小屋から       戸田聡
 
小屋から屠殺(とさつ)場まで
死ぬのは一瞬で
死んだあと食われること
など分からないから
殺されるとも知らずに
飼葉(かいば)をのんびり食(は)んでいます
涎(よだれ)を垂らして何度も何度も
反芻(はんすう)しながら
 
小屋から刑場まで
飼葉桶(かいばおけ)から十字架まで
殺されると知りながら
血と肉の
ブドウ酒とパンの福音を
罪人とされた人々に述べ伝えながら
来し方・行く末を何度
反芻されたのでしょうか
民族も人種も違う東の国の
家畜以下の怠け者が一人
深い罪の淵(ふち)で
あなたに こだわっています
気の遠くなるような時を超えて
 
(2001年03月11日、HPにアップ)
 
 
  異教徒        戸田聡
 
私はクリスチャンである
それにふさわしい生活はしていないが
自称クリスチャンの端くれである
キリスト教は人格的唯一神信仰である
神様のことは知らない
我が主イエス・キリストについて言えば
私の信仰は排他的である
異教の神々を認めるなど以ての外である
私は縁あってイエス・キリストだけに
望みを託すものである
だからキリスト教と異教の
共存・和解ましてや融合など考えない
彼らと仲間になる気などさらさらない
では彼ら異教徒についてはどう言うべきか
地獄へ落ちる者か人でなしか
あるいは悟らない恵まれない者と言うべきなのか
無神論者を含めて彼ら異教徒
血も涙もある人間であることに変わりはない
(中にはそう思えない者もいるようだが
そういう事情は人間共通のものだ)
尊敬に値する優れた人物もいる
紛れもない事実として異教徒が
人間として存在する
同じ人間なのだから
ただ同じ人間・人格として尊重して
苦難の時代をともに生きるべきである
言うまでもなく彼らは
クリスチャンより上でも下でもない
クリスチャンもただ人間に過ぎないからである
私もただ人間に過ぎないからである
軽んじてはならず哀れむべきでもない
と書いたのはそのためである
 
しつこいようだが
私の信仰は排他的なのである
クリスチャンの人々にさえ
理解してもらえそうにないのである
 
(1997年2月3日、HPにアップ)
 
 
  できることを       戸田聡
 
たまに訪れる
小冊子・パンフレットを持って
キリスト教系の新興宗教
彼らの多くは金持ちではなさそうだ
ぎりぎりの貧しい生活に耐えながら
暇を作って布教活動をしている人を
少なくとも一人は知っている
 
昔見たことがある
粗末な服を着て列車の中
揺られながら何か手帳にメモしていた
大きな荷物を傍(かたわ)らに置いて
ひたむきに祈るように
これもキリスト教を名乗る新興宗教
 
彼らの主張や聖書の解釈は
私にはとうてい受け入れがたい
はっきり言えば間違っていると思うのだが
ふとキリストの言葉を思い出す
「彼女は自分の出来ることをしたのだ」
 
彼らが駆り立てられて暴力に走るなら
明確に否(いな)と言えよう
しかしもし彼らが一生涯を
清貧のうちに貫(つらぬ)くなら
神様は裁き・憐れみ・御国へ至る道を
ただ単に宗旨(しゅうし)や解釈の
違いや正誤によって決められるだろうか
神様が人を見て顧(かえり)みられ
憐れまれるのは・・・
私は恥ずかしさに項垂(うなだ)れ
またキリストの言葉を思い出す
「先の者が後になり、後の者が先になる」
 
(1999年05月29日、HPにアップ)