固着
信仰者は何故「神の義」に固まろうとするのだろう
いったい何処を目指して固まることが出来るというのだろう
信仰は問いに生きるしかないのに何故
答えを求めるプロセスではなく
答えを得たという結果に立とうとするのだろう
風に崩れる積み木の人でありながら何故
高く高く城のように
答えを積み重ねることが出来るというのだろう
不惑と不動に持続する安定を求める限り
そこには心をふるわせるものはなく
よって心を解き放つものもなく
計り知れない神ではなく
浅はかな自らの恥多き観念が
既知としてしまった枠の中に
自らを閉じ込めるだけだというのに
(2014年07月24日、同日一部修正)
コメント