破滅の祈り
 
 
私は時々平静を失う
末路に倒れる者の宿命だ
 
「すべてに感謝しなさい」
「感謝、感謝、感謝、感謝、感謝、感謝、・・・」
当たり前のことにも感謝する
本当は当たり前ではなく
神の賜物だから
私も感謝の祈りは捧げる
神の賜物は
いずれ神によって壊され
すべて神にお返しするもの
という信仰があれば
大事にするのはなおさらだ
 
しかしそうやって
一日を感謝で埋め尽くすのが信仰か
 
ここで感謝する人がいたら
その人は人間ではない
という悲劇的な状況がある
 
昔あった歌か
宗教めいた
「ありがたや、ありがたや」
 
すべての幸不幸を知るわけでもないのに
「幸不幸は気持ちの問題」
と真顔で語る人の多幸的な気分に
怖いほど感じる
錆びた金属のような冷たさ
 
現状に文句を言わず
もっとひどいこともあるのだからと
満足しようとする「弱者の道徳」
 
さらに
「信仰者なら感謝できるはずだ」
という確信が底にあって
当たり前に語るなら
それこそ
当たり前ではない片落ちに
気づかないのはどちらだろう
 
信仰は間違えば常習的に
人間性を蝕んでゆく
信仰が悪なのではない
人の在り方が最悪になりうるのだ
その危険性をわきまえず
福音のつもりで
石打ちの刑
硬い岩石をぶつけていることだってある
 
私は頭がおかしいのだろう
少なくとも彼らの基準ではそうなのだろう
彼らの語る信仰が正しくて
彼らが天国を約束されているなら
主よ
私は同じところには居たくありません
 
(2011年05月26日)