ラジコン
 
ラジコンの自動車が欲しかった
高くて買ってくれと言えずに
自分で買える頃には
ラジコンで遊ぶ歳ではなかった
ラジコン飛行機なら大人も遊んでいるが
そこまで凝る気はない
それどころではない生活の中で
ときおり思い出したように呟く
ラジコンが欲しい
コントロールして遊びたい
コントロールしたい
コントロールされたくない
 
(1998年2月23日)
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次は、怒りなど、陰性の感情について
 
 
  怒りとリラックス
 
苛々(いらいら)したり
怒りたくなるときほど
自分の弱さが身に沁(し)みる
どれくらい効用があるか知らないが
祈りという手段がある
どれくらい効用があるか知らないが
少し背筋を伸ばして座って
何か飲み物を手に取って
肩の力を抜いて
できるだけゆっくり飲む
一口飲み込んだら溜め息のように
鼻でゆっくり
ゆっくり深呼吸をしてみる
 
一生に一度くらいは
本気で怒ることがあるかもしれない
しかしその場合は
肉体的・精神的・社会的・何的であれ
命を捨てて掛かるときであり
なおかつその怒りは
コントロールされていなければならない
間違っても
怒りにコントロールされたくはないものだ
 
(2002年02月04日)
 
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関連コメント:ブログ「日常×非日常」より(記事は全く別の文章です)
以下は私のコメントです。
 
陰性の感情についてざっと並べてみると
軽蔑・嫌悪・憎しみ・怒り
感情の振幅・強さは右ほど大きく、
持続時間は左ほど長く右ほど短い、
そして右に行くほど衝動~行動(化)に近いような気がします。
いずれの感情にしても自覚しコントロールされていないと、
文章化、さらには考えることすら出来ないように思います。
実際には出来ていないか、ずっと後になることも多い気がします。
 
警戒すべきこととして、特にクリスチャンにおいては、
軽蔑や憎しみを持っていても、それを隠したり、
逆に、ときには気づかずに、無理に同情の言葉を返すことで処理しやすく、
それを美徳のように思い込み、
そうすることで「愛せよ」という教えを守った気分になりやすいような気がします。
これは、愛とは程遠い陰湿なものを人の懐に隠し持つ姿だと思います。
 
(2011年01月27日)