聖霊体験(2)
 
 
「聖霊体験(コメント欄より)」の続きです。
別のブログに書いた私のコメントですが
相手のレスコメントは省略します・・
コメントの中の引用部分ということになります。
 
>聖書の中にも何らかの神秘体験をした人
>間違いだらけの欠点だらけの人物として描かれて
 
聖書から神秘体験者でも間違いを犯すことがある例
 
>「神が教えてくれる」というのも、
>本当にそれは神なのか?と疑うことはできる
 
聖書の神秘体験そのものがフィクションの可能性
 
前者後者ともそれぞれの立場での話ということは分かるのですが
前者を挙げるなら後者の立場は保留すべきだし
後者をあげるなら前者の例示は出来ないと思います。
2015/3/30(月) 午前 0:14 [ st5402jp ] <<コメントに返信する
 
>批判するSTさんも間違っているかもしれないわけで、
>批判の対象となっている人が実は正しい
>という可能性もあります
 
時々に正しいと思っていなければ書けないわけですが、
もちろん神が私を是とするかどうかは分からないので
私が悪なら滅ぼしてくださいと
これはいささか衒奇的な感じの祈りだと自覚しますが
祈ったことはあります。しばしば・・
実際、恐らく年齢から言っても先に私のほうが滅びるでしょう。
動機があり、続いているから、続けるしかない状態です。
私は狂っているのでしょうかと祈ったこともあります。
もちろん神の返事はありません。
 
彼にはたっぷり神からの励ましの返事があるのでしょう
神と聖霊と一体らしいから。(皮肉です)
2015/3/30(月) 午前 0:17 [ st5402jp ] <<コメントに返信する
 
すべての言動は災いの種になりうるし
人は神ではないから
それをいちいち間違いなく判別することなど出来ないし
つまり
すべての可能性を考えていたら何も出来ないということになります。
 
私の攻撃的な言辞に限っても
穏やかに話していたら社交になって折り合って妥協して
言論を控えて・・ということになるから
それだけは御免だという理由です。
(すべての場合がそうだとは言いません。)
2015/3/30(月) 午前 0:18 [ st5402jp ] <<コメントに返信する
 
>批判対象となっている人が狂信的になって
>サリン事件のようなことを起こしているなら問題ですが
 
人が死んでから考えると?
そういう場合だけでなく信徒がいるわけですから
彼は育てているのです。自分に従ってくれる信徒を。
そして彼も育てられた信徒の一人なのでしょう。
正直言って
優しくて辛辣なことを言わないクリスチャンが
人間として一対一の対等な議論を避けてきたから
今日の事態を招いたという苛立ちがあります。
だから個人批判だけではないつもりです。
2015/3/30(月) 午前 0:18 [ st5402jp ] <<コメントに返信する
 
>自分のブログで自分の体験談を語るだけなら、
>そんなに問題ないと思います
 
トラコミュに出し続けていることを問題にしています。
ブログだけなら批判して私がトラコミュに出しても
引用しても名指しはしてないから
誰に対してかは分からず
より一般的な内容になっていたかもしれません。
 
>批判するのもSTさんの自由ですから、
>それを止めるつもりはありません。
 
批判を批判するのも自由だけど・・?・・
私はコメントに自分の意見として説明をしているだけで
止めてくれとも止めないでくれとも言っていませんが
 
>お気に障りましたら謝ります。失礼しました
 
ここがいちばん余計です。
ここまでをまた記事にします。
2015/3/30(月) 午前 0:18 [ st5402jp ] <<コメントに返信する
 
 
(2015年03月30日)