獣性
 
 
自然を食って生きている。
誰かが殺した牛の死体を食らうことを
「牛肉を食べる」と言っている。
植物に至っては首を斬られても
根こそぎ引っこ抜かれても
悲鳴一つ上げることはない。
殺すことと食らうことは同列である。
 
その獣性は
異種なのかもしれないと思うほどに
戦争や犯罪によって殺し合うほどに残酷だ。
 
たまたま戦争のない時代に生きてきたとはいえ、
殺人は絶えることがない。
 
遺体は眠ったように穏やかな姿だけ・・と、
残酷な有様を見なくて済ませるのが望ましい
と思うことのほうが異常である。
 
死体は決して美しくない。
偶然または必然によって
残酷さを見ようとしないことは
存在を見ようとしないことに等しい。
 
存在から非存在の有様を見ようとせずに
未来へ向けて平和を語る資格があるだろうか。
 
 
 
始め
 
 
結論から始まる思考は
罵詈雑言を介して
結論だけを繰り返す。
 
遺伝と環境と教育によって
誰もが何らかの先入観を持っている。
一人称も二人称も三人称も、
そこに例外はない。
 
いかなる妄執に囚われているか。
そこから稚児は考える動物になるだろう。
 
赤ちゃんはミルクを欲しがる。
いつも飲んでいるのと同じような気持ちで
灰汁を飲んでしまわないために
飲ませないために思考は始まる。
 
思想を宗教を信仰を
さらに師を疑うことなしに
思考は存在しない。
 
 
(2013年08月19日、同日一部修正)