生きる欲望
 
 
一年草は
子孫を残しても残さなくても
わが子を見る前に死ぬ
 
人の寿命にも
わが子を見て育てられる保証はない
ゆえに限りある寿命に
人は急いだり立ちすくんだりする
 
樹木に寿命はあるのだろうか
樹齢と言われる寿齢
 
わずかの例外を残して
生き物は交接する
 
桜木の全裸となりて春を待つ
 
樹木から娼婦まで
 
静かに春を待つ落葉樹から
体を売る春の向こうに
本当の春を求めないではおれない女性まで
 
逞しい生きる欲望に溢れている
 
生きる欲望
生きようとする欲望は
限りなく近く
活きたいという希望なのかもしれない
 
(2012年02月25日)
(2012年03月01日、修正)
--------------------------------------------
 
反省と補足:
 
「娼婦」と書いてしまったことについてですが・・(弱気)
「裸になって体を売る春を待つ」に引っ掛けただけだと
悪い冗句に過ぎなくなります。私の心も最近特に荒んでるし、
実際そういう乗りで書いたかもしれない?と反省します。
 
数日経ってから思い出して考えても正直
どういう意図だったか分からないところもあって・・
それではいけない・・おかしいな・・
 
今考えてみて・・
もし「生きる欲望」というテーマにつながるものがあるとすれば、
体を売る春の向こうに
本当の春を求めないではおれない姿・・生きる欲望
ということになるので、表現力不足ながら、
できる範囲で本文修正してみました。
 
余談ながら参考までに・・
TVドラマ「クリミナル・マインド」の中で
治安の悪い貧しい町を浄化しているつもりの殺人鬼につかまって
逃げられそうもない広い建物の中を
必死で逃げ惑う娼婦が犯人に向かって叫ぶ台詞の中に
「・・(わたし)子どもがいるのよ! ・・・」
 
何が何でも生きようとする母親としての使命感とともに
絶望的な状況であればあるほど
欲望に勝るほどの強い希望が生まれるということ・・
子どもがいるかどうかはともかく (私、いないけど)、
この台詞が深く心に残っています。
 
(2012年03月01日、加筆)