こちら長崎県諫早の私は今のところ無事ですが、台風が鹿児島に上陸したようです。
以下は、1999年、当時私が住んでいた熊本に台風が上陸したときのこと・・
 
 
  台風一・上陸間近
 
台風は上陸するらしい
お前はもう終わりだ
おしまいだ
と言わんばかりに
風音が家を壁 を窓を
軋(きし)ませる震わせる
時々金物か瓦か何か固い物が
ぶつかり合う音が聞こえる
外のバイクは大丈夫か
月極駐車場に置いてある車は
夏に除草剤を撒(ま)いた庭に
秋になって思いがけず
生えてきた草の中に
咲いていた赤紫の小さい花たちは
テレビは終夜放送で台風情報
外は荒れ狂っている
言わんばかりに
死の実感を持たないのは
お前だけだと
 
 
  台風二・上陸
 
最大瞬間風速六十六メートルということは
時速二三七キロメートルだ
吹きすさぶ風と物音の向こうに
遠くから鳴りわたるように
笛の音のような響きが貫いてくる
たしかにこんな風は初めてだな
風に合わせて壁や床まで振動している
閉めてロックしたアルミサッシの
内側のカーテンが揺れている
ガラスは彎曲(わんきょく)しているのかもしれない
また何か転がった
また何かぶつかった
しまった!
門をしめ忘れていた
玄関の電灯をつけ外に出た
音に比べて身に感じる風はひどくない
団地の家と家の間だからだろう
門をしめ家に入りドアをしめた
また何か落ちるような音
また何か割れるような音
頭が割れてもおかしくない時間にいたのだ
座って台風情報を見ようとしたら
停電だ
やっぱりな
と用意しておいた懐中電灯で
蝋燭(ろうそく)と携帯ラジオを探してくる
蝋燭の炎が室内で揺れる
吹きすさぶ風と物音の中に
近所の子か
親を呼ぶ声がした
ガラスはなおも彎曲しているかもしれない
 
 
  台風三・朝
 
まだ停電したままで
台風は過ぎていないのに
風もまだ激しいのに
窓の外が少しずつ明るくなってきて
少しほっとしている
人間は暗さに怯(おび)え
暗いことに脅威を感じる
明るいことをより好む
明朗ならなおよい
何かを不気味に感じるのは
暗さが
底知れぬ暗さが
死にも似た
明白さを欠いたものを与えるからか
死が常に暗いとは限らないように
(宗教的にということもあろうが
 宗教を持ち出さなくても
 死ねばよいと思われていた人が
 ちょうどよく死んだとき
 すでに死の予測されていた人が
 ほぼ予定通り死んだときに
 いきなり暗くなれる人がどれほどいるか
 たとえ早すぎた
 惜しまれる死であったとしても
 早々にその名によって残されたものを
 求め始めることはないと言えるか)
明るさが常に明確であるとは限らないのに
少し風が弱まったような気がしてくる
揺れる蝋燭(ろうそく)の夜が明けて
台風の朝である
 
 
  台風四・停電
 
風雨はだいぶ治(おさ)まってきたのに
停電が半日続いている
もう明るいからいいような気でいたが
はっと気付いて
冷蔵庫を開ける
アイスクリームを一つ取り出す
外側が濡れているが
まだ冷たい
蓋(ふた)を取る
どろどろだが中程は氷が残っている
試しに食ってみる
泡と化したクリームうまくはないが
凍っている部分があるうちはいいか
でもアイス類は長くは持つまい
ほかには
缶ジュース類は大丈夫だろうが
紙パックのジュースはどうだろう
ハンバーガーにウィンナーに
長引けばパンにチーズにマーガリンも
ほかに生ものはないか
ないな生ゴミになりそうなもの
と覚悟して記憶にとどめておく
エアコンも扇風機も駄目だから
少しずつ暑さを感じてくる
あと一つあった生もの生ゴミ
腐敗検査用の実験動物が
 
(※ 最終行は、私のことです・・)
 
 
  台風五・停電復旧
 
停電は長引いていた
ラジオでは県の三十%
二十三万世帯が停電中
復旧の目処(めど)は立っていないという
初めてだなこんなに長い停電
時々トルコや台湾に思いを馳(は)せたりする
あの大地震や阪神淡路に比べれば
我が家は壊れていないし雨漏りもない
それに水道もガスも電話も使える
でも真夏でなくてよかった
次の夜もまた
蝋燭(ろうそく)とラジオの夜だった
まわりの家々もみんな暗くひっそり
ラジオでは野球をやっていた
台風は通り過ぎたので
停電についての情報は少ない
高潮で犠牲者が出たのは聞いた
死人が出ないとニュースにならない

翌日の夕刻
唐突にピーッと音がして
テレビが鳴り始めた
部屋の蛍光灯をつけた
さして暑くもないのにエアコンまでつけた
約三十六時間ぶりに
我が家の停電は復旧した
夜になって窓から眺めれば
家々にも明かりが灯(とも)っている
じゃまだから退(ど)けておいた扇風機が
部屋の隅(すみ)で回っている
そういえば回していたっけと
ゆっくりスイッチを切る
 
 
(1999年09月26日、HPにアップしたもの)