前から少し気になっていたことではあるのですが・・
 
 
 自由意志?
 
 
自由意志はないという。
 
運命論とか、時間軸は1つとか、科学の
原子や素粒子の運動の総体とかを持ち出さなくても、
ひとつの思考や言動には
それを生じる原因や動機がある。
ゆえに不可避であり必然であり自由ではない。
なるほど・・とは思う。
 
その流れで行くと
「何をしても無駄」「考えても空しい」に
つながる恐れもある。
犯罪も必然ということになる。
しかしそうならば罪の償いも必然である。
善行も必然ということになる。
偽善も必然ということになる。
しかしそれらがもたらす結果も経過も必然である。
そしてこの必然は不可知であり未知である。
未知こそ
この世の人にとって自由と言うべきではないだろうか。
 
全ては何らかの運びではあろう。
必然の運びを想うのは・・信仰ではないか。
 
さらに信仰が他者との関係においてのみ表れるならば
他者の必然は自己の必然より遥かに未知である。
結果も経過も信仰も
他者の必然との関わりにおいて生じるのであれば
未知に希望を抱くことは出来ないだろうか。
 
なんとなく・・「自由意志はない」が
前の「地獄論(再録+?)」の
最悪の設定のように思えてならない。
 
信仰は既知ではなく未知に希望を抱くことだ。
 
希望は常に未知に抱かれ
開かれるだろう。
 
 
(2014年03月02日)
・・なんか・・とりあえず投稿します。