ブログ「日常×非日常」→「挨拶は祈りです」から・・・
記事は異なりますから、私なりに考えたことに過ぎませんが。
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  祈りの入り口
 
他者と自分は違う
神も人も
他者は常に未知であり続けるのだから
安定した良好な関係は
思い込みの
偶像との予定調和になってしまう
 
神を確認できないからこそ
神を信じるのではないか
 
しかし信じている対象が
神であることさえ確認できず
人にとっては神の像に過ぎないならば
 
確信ではなく可能性と呼んで
「かもしれない」を付け加えても
言葉ではなく
信仰と心なのだから
たちまち
人が探れない永遠と無限に触れてしまう
 
絶望的に希望を求める信仰は
自らが立っている突き出た崖っぷちで
木枯らしに吹かれながら
わざわざ自ら求めて
自らの足場をより深く掘り下げようとしている
 
他者に自分を見ることがある
自分も常に未知であり続ける
永遠と無限に触れて
 
落下 ・・・ とてもシンプルに
へりくだって挨拶しよう
安らかに甘えて
神を知らず
人を知らず
身の程を知らず
祈る
 
(2011年02月23日)
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2011年02月24日、
やはり・・・「と祈る」に違和感を覚える・・・→「祈る」に修正・・・。