神話的フィクションです・・
 
 
  体験
 
 
恐らく彼は
多くの信仰者がそうであるように
苦難を耐え忍び救われたという体験を持っていた。
 
救いは神の秘め事であり
人による再現性はないのだが
彼は科学のような再現性を求めてしまった。
自らの思いのうちに「神の救い」を
聖書の言葉で塗り固めて保持しようとしたのだ。
 
体験を忘れないで覚えていることと
体験を「神の業」の鎧として固めてしまうことは全く違う。
前者は人間としての記憶であり
後者は信条としての神格化である。
 
それからというもの彼は
「神格」を讃美することに終始し
例えば自死について語らず
悲劇をオートマチックに試練と言い換え
それらに正面から向き合うことをやめてしまい
衝撃を伴う自らへの問いを一切やめてしまった。
試練と言いながら試練を放棄したのである。
 
時と所を変えて
恵みと試練と救いが与えられても
彼は砕けた心も乾いた欠片も持たなかったので
沁みることがないために
吸収することも出来ず
ただ自らの中の
手垢まみれの古く硬い陶器に合うように
過ぎた遠い日に捧げた文言を繰り返し
合わないものをやすやすと捨て去っていった。
 
人の心は動き
御心も動くであろうに
どうして信仰が動かないことがあろうか。
動くことを拒否してしまった器に
後生大事に閉じ込めたのは信仰ではなく
彼自身だったのである。
 
 
(2014年05月06日、同日一部修正)