臆病
 
 
人は考えて死ぬことなど出来ない
 
生だの死だの命だのと思いをめぐらすとき
死ぬことは想念であり現実ではない
 
例えば「我が神何ゆえ我を見捨て給ひしか」から
例えば「我が神何ゆえ我を造り給ひしか」のほうが
先だなどと思うのは
自分の思路というレールに
自分を乗せているのであって
死の実感など微塵もなく
ましてや死の論理などあるはずもない
 
人が死ぬのは絶叫であり
そこに思慮すべき何ものもなく
ただ茫然の在り方として
 
定まらない焦点から
無作為に手を伸ばす振幅が
必滅に向かって減衰したり
 
模索する欲望の触角に
引っかかった取っ手のような突起が
脳の虚血を誘発する具象のプロセスだった
という軽はずみに捕えられたりする
 
人の思慮は意識清明なる間
勇気をもって死に対峙することはなく
近づいてくる崖ふちに
慌てふためいてうろたえていながら
その表層の外見だけを映す平面に過ぎない
 
誰が引き裂かれるときに
破れ目に切れた糸を数えるだろうか
 
死は思慮の手に負えない
 
 
(2014年06月02日、同日一部修正)