コメントを封殺された者としては
ここに書くしかないのだが・・・
 
讃美の家:書庫「土の器」→記事「赦されて生きる」
 
>私たちもまた神様に背いてしか生きることのできない弱い者ですが、
>このイエス様をとおして示された神様の愛を受け入れるとき、
>しなやかでありながら岩のように微動だにしない生き方へと変えられます。
 
他の聖職者の聖書的言葉を借りている。
引用の目的と意図は、恐らく、
「しなやかでありながら岩のように微動だにしない生き方」
をキリスト者に説くことと
自らに擬(なぞら)えたいのだろう。
 
日付は下の記事「粘土細工」の翌日である。
「石灰」「粘土細工」と書いたことへの
当てつけのようではあるのだが・・・
 
 
                         しなやかな岩?
 
 
             「しなやかでありながら岩のように微動だにしない生き方」
                  「岩」の名を持つのは使徒ペテロである。
                      この表現の微妙さ以上に
 
                    「しなやかであり」の偽りは既に
               反対意見を封殺する行為に表れているのだから
                    「岩のように微動だにしない」は
             怖いほど硬い頑なさに過ぎないことは明らかなのだが
                      恐らく人間として自分で
              信仰について考える心も言葉も失っているのだろう
 
                            信仰も
                    ここまで自己防衛と正当化に走って
                       内省~訂正不能になると
                    自己満足から自己陶酔に至っていて
                       返す言葉に戸惑いを感じる
                           何故なら
             何を言っても自己満足で悦に入る人が相手なのだから
 
                 この路線でどこまでも行くつもりなのだろうか
 
                        (2011年06月26日)
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むしろ心配である。
前に危惧していたことだが
牧者を信じる人まで現れてきている。
それが人として信頼することであったとしても
 似たような信仰者
お味方の数に頼みつつある状況なのではないだろうか。
宗教人と信仰者の怖さを見る。