前の記事とも関係しますが、
別のブログに書いたコメントなども参考にしながら、
今回は戦争体験者と被害者の心について、
同じ立場に立つことは
戦争体験のない私には無理ということを承知の上で、
甚だ不充分ながら、
現時点で推測できる範囲のことを書いてみたいと思います。
 
 
日米の太平洋戦争は、日本の先制攻撃、
つまり日本軍の真珠湾奇襲によって始まりました。
 
そしてアメリカは
日本の多くの都市に無数の爆弾を落としました。
さらに広島と長崎に原爆を落としました。
 
また南の島々での戦闘では、日本軍は壊滅的となり、
アメリカ軍にも多数の犠牲者が出る結果となりました。
 
真珠湾奇襲でのアメリカの犠牲者は約2200人余り、
 
例えば東京大空襲の犠牲者は約10万人、
 
広島と長崎の原爆の犠牲者は
合わせて約20万~30万人以上とも言われています。
 
(ちなみに9.11同時多発テロの犠牲者は3000人余りという)
 
日本の攻撃に対してアメリカの報復は、
いったい何倍返しになるのでしょう、
余りにも酷い仕打ちという意見もありますし、
私もそれを否定するわけではありません。
 
しかし、どちらが先に攻撃したかとか、
どちらが悪いとか、どちらが酷いとか、
そういうことを考えてみても切りがないような気がします。
この記事はそういうことを書くのが目的ではありません。
無理を承知で、ここでのテーマは心です。
 
 
アメリカには、日本軍によって、
真珠湾のみならず、南の島で殺された兵士の親族~子孫が、
今は仲の良い国、あれは戦時のことと思っていたとしても、
わだかまりを持って生きていることを考えるべきでしょう。
 
そういう人々にとって、何倍返しをしても、
日本は戦争を仕掛けた国であるという事実は、
基本的に認識においても心情においても、
微妙に影響を与えて続けているような気がしてなりません。
 
それは日本の戦争体験者や原爆被害者にとっても同様で、
体験した人々にとっては、
原爆による日本人の犠牲はあまりにも大きかったけれど、
 
結局は体験から直接に生じていて、
どっちが先、どっちが大きい、ということでは語れない
しこりのような感情があるような気がします。
 
しかも、当事国双方において、
それら個人の感情は、生じてしまったことを
誰も責めることが出来ない当然のことなのです。
 
 
人間一人の器において、その心に与える影響について、
いかなる経緯を語り、いかなる数値を持ち出しても、
体験は、いかなる理屈も事実も圧倒して、
傷を残し、しこりを残し、わだかまりを残すということです。
 
 
言い換えると、
日本軍に親族を殺されたアメリカの人に
原爆は言い訳にも説明にもならず、
原爆被害者に日本の先制攻撃は
言い訳にも説明にもならないということです。
 
体験者や犠牲者の親族と子孫にとって、
戦争当事国双方とも個人においては
質的比較も量的比較も、
どっちが悪い、どっちもどっち、お互いさま、
などという話も通用しないということです。
 
これから先、再びそういう経験をして、
あるいは経験させて、
傷、しこり、わだかまりを残すことのないように
したいのは言うまでもないことですが、
 
日本では奇跡的に70年近く戦争がないけれど、
世界の各地では今も戦争が絶えません。
そこには国の思惑や利権が関係して、
戦略的な計算をしているようですが、
そのために今も多くの人々に、
傷も、しこりも、わだかまりも残し続けています。
 
今に至り、これからに続く、過去からの続きのような、
人間一人一人の心を蚊帳の外に置いてゆく組織的な
計算システムの習癖が働いているような気がします。
 
語りつくせませんでした。失礼。
 
 
※(蛇足ながら、
  また日本では過去と仮定の話になりますが)
戦場では、
味方の死には悲しむが、その分、敵の死には鈍感になり、
戦友の死によって募ってゆく敵に対する憎しみによって、
自動小銃よりもオートマチックに、
戦意と戦闘が維持され加速されてゆくのだと思います。
そして
それを承知で国は兵士を訓練し
殺人マシンとして送り出してきたような気がします。
 
 
(2013年09月11日、同日一部修正)