原初から
 
 
原初の信仰が生まれるとき
それは復活の類似体験である
それまでとは違った生の体験として
人を解放する
 
原初体験は
自由意思による服従の決意へと導く
つまり服従が解放なのである
 
しかし本当に自由意思かというと
そうとも言えない
 
原初体験は出会いであり
縁付くことであり
絆されることであり
これらは
ある種の受身の直感~直観であり
芸術の享受にも似るが
恋愛や結婚にも似ている
 
だから別の人にとっては
別の宗教の言葉であるかもしれず
何かの本の一節であるかもしれない
 
むしろ享受しながら
そこから何を目指すことになるか
という自由意思の問題ともなりうる
 
尾ひれをつけて飾り立ててゆくか
自分で自分を縛り付けてゆくか
自己陶酔に陥るか
これらは目に美しく
耳に心地よい偶像に
バランスと調和を塗り固めて
原初の面影すらないところへ向かうだろう
 
信仰は
自由と服従のバランスではなく
一途な自由と
一途な服従の希求であり
自らを暴くことなしに安らぎはなく
常に原初から
糊塗されるものを拒否し続ける
 
(2012年02月24日)
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今日で虚しくも58歳になりました。