歴史としては深く重いテーマですが、
あんまり重いテーマとして私は扱えないので、
今日は雑談的な軽口を叩いてみます。
 
 
「邪馬台国?ヤマト国?」
 
高校のとき「邪馬台国」を習い、
九州説と畿内説があることを習った。
高校のとき感じた一番大きな疑問として、
 
「邪馬台国」を「ヤマト国」と読むことは
 あり得ないのですか。
 
邪馬台国と大和国は別物として考えるべきなのだろうか。
新たな発見のたびに注目され、
九州にあった、近畿にあった、と論争は尽きない。
素人が入り込む余地はないのだが、
語呂が似ていて、ずっと上の疑問が気になっている。
テレビの「BS歴史館」で「邪馬台国」を
「ヤマト・・」と読みかけた人がいたようだ。
一般向けのイラスト付きの本では、
(私、そういう本しか読まないので・・)
そのことについての記事をまだ見ていない。
読まないに決まってるから話題にならないのだろうか。
 
辞書などでは、
「ヤマト」は「山処」から・・とか、
(九州説では「山門」とも・・)
また「大和(ダイワ)」という漢字は
「倭国」「倭人」の「倭」では弱そうだから、
「大」+「倭」→「大倭」→「大和」・・らしい。
ちなみに
邪馬台国の「台」は「臺」という旧字の他に
「豆(まめ、トウ)」の入った「壹」という字も書いてあった。
しかし、この字は「壱」という字と同じ「イチ」という読み、
ヤマイチ国?おかしい・・この辺、限界のようだ。
 
邪馬台国の所在は、即ち、卑弥呼の住所でもあるから、
上の疑問は、
卑弥呼は大和国とは別の邪馬台国の人か、
卑弥呼はそもそも大和国の人ではなかったのか
・・という疑問でもあります。
 
もし「邪馬台国」=「大和(ヤマト)国」だとすれば、
邪馬台国が何処にあったかという問題ではなく、
ヤマト国が何処にあったかという問題になり、
言い換えると、
大和国の支配または影響が畿内に留まっていたか、
それとも九州など日本中に及んでいたか、
またヤマトと読む大和の名が日本の何処まで知られていたか
という問題になるのではないか。
 
さらに日本に来た魏の人か、魏志倭人伝を書いた人が、
「大和、ヤマト?、ちやう、そんな読まないよ。タイワ、タイワァ、
 でも皆、ヤマト、ヤマト言うとる。そんなら、近い字、当てとこ、
 で、邪馬台国、・・と書いとこ・・」
(ここの言い方の変なところはお許しください)
 
という感じ(漢字?)で
珍しく軽躁なる我(倭?)が妄想を
膨らませてみたのであります。失礼。
 
(2013年07月13日)