ふと思いついたこと:
 
神について学ぶことは、
人が
神について知り得るところを究めることではなく、
人が
神について知り得ないところを究めることである。
それは人が
神について知り得るところを求めることで
身につけた余計なものを、
余計なものと気づくまで、
徹底的に壊される過程である。
自分で立てなくなるまでという点に至って
初めて信仰と接することになる。
 
(今朝ふと・・・・・・よく分からん・・・・が続く・・・)