30代のときの私の病気についての診断は、
 うつ状態と不眠症だった。
 その後、仕事をやめてから、
 一日のトータルでは睡眠過剰なこともあったので
 不眠症ではなく不規則なパターンの睡眠障害だと思った。
 そして、
 抗うつ薬を服用しても殆ど効果がなく、
 薬や服用の仕方によっては
 却って内的不穏が強くなり落ち着かず
 全く気分がよくなったとは言えないので、
 今では、
 素因があり、
 不潔な暮らしで、
 外出をしようとしないことを考えると、
 引きこもりなど意欲低下が主症状になるような
 遅発性の統合失調症の可能性も考えている。
 なお、
 統合失調症とアルツハイマーなどの認知症の違いは、
 前者においては
 知的機能が全般に衰えるのではなく、
 ある狭い範囲の事柄については
 寧ろ(精神)活動が亢進し
 過敏となる場合があるということだ。
 
 参考までに
 統合失調症の薬についてだが、
 幻覚妄想に効く薬は数々あるようだが、
 意欲低下に著効を示す薬は殆どないと思う。
 だから私は今のところ
 抗精神病薬またはメジャートランキライザー
 と呼ばれる薬は服用していない。
 睡眠薬としての合剤なら以前服用したことがあるが、
 あれは私には強烈で気絶薬のようだった。
 
 そのことを、
 この記事に書く気になった理由については、
 以前、記事を書くことを「発作」
 と書いたりしてきたこととか、
 気が向かないと何もしないとか、
 一方で、
 こだわることがあると、
 しつこく強迫的なくらい長々と書いたりとか、
 いろいろ考えるのだが、
 統合失調症の症状は、
 普通、発作とは呼ばないし、
 強迫性が特徴というわけでもないようだから、
 私の精神の脆弱性に関係しているのかもしれない。
 この記事を読む人の判断に任せるしかないのだが、
 今まさに、ほぼ全開状態で、こだわっている時間だ。
 
 
上は鬱積した気分のために吐き出したかっただけかもしれません。
前の記事のコメント欄のコピペに近いのですが、
大事なことだと思うので、記事にしておきます。
 
私のブログは大体が
人に好まれるような明るいことは殆ど書いてないので、
アクセスもコメントも少ないわけですが、
たまに来るコメントも、
整ったコメントも多いのですが、
中には変わったコメントもあります。
(私にそう見えるのかもしれませんが、
 かなり苦笑~困惑~??、が結構・・あるのです)
 
スルーすることで生じる気持ちはこちらのものか、
双方のもの、一方
ブロックや削除が与える気持ちは相手のもの
ということを考えておく必要はあるでしょう。
 
そこで適当に繕おうとすると
分かってないのに分かったような顔をして、
的外れな押し付けになりかねません。
スルーすることも、分からないと言うことも、
それなりの本音の正直さと勇気が必要なのだと思います。
 
スルーすることで
コメント者が自分の意見が認められたと思って
書き続けるなら、それはそれで今度は
別のレスをする動機が生まれる可能性があります。
 
たった1つのコメントにスルー
ということもあったような気がします。
コメントの内容がですね・・むむむ・・で、
私の知識では全然理解できないのですが、
どうもコメント者は揶揄でも冷やかしでもなく
本気で真面目に書いているようなのです。
しかも私のブログのテーマと全く無縁だと
切り捨てることも出来ないような気がして・・
コメント欄においての処遇としては、
分からないけれど、正式なコメントとして
削除せずに置いておきます。・・ということにしました。
恐らくコメント者は、レスがないのだから、
肯定して認められてもいないわけなので、
話にならん・・と不快だったでしょうけれど、
私としては、それが目一杯ということで
・・今でも、よく分からんです・・
 
重いテーマで長めのコメントを遣り取りする場合には
1コメごとに変わってゆく双方の動的なベクトルがあって、
それは曲がりくねることもありますが、
収拾がついてもつかなくても、なんじゃ?という程度の
興味が生じることもあるかもしれません。
 
建設的な議論は期待しないほうがよいのかもしれない
と最近の私は考える傾向にあります。
 
コメントがつき、また続いている段階で、
建設的かどうかを判断することが難しいように思われます。
相手が求めているものが分からないことが多いから・・
 
例えば攻撃だけのコメントにしても、
それに屈することはできないが、
自分がどう返せるか、返さないでスルーするか、
他にないか、・・等々、・・
相手を説得することは無理だし、
こちらが「分かりました、おっしゃる通り」
なんて言う気にも全然なれないけれど、
自分がどう対応するか、どう動くかどうかを
学習する機会ではあるのでしょう。
無視すれば、そこで相手だけでなく
自分の思考も停止してしまいます。
 
だから相互理解や建設的なもの、それは望ましいけれど、
それを条件や前提とするべきではないような気がしています。
 
そのときは正しいと思って
記事もコメントもレスも書くのですから、
双方が自分の意見を通したいし分かってほしい、
また認めさせたいという気で書くわけです。
 
コメントを受ければ思考に変化が生じることもあり、
さらに感情は動きますから、誰でも、予想しがたく、
相手だけでなく自分もめちゃくちゃになることはあるのですが、
ごく稀に相手の求めることについて、理解ではなくても、
そういうことか・・というヒントをもらうことも
ないとは言えないでしょう。
 
それも遣り取りの中で・・ということになるので、
遣り取りを拒んだ時点で総ての思考は、
賛否にかかわらず、斬られてしまうのです。
残るのは、やり場のない感情だけ・・それは、
誰も知らないところで
極めて個人的でマイナーなトラウマか
残遺症状になってゆくのだと思います。
 
人にとって忌むべきは
自らを不変の存在にしてしまうことでしょう。
 
唯一変わらないことを是とできる存在は、
私にとって神以外にはありません。
しかもその不変の性質を人は理解できないのです。
 
 
(2013年08月20日)