悪い癖
 
 
飾りのない本音
生の感情
人間としての意思
 
本来これらは
人が信仰に至る過程で活きていたはずだ
とても豊かな感受性で
人は信仰を賜ったはずだ
 
しかし信じたのち
「信仰」を体よく保持するため
なぜか信仰者は
信条に合わない揺らぎを
迷いや邪念と見なして
人間としての知情意を排除しようとする
・・人の知情意は神の御心ではないと・・?
 
信仰に不可欠だったはずの人間性を
生かすのではなく
隠し封じる癖を身に着ける
・・隠すことが美徳だと・・?
 
そうやって一方向に限られてゆく「信仰」に
人の精神も言語世界も縛られてゆくのだから
むしろ信仰を賜る器を損なってゆくというのに
・・「信仰」は完成して更に賜る必要はないと・・?
 
既知の神と既知の信仰
不動の永遠ゆえ
更新通知を受け取る運びはないと・・?
 
神ではない
・・人のどこが不動で永遠なのだ・・
 
年とともに
ただでさえ鈍化してゆく人間の感受性を
神に告白し
かつ人は人として
磨く努力をするべきなのに
賜ることを欲して
失うほうを選んでいる
 
なぜ悟ったかのように
人間離れしてゆくのだろう
 
 
(2014年10月28日、同日一部修正)
疑問を疑問として話さなくなったら信仰は終わりです。