境界
 (前に書いたことの修正)
 
 
人が有限であるなら
人はその限界を知っており
そこは人と神との境界でもあるので
神の境界も人は知っていることになり
これは明らかに矛盾しているので
ゆえに人は無限である
 
と背理法のように
前に書いたことがありますが
修正の必要を感じました
 
神は全能だが
人には出来ないことがいっぱいあって
しかも未知数である
それだけで人の領域は
神の領域に包含されており
人の領域外に神の領域がなお存在するので
境界を知らなくても神に比べて
人は有限であると言えるでしょう
 
人が無限なのは
広く見渡しても
さらに細分化すればするほど
人においても
未知の部分が限りないということでしょう
人が出来ることも未知数なのです
 
ここにおいて人の有限と無限は
前に書いた必然と自由の問題と同様に
相反するものではないということになるでしょう
 
論理にこだわり過ぎると
それを充足させるために
変な論法が生まれ結局
勢い任せになるような気がします
 
(2014年03月25日)
 
ひとつの論証のようなものに批判的になって書いたことが
情緒的でもなく、もっと下手な論理もどきになっている。
 
情緒的な収まりは別の機会に・・というか要するに
人にとって本質的に未知なるものは同時に
人にとって自由で無限としか言いようがないのではないか
・・と書いて一応まとめにしておこうかと・・??
 
(2014年03月25日、同日加筆)
 
 
 
  退行
 
 
生み出した言葉は
言葉に追いかけられ追い詰められ
倦み疲れた果てに退行して
やすやすと言葉を裏切るのです
 
軽快に飛翔したつもりが
不用意に転げ落ちてしまって
 
人生のように長い文脈によって
積み重ねてきた行路の
すべてを裏切ることがあるのです
 
捨て去るべきものがあり
変えるべきことがあるなら
より明確な根拠と説得力をもって
修正しなくてはならないでしょう
 
急ぐ必要はなく
ましてや慌てる必要はさらになく
死ぬまで思考と志向を失わない限り
こぶだらけになった転倒のその先に
血路は開かれるのだという
希望を抱き続ける他はないのでしょう
 
退行して裏切られて
発展と成長の一段階を踏みそこなって
また踏み直すことを繰り返しても
老いと病と死が吸い込むまでは
いくつになっても
人は青いままなのです
 
 
(2014年03月25日、同日一部修正)