自分信仰
 
 
信仰者は
自分が穢(けが)すことで
自分もまた穢れたとき、
その穢れを隠しません。
なぜなら、いかなる穢れも
決して見逃さない御方を恐れること
くらいは知っているからです。
 
 
自分信仰者が一番大事にするは
信仰ではなく、お仲間向けの体面です。
したがって
自分信仰者が恐れるのは
神ではなく、体面が損なわれることです。
 
それゆえ自分が先に人を汚しておいて、
それによって自分の側に生じた汚れを
すべて消去して最初からなかったかのように
自分信仰者は装ってきました。
 
さらに自分が汚したところにわざわざ行って
脅かすためなのか、偵察なのか、
自分信仰者は臆面もなく名前を残したりします。
そしてお仲間向けには
「私も少しは図太くなったようです(笑)」
などと語らうのかもしれません。
そうではないのです。
自分信仰者は
もともと図太く厚かましく傲慢だから
畏れると言いながら、恐れることもなく
そのようなことが出来るのです。
 
脅かされたほうは
脅かされたくらいだから頑丈ではないので
色々な原因が重なれば自殺するかもしれません。
まことに神の運びは理解しがたく
反逆の民となって主の御名を呼びながらも
大罪を犯さない保証はないのです。
それでも自分信仰者に媚びたりはしないのです。
 
そのとき自分信仰者は
「残念な結果になりました
 ・・しかし罪の報いは死なのです」
とでも言いながら内心
ほくそ笑むことでしょう。
 
このように自分信仰者は
信仰者を滅ぼしてきました。
そうして
この世を支配してきた自分信仰の系譜は
信仰を滅ぼしながら今も続いているのです。
 
 
(2013年11月08日、同日若干修正)