私の好きな詩
 
・・・一部抜粋してみます。
文言は不正確なところがあります。
この記事のテーマをあえて言うなら、
  「別れた人々に」
ということにでもなりましょうか・・・
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まず季節はずれではありますが、
 
 
 「中原中也全集・未刊詩篇より」
  夏過(あ)けて、友よ、秋とはなりました。
 
・・・(略)・・・
 
暗い庭で虫が鳴いている、雨気を含んだ風が吹いている。
ここは僕の書斎だ、僕はまた帰って来ている。
島の夜が思い出される、いったいどうしたものか夏の旅は、
死者の思い出のように心に沁みる、毎年々々、
 
秋が来て、今夜のように虫のなく夜は、
靄(もや)に乗って、死人は、地平の方から僕の窓の下まで来て、
不憫にも、顔を合わすことを羞(はず)かしがっているように思えてならぬ。
それにしても、死んだ者達は、あれはいったいどうしたのだろうか?
 
過ぎし夏よ、島の夜々よ、おまえは一種の血みどろな思い出、
それなのにそれはまた、すがすがしい懐かしい思い出、
印象は深く、それなのに実際なのかと、疑ってみたくなるような思い出、
わかっているのに今更のように、ほんとだったと驚く思い出!・・・
 
(これは中也が大切な人をなくしたことがモチーフだったか・・・)
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 (金子光春・題名と内容かなり忘れました。
  これが載っていた詩の入門書もなくしました。)
 
「生きているうちが花よ」
そう言って別れたお前
痩肩の痛々しい後ろつき
 
・・・(略)・・・
 
激しい時の潮(うしお)の中で
うっかり手を離せば
お互い生死を知る由がない
 
・・・(略)・・・
 
花も実も昔のことで
残されたお前のほとぼりに
手をかざしているのが精一杯
 
(これは詩人が出会った女性についてだったかもしれません)
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  私の好きな詩人
 
好きな詩は他にもいっぱいあります。
むしろ現代詩のほうに多いです。
でも好きな詩人と問われれば、
中原中也ということになります。
学生の頃、70年代、全集を買って
読みふけっておりました。
 
中也の詩が好きという人は、ある意味、私を含め、
多く中也のファンなのかもしれません。
(自分だけが中也を分かっている
と思っている人も多いかもしれません・・・?)
 
多くのエピソードがあって、多くを忘れましたが、
太宰治を家まで追っかけて殴ったとか、
別の人も、追っかけようとしたが、
逆に殴られて
「おめえは、強えよ」と言ったとか・・・
 
友達付き合いしたいかと聞かれると、ちょっと・・・?
 
他の詩人が高いところに立って、
さらに高みを目指している中で、
中也は一段降りてきて、
あぐらをかいて、こっちを向いて、
少し笑みを浮かべて、あるいはニヤニヤしながら、
おい、てめえ、と呼びかけてくるような気がします。
 
強いて中也の詩を譬えるならば、
中也の詩句を用いて、私としては、
「薄命そうなピエロ」の書いた
月夜に拾ったボタンの歌
それを何かに役立てようと思ったわけではないが、
それがどうして捨てられよう・・・
 
人生の哀しい道行きで出会いました。
詩が理屈ではないことをしみじみ思います。
 
(2011年04月22日)