神の義と偶像
 
 
「いかなる災いも神の善性に矛盾しない」
という神義論について
「神はいる」「それでも信じる」
と言っても
災いに直面して逆に
「神はいない」「信仰はない」
と言っても
神義論との関係で信仰を語ることに変わりはない
 
信仰は罪の意識であり
神の義を求めながら得られず
偶像を廃することも出来ない罪ゆえに
神を恐れ
祈らざるを得ないのである
 
神を恐れない信仰は
幸いも災いも
すべてを神の義と恵みに帰して
「神を恐れる」戒めを
「神を畏れる」と
戒律か公式のように書き換えて
形式的に語ることで満足する
 
神を恐れない信仰は
見ることを拒む目と
聞くことを拒む耳を持ち
それでも語り続け
嘲笑を微笑に見せかけ
疑義をタブーとして抑え込む
 
神を恐れない信仰は
飼い犬のように従順で
岩のように不動の
しなやかな矛盾の偶像をこね上げて
日々大切に育てている
 
とうに人間からは離れてしまって
 
好ましい事物や人が
焼き尽くされるときまで気づくことはないのだろう
 
(2011年11月15日、同日一部修正)