メモ的なものですが・・
 
 
  善の判定
 
 
善の判定・・
時が移れば
善と思ったことが悪の種になることもあり
因果は複雑になり
判定は困難だろう。
 
悪の判定から・・
善の対極の判定は
善の判定と同じ理由で困難である。
さらに両極の判定だから
善と悪の境界は不明瞭となる。
 
偽善の判定・・
善を装うことは比較的卑近に行われ
装いを見抜くことも上の2つに比べて
身近なところで可能かもしれない。
 
ゆえに偽善の判定が重要になる。
 
偽善は自己満足の安易さを持っているので
その手段において
いつも同じやり方が通用することを求める。
即ち常態を欲する。
 
偽善はほぼ常に自己防衛的なので
固着した常態を外れると
感情的になりやすく
ゆえに行動化しやすい。
そのとき圧力を生じる。
 
圧力が生み出す軋轢が自他ともに
偽善の実害の始まりということになる。
 
重要な問題で軋轢を生じるときには
どこかに固定観念から自己満足や偽善の種が
蒔かれているのかもしれない。
 
善は偽善を明らかにする過程で
おぼろげな在り方を暗示するような
控えめな趣を持って待っている気がする。
 
 
(2014年05月30日)