夜の顔の循環      戸田聡
 
ぬるい夜
ぬるい湯に
爛れるばかりの
阿片の夢に
流れ出しては崩れてゆく
この顔を直接
一生見ることはない至福よ
何のために
どのようにあり
あるいはあったのか
過去は現存しない
ただ臭ってくる
死んだ果実の
臆病な浸出が
皮肉な川を渡り
またひとつ色褪せて
薄くなった肌をなぞっては
しみる
痛みから
否応もなく
犠牲になって
消えてゆく
それが現存する
唯一の夜
 
(1998年5月22日、HPにアップ)
 
 
  形容無情       戸田聡
 
人のように
花びら一つ一つに
木の葉一つ一つに顔があったら
それぞれ別の名を与えられたことだろう
類型の名に纏(まと)められ
呼ばれ触られ楽しまれ踏まれている
名を知る前すでに感動しているのに
伝えたいばかりに名を求める
散り際に許さないでくれ
一つ一つに名を与えようとして
類型さえ覚えない私を
 
(1998年5月29日、HPにアップ)
 
 
  僅かの夜       戸田聡
 
田舎町の夜は永眠したかのように
家の外からは何の音声も入っては来ない
耳が拒んでいるだけかもしれないが
室内から体内へ押し入ってくる
拒めない
置き時計は電池式なのに
こつこつと秒針の音は骨に響き
一秒ごとに僅かずつ骨を砕いている
唐突に唸り始める旧い冷蔵庫は
叔母が死んで譲り受けた
というより勝手に貰った
その不幸という不幸を微震動に変え
脊椎を僅かずつ
ずらしている ああそれよりも
体内から体内を掻き乱し
昨日も明日も消してしまいそうな
見守る者のない烈火の揺れの
室内へも屋外へも伝わることのない
拒まれる僅か一つの夜
 
(1998年7月7日、HPにアップ)
 
 
  油膜          戸田聡
 
油膜を洗い落とす
別の油は塗らなくてもいい
洗うだけでもいい
濁ってしまうから
落とせないと知りながら
洗い落とそうとする
顔の油膜
眼の油膜
視界の油膜
記憶の油膜
死んで猶(なお)
汚れて更に
水を含んで
湧いてくるから
 
(1998年8月13日、HPにアップ)