ある誤解の場合
 
違う
誤解だ
そんなつもりはない
そんなつもりはなかった
と追いかけようとする胸をドンと打ち
行手を塞いで引き止める腕がある
数多(あまた)の覚えざる罪の
たった一つに遅れて気付いたからといって
かの強き人を今さら
追いかけて涙ながらに唾を飛ばして
引っかけた小便を呑んでくれ
とでも言うつもりか
それで今になって間に合ったり
それで済んだりすることがあるというのか
涎(よだれ)の弁解をいつまでも垂らすな
今は責めを身に負い
気付いた罪を胸に刻み
謹んで
黙殺せよ
気付かぬよりは増しだ
 
(1998年11月11日、HPにアップ)
(もちろん弁明することで誤解が解けるなら、そのほうがよいのです。
 それが困難なときもあるということです。)
(「責め・罪を身に負う」ということは、クリスチャンとしては、出来ないのです。
 出来ないから祈って神に委ねるプロセスは、ここでは省略しています。)
 
 
  秋の日・一
 
歩いているようないないような
振り返れば誰もいない
前を向き直しても誰もいない
そういうシーンが幾度となく繰り返されて
芝居は終わった
帰ろうと立ち上がれば舞台もない
出口に向かおうとすると客席もない
さわやかな秋の日だ
 
(1998年10月29日、HPにアップ)
 
 
  秋の日・二
 
毒を湛(たた)えた川があって
触れる者は次々に死んでゆく
しかし身投げする者は生き残る
すべての言葉が死語となる日
何も知らない呆けた男が一人
相も変わらず泥濘(ぬかるみ)を
と探しまわっていることだろう
触れようとして身を投げようとして
生きようとして死のうとして
生霊として死霊として
そこから始まった
そこから始まったと呟(つぶや)きながら
あくまで爽(さわ)やかな秋の日である
 
(1998年10月29日、HPにアップ)
 
 
  秋の日・三
 
スカッと青空が高い秋
雲も高い
地上のことなど・・・
もしあの雲の上にいられたら
空気は薄く紫外線を浴びながら凍る
きっと耐え切れないものばかり
届かない美しさは皆
 
(1998年11月1日、HPにアップ)