否定の否定
 
 
存在が否定するのではない
否定が存在するのである
否定の否定は存在の否定であり
否定の否定=肯定は
論理病と正義感症候群の短絡である

わけの分からないことを言っているのは
またしても私だが
 
否定は今のひとときを否定しない
否定すれば
次のひとときは訪れない
 
まことに次のひとときが保証されない世にあって
否定は危うげな居場所を
ひとときの中に求めてさまよい続けるのだ
今のひととき
そして次のひとときへと
 
否定の否定が辿り着くところが
鬱の墓場にならないために
 
(2011年11月17日)
 
 
 
素子
 
 
素子は有無ではなく
否定か肯定かでもなく
記憶の素子は関係である
というのは昔
人間の脳を
シミュレートするニューロコンピュータの記事に
「0.7ビット」
という記述を見て驚いたときの感想に過ぎないが
 
思い出せないか
思い出すのに時間がかかるのは
サーチエンジンがポンコツか
バグで鈍いとしても
 
聞けばそうだったと
そういうのがあったようだと分かるのは
記憶のリソースが無限のように膨大なのだろう
 
黒いリンゴも赤いバナナも
否定しないファジーの究極の果てに
善かれ悪しかれ
ニューロとサイバーは
青い胞子のように受肉を待っている
 
(2011年11月17日)
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関係あるかどうか分かりませんが、前に私は、
ヒヤシンスという花はよく知らないのに、
風信子(ヒヤシンス)という漢字が好きだ
と書いたことがあります。失礼。