前に少し書いたことだが・・
 
  常在
 
 
信仰者に常在しがちなものがある
・・ハッピーエンドストーリー・・
 
苦難を切り抜けた思いでいっぱいの
悩み苦しみの後の悟った気分は
もう苦しまなくていい
苦しみはもう終わったと思いがちだ
 
苦しまないために
安らぎのために信仰があるから・・
 
それは確かに一つの解放だったけれど
 
苦しまなくていい・・は
悩まなくていい・・から
考えなくていい・・になってしまいがちで
 
かくして辻褄合わせに走る
いつもそこに走る
 
整った・・ゆえに・・間違いない
 
ほとんど神の立場である
 
あれだけの苦難を乗り越えたのだから
という
信仰以上に自負を持つ
 
しかし解放されたということは
目の前に広いスペースがあるということだろう
未来と未知があるということだろう
次があるということだろう
 
しかしやはり
・・負える荷まで降ろそうとしてしまう・・
 
そこにも快楽原則や欲望が見え隠れしている
・・神の期待の何たるかを知らないのが人間・・
 
ゆえにあとは伝えればいいと思ってしまう
語れば信仰自慢に過ぎない話を
 
本当の御馳走は
御国にて頂く気持ちを持てないだろうか
 
常在なのは神であって人ではない
 
 
(2015年01月26日、同日一部修正)
 
これは本文外に記すと決めたので・・
 
やっと手に入れたものを
逃がさない思い入れ~決意の思い込みは
信じることの堅固さと結びついて
いわば
恋を失いかけて取り戻そうとするような
失いたくない男女を問わず
ズルズル人間の根性である
・・私は21歳の喪失感を今も引きずっている・・