「脳死は人の死?」
 
この命題は
倫理的にとか、または、
条件付きで真偽を云々する命題ではないはずである。
倫理よりも科学的に、
倫理とか心情とか以前の
科学の命題として考えるべきことである。
 
生死の判定には1つも例外があってはならない。
1つ以上の例外は、即、反証となる。
そのとき「脳死は人の死」は否定される。
科学の法則は、理論があっても、実験による実証を経て初めて信頼される。
脳死には理論はあるが、症例による実証がなされているのかが疑問。
例外があるかどうかは、治療継続による経過観察以外にない。
脳死状態と判定された場合、その判定が覆ってはならない。
また症例全例が心臓死に移行することを実証しなければならない。
症例数が多いほど、判定の信頼度は増す。
 
脳死判定による死の判定には1例も例外があってはならない。
もしあれば、それだけで立派な反証になる。
 
「脳死は人の死」が否定された場合
「脳死は必ずしも人の死ではない」が真となるが、
それを承知の上で、それでも遺言その他によって、
脳死がもたらす予後の苦悩を考えて、等々の理由によって、
「それでも臓器を提供したい」という人の場合どうするか
という問題にいたって初めて
脳死移植は、科学以上の、安楽死や尊厳死を含めた生命倫理の問題となる。
 
(2011年05月02日、一部加筆修正)