私が以前、疑問を持ち、真面目に書いたコメントに、
正面から反論もせず、
 
唐突に承認制にすることで、未承認のまま封じ込める
という一方的な強制力の発動に至ったことで、
やむなく、ここの私のブログで
「讃美の家」批判1
http://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/10201552.html
から
「讃美の家」批判24
http://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/11617712.html
までを書き続けて、批判24に至って、
ついに相手を人間と思えなくなって、
批判をやめた「讃美の家」というキリスト教のブログを
久しぶりに見てみると、
 
ブログのタイトルが「讃美の家」から
「その名は不思議」に変わっていました。
(聖書の言葉のようです)
 
そして、その中の、
もはやブログ内検索しないと分からないほど奥の
「7×70=無限」
という記事に書いた問題の私のコメントは、
承認制の前の表れていたコメントも
承認制以後の未承認コメントも
完全に削除されていました。
 
スルーすればよいものを・・
真面目なコメントをブロックするか・・と、
私は憤り、感情的になっていたことは認めるが、
なぜ怒るかを考えながら、批判を続けていたのですが、
批判をやめたのに・・結局、削除でした。
 
やはり、こちらが何も言わなくなってから削除とは、
あの人らしい。・・というか、
何の問題も瑕疵もなかったことにしたいのでしょう。
どこまでも柔和を装い、広く門戸を開けてます
という体裁を保ちたいのでしょうか。
 
あの人が大切にしていたのは、
つまるところ神でもキリストでも信仰でもなく、
話し合いや議論で高めることでも深めることでもなく、
自分のブログという温室のような城であり、
言うには言うが、言うことだけが目的で、
聞く気もなく、聞いて答える気もなく、
答えられないとか分からないとかも言わず、
自分に反対する者は神の敵という被害者意識を持ち、
自分は教える立場であることに固執することに懸命な
自己完結と自己満足で悦にいる自分信仰、
シャロム型確信教とでも呼ぶべきものですが、
賛同意見やお褒めの言葉を歓迎するので、
反対意見を続けて書かない限り、
事はないという仕組みのようです。
 
以前、
私は教会に行かないことは罪だと思っていました。
しかし、あの一件以来、
教会に行く気にも、
行くことを勧める気にもならなくなりました。
 
そして昨日、
あの人のHNが訪問者履歴に残っていたのを見つけて、
いったいどういう気持ちで平気でログインして見にくるのかと、
殆ど、生理的にか、または病理のように気分が悪くなり、
一日、気鬱とイライラが止まらず、
私は元々心にも体にも病を持っていますが、
あの人の schizophrenogenic な影響と経緯を思い出していたのでした。
今のところ、この辺にしておきます。
 
(2013年08月20日現在、同日若干修正)