信じた神
 
 
聖書を読んで
キリストを好きになって
一生の付き合いになると思ったのだ
だからキリストが言う神と聖霊を信じたのだ
 
だから神は全知全能で絶対で不変の創造主なのだろう
(実存的に言えば私の創造主でもある)
 
というわけだから・・
聖書を読んでも神のことはよく分からないが
(よく分からないから「とにかく」を使うが)
とにかく至高の神だ
 
宇宙の節理から一人の人間まで土くれまで
神はすべて知っているのだろう
 
神は人を救うのだろう
でも神は怒ると人を滅ぼすのだろう
また神以外を人が神とすると怒るのだろう
 
とすると
神は恐ろしい御方だ
近づくと恐ろしい
近づいたなどと言うと恐ろしい
 
人は神を理解できないし
理解できなくても神は神だ
人は理解できない神を信じている
 
人は神の良き理解者にはなれない
 
友人のように良く理解したという者は
自分信仰者だ
自分の思い込みを信じている
(・・結構多い・・)
 
人と神の格差はあまりに大きい
それが決定的に人と神の領域を分ける
 
「少しく低く人を造り・・」には大いに謙譲するべきだ
 
人は神を知らない
知り得ない
 
人の浅薄な知識と思考で
神を知ったなどとはとても言えない
 
何やら悟りの境地のように
聖霊によって
神の御心を思うようになるのですなどと安易に言う者は
何やら?お高くとまりたくて言っているだけだ
彼にとって「聖霊」は
分かったつもりで付ける箔に過ぎない
 
自分をお高くとまらせる者は
そのぶん他者を低く見て虐げている偽善者だ
 
何もかも整っている姿は神のものだ
人は生きているあいだ決して整わない
(自分信仰者だけが自分は整ったと思いたがる)
 
キリストは神だ
聖霊は神だ
神は神だ
 
どれかに親しく交わるなどと言う者は
嘘をついているか
既に神に焼き尽くされている者だ
 
焼き尽くされた者には近づかない
ただ遠くからでも違うと言い続ける
 
人が皆
神を恐れないことの報いを受ける前に
 
人は人だ
 
人だから神の分別は持たない
 
人だから人の分別を持つ
(自分信仰者の思い上がった悟り顔とは違う)
 
考え語り行う信仰者は知るだろう
 
神に対する低い位置を探し求めることこそ
神の民の務めであると
 
神殿に立つな
大地に立て
どこからでも祈ることは出来る
 
 
(2015年03月14日)