あるTV討論会での発言について。
 
「明治時代からの日本の海外進出は、時代背景として、欧米列強は当然のごとくやっていたことであり、植民地を持っていたのだから、近代化を果たした日本にとっても当時としては当然のことであり、今の倫理で考えるのはおかしい。」
という主旨の意見について:
 
今の倫理で考えることも必要だと思いますが、それよりも、
 
近代化のプロセスが欧米列強とは違うと思います。
 
欧米列強は既に以前から強い国であり、植民地獲得においても覇を競っていた。
日本はそうではなく、植民地にされかかった国であり、
それを何とか切り抜けて近代化を果たした国であります。
植民地にされた国や中国などの悲惨な状況も知っていたはずです。
 
ですから逆に、当時だからこそ、
「日本は植民地にされかかった国であり、その悲惨さを知っているのだから、
これからの日本は他国や隣国を植民地にするような国になってはいけない。
したがって海外派兵はするべきではない。」
という意見を主張する人が多く現れなかったことのほうが、
むしろ不思議に思えてなりません。
 
反日運動が韓国や中国で起こるたびにうんざりする人は多いだろう。
さらに「反日教育がなされていたからだ。日本は悪くない。
むしろ感謝されてもおかしくないのに・・」
などという主張もあるらしい。
ではなぜ反日教育がなされたのか。感謝されておかしくないならば、
なぜ反日運動が盛り上がってしまうのか。
 
日本が朝鮮半島を長期のわたって支配し、中国の一部を支配し、
中国大陸で中国と戦争したという事実は否定できないでしょう。
仮に日本が同じことをされて、相手国がそれを正当化するならば、
恨まずにおれるだろうか。逆のことをされたら私なら恨みます。――――(1)
全部ではなくても、
 
日本は恨まれているのです。
 
そして、恨まれる原因になるようなことを日本はしたのだ
という認識に立たなければ先へは進めないだろうと思います。
かといって日本がいつまでも謝り続けて卑屈になってはいられないのだから、
歴史の事実をできるだけ詳細に明らかにして
お互いに誤った認識を改めていく作業が必要になるのでしょう。
 
次に
「(核武装を)宣言するだけでも抑止力になる。」
という発言について:
 
どういう意味でしょうか。
宣言するだけで、実際には核武装しない
という意味ならば、
いずれ衛星写真や情報網によって
核武装の動きがないことは明らかになるでしょうから、
宣言することは無意味だと思います。
徒に他国に脅威を与えて警戒されるだけだと思います。
 
実際に核兵器を持つまでの間のこと
という意味ならば、結局は核武装するつもりなのだから、
「宣言するだけでも」は詭弁としか言いようがありません。
 
抑止力については「理念・断片」にも書きましたが、
脅しあうことによって均衡を保って平和を維持しよう
という危うい後付けの理屈だと思います。
 
(2012年01月20日)
(2013年09月08日、一部加筆修正)
 
たいていの戦争で、多かれ少なかれ、
弱者に対する略奪、虐待、虐殺、凌辱は行われてきていると思います。
(1)のようなことを考えてみると
日本が恨まれ隣国がこだわるような
事実があったなかったという歴史認識の論争の根底にあるのは
歴史認識そのものよりも
民族と国家の尊厳という
帰属意識に基づくアイデンティティの問題になるような気がします。
となると歴史的事実の確認の議論を続けても
それはいつ決着するか分からないような果てしなく続くことだし
そういうつもりで続けるべきことだし
「歴史認識による決着」と
「政治判断による解決」は分けるべきことのように思われます。
大事なのは前者よりも寧ろ後者であり
(地球人としてのアイデンティティは遠い将来にあるかないかの理想だから・・)
日本が自国と日本民族の誇りを守るように
隣国とその民族の誇りをいかに大切にしうるかを示すことのように思われます。
 
日本を攻撃しなかった隣国を攻撃し
日本を支配しなかった隣国を支配したら恨まれる
という大筋の認識に立つべきで、それをせずに
自己の認識をぶつければぶつけるほど関係はこじれるでしょう。
 
日本が外国の国益のための戦争の
便利な先鋒に組み込まれる種が蒔かれてしまったようですから・・なおさら
意見の食い違いが諍いに
諍いが意識的にも無意識的にも根深い怨念となりませぬように祈ります。
 
(・・この記事についての加筆は今のところ、この辺にしておきます。
 ・・なかなかまとまらないので・・稿を改めるかどうは検討中・・) 
 
(2014年07月04日、加筆)