、殴り返すことが出来ないからです。
 
※ 
既に、ある程度、そろってきて、資料となっている "楽山の偽善性" については、今後も楽山の記事によっては加筆修正して、再録することになるでしょう。
 
 
殴られるより悪いことがある

殴られるより悪いことがある
三島由紀夫原作映画「午後の曳航」台詞字幕
 
 
(2020年06月27日)
(2021年06月30日、再録+)
 
 
 
  発熱
 
寒い夜に張り詰めた
細い線が切れてゆく
断端が曲がって
幾本も幾本も
ぱらぱらと揺れる
不意の停電のように
像が消える
音がしたかしなかったかと
思う間もなく
次の像が暗闇へ落ちてゆく
次から次へ
落ちては消え
落ちかかっては消え
熱と痛み
幻と記憶の中で
横たわるベッドだけが白い
支える床がない
足がない
この視線の罪に
ふさわしい名前さえない
 
(90年代か)
 
 
 
 ※※ 
 立ち上がったばかりのツイッターがあります。
 
taka
@taka84156681
フォローされています
色々と呟いていこうと思います
2021年6月からTwitterを利用しています
2 フォロー中
0 フォロワー
フォローしている人にフォロワーはいません
 
そして、次のようなツイートを書いています。
 
taka
@taka84156681
·7時間
SNSの社会では常に何かを叩かないと気が済まない人が本当に多い。脳化学者の中野信子さんの著書「人は、なぜ他人を許せないのか?」のなかでそんな人たちの事をを「正義中毒」と呼んでいる。
#正義中毒
午後2:47 · 2021年6月28日·Twitter for Android
 
「正義中毒」は、有名人を引用~悪用してきた楽山の記事に載っていた言葉です。そんなに、よく見る言葉ではありません。私に当てた言葉ですが、私は、批判の根拠も理由も書いているので、ブーメランとして、楽山に返ってゆくだけです。このツイート、楽山の筆致によく似ています。
 
正義中毒という言葉に込められた、善悪と、さらに、特に、偽善、という意味を、理解できない楽山は、今、自らに当てはまっていることを考えもしないで、浅知恵で、そうだ!そうだ!とばかり飛びついて使っています。
 
「人は、なぜ他人を許せないのか?」という大きな一般の問題にしたいようです。私が批判して、問題としているところは、無反省・無責任・自己中で、詭弁を弄する嘘吐きを許すべきでしょうか、という問題です。もちろん、答えは、否です。
 
楽山は、楽山という"個別の特殊"な問題を、"一般" の道徳にすり替える詭弁を使っているのです。楽山は、こう言う詭弁を弄してきます。"人それぞれ" だからと、自らの "自己中" を正当化しようとしたりします。この2つ、全く違います。楽山の言を、信用してはいけません。
 
楽山は、今まで、真実とか正直とかいう言葉が嫌いで、特に、正義という完全言葉に、正義中毒を当てて侮辱するような自己愛者の性癖が、身についているのでしょう。ここまでなら、条件反射的な、自己正当化の保身の反応~習性です。
 
しかし、それを、根拠もなく、見境もなく、婉曲的とはいえ、特定の批判者に向けるのは、悪意の企みと見なすしかないと思います。楽山は、内省と常識的判断によるブレーキが効かない、というより、そういう自分に対するブレーキを育てていないのです。楽山のようです。
 
taka
@taka84156681
·7時間
つまり正義中毒者になると脳は常に誰かを叩く事を求めるようになります。しかもこの状態が続くと、相手への共感や、感情をコントロールする働きを持つ脳の機能である「前頭前野」が衰え萎縮してしまい、そうなると、頑固で他人の意見を聞かなくなる状態になってしまいます。
#正義中毒
午後3:34 · 2021年6月28日·Twitter for Android
 
正義中毒について続けています。やはり、楽山の筆致のように思われます。今まで、いくつものHNを利用・悪用してきた経過があります。「共感や、感情をコントロールする働き」が欠落していて、「他人の意見を聞かなくなる状態」が続いているのは楽山です。
 
taka
@taka84156681
·6時間
今のSNSの時代になると、誰もが意見を書き込める時代になっているが、これによって、ふとした発言での炎上がそこらへんで起こるのがもはや普通になっている。こうなると正義中毒者が増えるのも無理はないと思ってしまう。常に物事を俯瞰的に見ることが大事だと思う。
#正義中毒
午後3:50 · 2021年6月28日·Twitter for Android
 
正義中毒は、他でもない、楽山なのです。俯瞰的には決して見ることのできない神を、見たつもりで、いちゃもんばかり、嘘と詭弁で、書いてきたのは、楽山です。人の言うことを受け取らず、訂正不能なのも、楽山のほうです。その結果、楽山の理路は、孤独な幻となって散逸してゆきます。
 
楽山は、何事についても「常に物事を俯瞰的に見る」ことは一度もないと思います。妄想的で、整わないことを俯瞰だと思い込んでいるようです。そういう思い込みで書けば、訂正不能になります。今まで、そういう書き方だったので、こちらは、誰の参考にもならない雑言だと批判してきました。
 
恐らく、このツイッターは、楽山でしょう。このような、ごまかしで、隠れては、何か書いてくる。楽山は、喩えるなら、ゴキブリかネズミのような習性をもっている薄汚い人だと思います。
 
また一つ、批判対象サイトが増えることになりそうです。"taka"サイト・・とでも、呼んでおきます。混乱と徒労と疲労と、ついには人格破壊をもたらす悪魔性のサイトです。
 
楽山と、コメントやツイートで、直接の遣り取りはしません。2年以上前に、遣り取りをしたときに、こちらの言い分を全く受け取らず、あることないこと混ぜこぜにして言ってきて、恐ろしく疲労を覚えたからです。楽山は、他者の精神衛生を破壊する病質者です。
 
 
 
(古い記事は載っていません)
 
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
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(ここは、ブログ記事をリンク・抜粋)
 
 
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