聖体験
 
 
聖霊が下りてきて、
またはキリストが臨在して
直接自分を守ってくれる
という誰かからの教えを信じる者は
聖体験を心待ちにする精神の準備状態を持っている
 
あるとき悲しいまたは妙に穏やかな気分になったとき
待ってましたとばかり
「聖霊に取り囲まれている」
「主が臨在している」と確信する
 
ここで注目するべきは
体験を与えた主体が
聖霊またはキリストであるとさえ確定してしまうことだ
 
心の期待と準備状態が
普段と違った精神状態を結びつけるような
異常心理と解釈できる可能性もあるのに
この解釈だけは用いない
 
聖体験を待ち望んでいた心は
人間であることをわきまえることが出来ず
冷静になって体験を思いに留めることが出来ず
後の控え目な体験談の引き出しに入れることが出来ない
 
そうして大っぴらに吹聴して
使命を果たしたつもりになる
 
人々は大っぴらに聞かされて
「体験した人は凄い」
「選ばれた民にはそういうことが起こるんだ」
「自分にも起こるだろうか、起こるに違いない」
という感慨と願望を抱く
そしてまた心の準備状態へ向かう人が増えるのである
 
人が神の領域にのぼせ上がるプロセスと
それが伝染してゆくプロセスの一例である
 
聖霊もキリストも何も起こさず
すべては心理的なものだと断定しているわけではない
 
聖体験が全然起こらないという確証はないのだ
ここは科学や非信仰者に遠慮するべきではない
 
だから思いには留めるべきなのである
 
しかし神の秘められた御業として享受し
心に秘める敬虔を持ち得ないのか
 
生きている間
人は神の判断からは果てしなく遠い
これが人の信仰の原初において
わきまえるべき分別である
 
神と直接交流することを夢見る者が多すぎる
そういう者たちが宗教を求めやすいということもある
 
異常心理を神の御業と思い込むのは
カルトの特徴ということもあって申し上げている
 
 
(2015年03月13日)