最大の罪
 
 
人と人が
思いを一つにすることも
心を通わせることさえも難しいのに
 
神と一つになると言い
推測の判断とも解釈の提言とも説明せず
そうするべきこととして人に語る
 
神は絶対の存在として
人は不全の罪人として
信じたのではなかったのか
 
どうして不全の人が不全の能力で
絶対の神と一つになったと知り得るだろう
 
神と一つにならなければならない
という思い込みを育てるだけではないか
 
そういう思い込みを勧めるように
自らも教えられてきたのではないのか
 
聖霊の働きを持ち出しても
キリストの導きを持ち出しても
聖霊もキリストも神性なのだから
どうして神性の助けがあったと人が知り得るのか
つまり
三位のどの御方を持ち出しても同じなのである
 
最大の罪は自殺ではない
 
人が知り得る最大の罪は
神を恐れない罪である
 
神の領域を侵すことは
人がどんなに企んでも不可能
というのは誰もが認めることだ
 
神を恐れない罪というのは
神の領域を人が共に出来るということを
あたかも讃美のように語る態度にある
 
不全の人が
神の領域に言及するとき
補足説明なしでは決して語れないのに
いつも遠回しの表現だけで繰り返すなら
繰り返す分だけ
神を恐れない態度を
神の前に示すことになる
 
 
(2014年10月27日)
ネットを少し閲覧するだけでも
似たような反面教師はいっぱいいるようです。
過去の経験を省みて
今は私のブログで
伝えにくい普遍性も少し期待して
対象を特定せずに批判していくつもりです。