敬虔マニア
 
 
信仰者は神の愛を知るゆえに
敬虔であるのか。
 
生死も幸不幸も定める神の愛に
人は耐えられないはずだ。
 
幸不幸は、人次第、信仰次第、気持ち次第、
あるいは試練とでも言うのだろうか。
人の信仰では理解も納得も
出来ない不幸があることを知らないのだろうか。
 
信仰者は神への想いによって行動するだろう。
しかし信仰者は神への想いゆえに慎み深く
敬虔なのではない。
 
神はいちいち説得して人を運ぶのではない。
そのことに人が納得するかどうかに
神は左右されない。
人が敬虔または謙虚であるべき理由は、
神の運びが人の想いや
期待に沿うとは限らないために、
神の愛と運びを恐れるからだ。
神を敬うからではなく
神を恐れるからだ。
 
神の愛を受けたという思いに生きるのなら
受けたと思う分以上に
神の運びを恐れるべきである。
 
神が人の行為を是としているとは限らない。
人は神が是としているか非としているかを知りえない。
間違っても神様感謝敬虔マニアになってはいけない。
それは神に対して不正直だからだ。
人は神を敬えるほど悟ってはいない。
 
 
 
栄光マニア
 
 
栄光は神のものであるが、
ゆえに栄える者が衰え滅び死にゆくのを
彼はあれほどに栄えたが
聖書が語るように
息のように過ぎ去った
と教える者がいたら
息のように過ぎ去るのは
栄えた者も栄えなかった者も同じだ
ということを覚えて欲しい。
 
人が栄えるとき
いずれ息のように過ぎ去るだろう
という思いの中には
愛とは正反対の
怨念マニアが棲みやすいからだ。
 
慎みの陰には思考停止が
微笑みの陰には軽蔑が
愛の陰には施したという傲慢が
常在菌のように
棲みついて繁殖しやすいのが人間である。
 
いわれなき当為で本音を隠し
神に対しても人に対しても
神義を盾にして硬直していながら
柔和を装い讃美するような信仰体裁マニアに
神様栄光マニアになってはいけない。
人は神の栄光を分かって称えられるほど悟ってはいない。
 
あらゆる信仰マニアは
信仰ではなく
自らの信念のための
正当化と保身の化け物である。
 
 
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昨日の夜からか、どうしたのか、急に、
まるで怒りのような発作に取り憑かれて
書いている感じです。
 
(2013年06月11日)