口が酸っぱくなるほど繰り返し言い続けても
わかってもらえず
伝わらないことが沢山ある
 
それが人間の常態だ
というところから思索を始めるべきだろう
ネガティブと言われるかもしれないが
諦めから出発すべきことがある
 
でないと段々感情的になり
意見を述べているつもりが
悪口か叫びになってゆく
 
いたたまれず叫ぶことはあるのだが
叫びだけで人を動かそうとすると
結果は殆ど正しさではなく数の勢いだけで決まってしまう
そこで欠落してしまうのは真実の追求である
 
悪口を言えば悪口が返ってくるし
数値をあげれば信憑性や正当性が問われてくる
それが石の投げ合いになってしまうと
もはや応酬に過ぎず
話し合いにも議論にもならない
そこで欠落してしまうのは真実の追求である
 
何かの意見を主張するとき
大切なことは
芯となることをはっきりさせておくことだろう
 
その芯というものは
こうとしか考えようがない
という否定しがたい暫定的結論であり
(すべての結論は経過だ)
人間ならば分かるだろうと思えるほどの
日常語で表せる短い文章である
 
目的から論理を組み立てるのではなく
つまり
前もって大きな結論をどんと置いて
それが目的になるのではなく
芯と真の追求から目的は生まれるのである
 
感情はその理由を考えるために生じるのだから
人が思索する深みというのは
誰にとっても不可欠で不可避な
端的で本質的な芯を求めることから始まる
 
芯はシンプルであり
声高に叫ぶことだけを目的とせず
勢いに乗せる必要もない
また芯に対して
根拠や具体性のない飾りや煽りや雑言は排除される
 
芯は反芻され反省されながら
話し合いが詰りあいにならないために
説得し説得されるのを常に期待して励起している
 
だから思い通りにならないという現実や結果に
左右されることもないのだが・・(記事先頭に戻る)
・・悲しみに暮れることは・・
これからもあるだろう
 
大方の歴史は力関係で動いてきている
したがってその時々において
大方の真実はしばしば求められていない
 
(2012年07月01日)